おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson 292 手段化される自分 自分の存在がメディアに出るようになって、 ちょっと面白い現象がある。 昔もいまも、 ほとんど交流のなかった知り合いから 突然、食事のお誘いがある。 なんだろうか、と、行ってみると、 その人は、私のまったく知らない「つれ」を つれてきている。 話を聞くと、どうも、その「つれ」の人は、 私の本の読者だったり、 私の書いたものを面白いと思っていてくれたり、 ようするに、つれの人が、 「山田ズーニーという人物にいっぺん会ってみたい」 と思っていて、 「山田ズーニーなら知り合いだよ、会わせるよ」 と、そういうことだったらしい。 そういう場だったのだと、行ってから明かされる。 はじめのころは、 それでも、人に会えるのがうれしかった。 知り合いというのが男性で、 「つれ」というのが、たいてい、 かわいい女の子というケースがおおかったので、 「ははん!」 と、ピンときた私は、「だし」にされたな、と気づく。 まあ、いいか。 私を「だし」にしたんだから、「だし」にした分、 せいいっぱい、しあわせになれよ! と祈る。 そんな感じで、わかって、だしになる自分がいた。 テレビに出てから、頻度がひどくなり、 だんだん、違和感がぬぐえなくなってきた。 家にくる人が、 私になんのことわりもなく、 知らない人をつれてくる。 大勢でくる。 で、その理由というのが、 「いっぺんズーニーを見てみたい。」 「見てみたい」って、なんだよそれ。 話してみたい、会ってみたい、じゃなくて、 「見てみたい」、なんだな。 そんな感じで、むこうは、 「あんまりよく知らない知人+まったく初対面」 の多数で、 なぜか、いつも、こっちは1人で。 相手はまったく悪びれたようすがない。 きわめて無邪気に、 「いいことでしょう」とやっている。 だから、よけい、とまどう。 だけど、私のなかの、 この、なんとも、わりきれないものは、なんなのか? 自分側の問題を考えてみる。 はっきりいって、器がちっちゃい。 ちっちゃいぞ、自分。 これは、どう言い訳しようと、まげられない事実だ。 それに、思いあがってもいる。 なにか自分に価値があると思うから、 寄ってくる人に警戒心を抱くのだ。 自分が無価値だと、ひらいた状態なら、 それでも「会いたい」「話したい」と、 寄ってきてくれる人に、それだけで感謝できるし、 迎え入れられるはずだ。 わかっているが、どうもできない。 結局、自分は、そこまでの器だった。 苦しいとき、苦しい人とは、距離を置く。 自分の限界とみとめて、 しばらく、人と距離をおいて、 気持ちの回復を待った。 そんな矢先、むかし、 ひいきにしていたお店のお姉さんから、 ひっさびさに、メールが来た。 私は、その店の買い物客で、 買い物にいったとき、 その店員さんからアドバイスを受ける、 というだけの関係だったのだが。 センスがとてもよくて、 売り込もうとしたり、おだてたりせず、 正直にものを言う店員さんだったので、 私は、とても信頼していた。 気心が通じて、一度食事でも、 とお互い言い合っている間に、 そのお姉さんは、お店をやめてしまった。 だから、とってもなつかしくて、 早々に、あそびにきませんか、と返事を書いた。 そうしたら、すぐ、返事が返ってきて、 「先輩を連れて行ってもいいか」という。 先輩は、私の本をよく読んでいて、絶賛なのだと。 実は、このメール書いている、 となりにその先輩がいるのだと。 そこからは、その先輩のことが、 えんえんとほめてあった。 私は、迷った。 いま、二人をお招きしても、 自分にキャパがないから もちこたえられそうにない。 それで、まずは一回、 お姉さんに、きがるに遊びに来てもらって、 そのあと、友だちを呼ぶなりしましょう、 と返事をした。 以降、お姉さんから、連絡はない。 お姉さんは、 純粋に先輩を喜ばせたかったんだろうなあ。 先輩のことが大事で、 先輩がほめている本があって、 それが偶然にも、私の書いたものだと知って、 その先輩を私にあわせることで、 歓ぶ顔がみたかったのだろう。 そんな先輩を会わせることで、 私もきっと励まされると、 純粋にそうおもったんだろうなあ。 あのときは、 そんなふうに理解することができなかった。 自分が道具にされているようで。 自分が「手段」として使われているなあ。 一件、二件ならいいのだけど、 かたまりでおしよせたとき、 私が、やりきれなくなっていった違和感は、 きっと、その感覚だったのだ。 でも、不思議に自分が 「手段」にされて嬉しいときがある。 それは、仕事のときだ。 「山田さん、就職活動の学生のために、 自分の想いで社会で関わるための、 意欲と技術を語ってください。」とか。 「新人に、向けて、 打って出てつかまえることの重要性を 体験を元に伝えてください。」とか、 仕事の依頼がくると、やる気が湧いてくる。 自分が役に立つんなら、どんどん使ってくれ、 自分が手段となって、読者や生徒が喜んでくれるなら、 こんなに嬉しいことはないと思う。 仕事のときは、携わる人間、私も、みんな手段だ。 社長も社員も、書き手も編集者も、スターも裏方も、 みんなが手段となって、お客さんを喜ばせるという、 ひとつの「目的」に向かう。 でも、プライベートの人間関係は、無目的なものだ。 友情にしても、恋愛にしても、 「会いたい」という気持ち、 それ自体が目的だ。 だからそこでは、人は手段化されると寂しいんだろう。 たとえそれが、どんな良い 目的のためであっても。 うらはらなものだ。 素のままの自分では、だれも振り向いてくれないから、 努力して、 ささやかでも自分の機能みたいなものを高めていく。 しかし、小さくても利用価値がでてくると、 とたんにそれは、人に利用されやすい。 自分もそんなとこで 勝負しようとしたのだから自業自得だ。 何ひとつ利用価値がなくても人に好かれる人は、 決して手段化されることはない。 そういう人間こそ、ほんとうに幸せな人だ。 対人能力試験レベル1のような時期があって、 引っ込んでしまって、失敗した私だけれど、 やっぱり、人に逢わせていただくのはいいものだ。 いまは、「どんと来い!」と想う私がいる。 これからたくさん人に逢って、 たくさんの出逢いの中から、 機能でもなく、価値でもなく、 ただ「好き」で、引きあう、 ほんものの友情を育てていきたいと想う。 ………………………………………………………………… 『理解という名の愛が欲しいーおとなの小論文教室。II』 河出書房新社 ●刊行記念ワークショップ開催● 新宿・紀伊國屋ホール 4月1日(土)17:00−20:30 チケット(1000円)は3月13日より キノチケットカウンター(紀伊國屋新宿本店5階)にて発売 予約・問い合わせ 03−3354−0141 紀伊國屋書店事業部 『おとなの小論文教室。』河出書房新社 『考えるシート』講談社1300円 『あなたの話はなぜ「通じない」のか』 筑摩書房1400円 『伝わる・揺さぶる!文章を書く』 山田ズーニー著 PHP新書660円 内容紹介(PHP新書リードより) お願い、お詫び、議事録、志望理由など、 私たちは日々、文章を書いている。 どんな小さなメモにも、 読み手がいて、目指す結果がある。 どうしたら誤解されずに想いを伝え、 読み手の気持ちを動かすことができるのだろう? 自分の頭で考え、他者と関わることの 痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。 (書き下ろし236ページ) |
山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。
2006-03-22-WED
戻る |