YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson304 何に奉仕して書くか?


先日、このコラムに寄せられた、
たくさんのメールの中に、
みょーな違和感を発している文章があった。

べつに私を攻撃しているわけではない。
むしろ、ほめてくれている。
でも、何かが違う。

その後、同じ人から届いた何通かのメールも、

持ち上げられるときと、下げられるときと、
ネガティブなときと、ポジティブなときと、
自分の体験を書いているときと、書いていないときと、
いろいろちがうのだけど、
やっぱり受ける違和感は同じで、
他の多数のメールと、なにか方向がちがう。

「なんかちがうな」

私はそう思い、
違和感の正体を考えていた。

以前、テレビで、
衣装デザイナーのワダエミさんが、
ご主人で演出家の和田勉さんとのなれそめを語っていた。

和田勉さんが、
エミさんの心をつかんだ方法は、
手紙攻撃だったそうだ。

毎日。多いときは日に複数。
手紙を書いて、エミさんに送ったそうだ。

たいへん失礼ながら、
私は、最初、その話をきいたとき、
そんなに手紙をもらったら、
私だったら引いてしまうだろうな、と思った。
ところが、

さぞ、甘い言葉が書いてあったのだろうという
アナウンサーのツッコミに、
ワダエミさんは、まったく冷静に、
そんな甘い言葉は、いっさい書いておらず、
ただただ、和田勉さんが取り組んでいる仕事のことが、
こんこんと書いてあったそうだ。

良家のお嬢さんとして育ったエミさんにとって、
働く和田勉さんの、
テレビの仕事の話、芝居の仕事の話は、
とても面白かったそうだ。

なるほど、そういう手紙なら私も読みたい。

それなら毎日手紙がきても
日に何通きても、引くことはない。
私は、さすが演出家、と、うなった。

何に奉仕して書くか?

和田勉さんは、
エミさんに奉仕して
「きみの瞳は美しい」などとやらず、
ひたすら仕事、つまり、
「いま自分の取り組んでいる課題」に奉仕して
手紙を書いた。
それが、相手をあきさせない、
面白い文章につながった。

「奉仕」というのは、
私がここで勝手に使っている言い回しで、
わかりづらいかもしれない。
何に「労力をさく」か、
というような意味合いで使っている。

よいにつけ、わるいにつけ、
何に、興味・関心を向け、焦点をあて、
自分の知力や労力、文字数をさくのか?

コミュニケーションを図ろうとして、
相手に手紙を書くとき、
奉仕する対象が、すくなくとも3つある。

ひとつは相手という人間。
「きみは優しい、
 きみは素晴らしい、きみは…、きみは…」と、
相手という人間にフォーカスをあわせる。

もうひとつは自分という人間。
「僕はこうみえても
 けっこう内気で、寂しがりやで、正直で、
 僕は…、僕は…」
と、自分という人間にフォーカスをあわせ、
そこに字数と労力をさく。

そして、もうひとつが自分と相手の間にある「テーマ」。

いくら仕事の話をしても、
相手が仕事に興味がなければはじまらないが、
のちに世界的な衣装デザイナーとして
映画や舞台で活躍することになるエミさんにとって、
働くことや、テレビや芝居の仕事のことは、
潜在的に興味あるテーマだった。

何に奉仕して書くか?

このコラムに、メールをくださるほとんどの人は、
コラムで投げかけた「テーマ」について、
感じたこと、考えたこと、自分の体験や発見などを
書いておくってくださる。

つまり、「テーマ」に奉仕している。

その中で、冒頭で採り上げたメールの矛先は一貫して、
山田ズーニーという人間に向けられていた。
だから、ほめられても、けなされても、
全体の中で、なにか、違和感があったのだ。

テーマ見ずして人間を見る。

というと、なぜか、失敗がよみがえる。
もう10年以上も前、
私は、友だちにうっとうしがられたことがある。

私は、その友だちが好きで、
なんとか仲良くなろうと、とにかくよくほめていた。

ところが、最初うれしがってくれた友だちも、
しだいに、うかない顔になり、
しまいには、ほめてもうっとうしがった。
「なんで、どうしてうっとうしがるの」
と問い詰める私に、友だちは、

「なんかちがうな」

とずっと思ってて、
それが私に言えなかったのだといった。
「なんかじゃわからない」と、
私は、ほめることから一転して、けなしにはいった。

ほめるにしろ、けなすにしろ、
私は、相手という人間に
興味の焦点をあわせ、そこに多大な、
労力と言葉数をさくコミュニケーションになっていた。

でも、なぜだろう?

人が自分に関心を払ってくれるのは嬉しいはずだ。
私も、「ズーニーさんって、こうですよね」と
自分の人間性などを指摘され、それがあたっていると、
「この人はわかってくれている!」と嬉しい。

思うに。

相手に奉仕するやり方は、高等技術なのだ。
というのも、相手のことは当の本人である相手が
いちばんよくわかっているからだ。

「きみって、こうでしょ」
と相手の人間性なり、長所なりをずばり指摘し、
それが的確だと、
相手は「わかってくれている」と歓んで、
イッパツで心に橋がかかることがある。

しかし、「きみって、こうでしょ」と指摘して、
それが外れていると目もあてられない。
相手は「わかってくれてない」とがっかりし、
こちらへの信頼まで落とすことになりかねない。

会社にいたとき、後輩を叱るのに、
「その人の仕事の進め方を否定するのはやむをえない。
 でも、その人の人格は否定してはいけない」
と上司に言われた。
「おまえって人間は‥‥」
と矛先を相手の人間性に向けたとたん、
それは相手のほうが詳しい領域だから、
自分の発言は説得力を失いやすい。

最初友人をほめ、歓ばれていた私も、図にのって、
「あなたってああだ、あなたってこうだ」と、
踏み込んでいくうちに、
いつしか「相手」の本丸で相撲をとっていた。

相手理解が
微妙にズレていたり、ヘンに美化していたり、
はずれていると、相手は違和感をもつ。
つもりつもると、相手にうざったがられてしまう。

相手という人間に焦点をあわせて書くなら、
前提として、相手に対する深くて正しい理解が要る。
そして、相手理解は「ここぞ」というところで、慎重に、
ピンポイントで決めることが肝心だ。

つづけてだらだら、
あるいは全体にそれをやってしまうと、
どんどんどんどん、「相手の人間性」という、
本来、相手がもっとも詳しい、相手の得意の土俵に
踏み込んでいってしまう。まちがうと私のように、
相手に違和感つのらせる結果にもなりかねない。

かといって、いくら自分の本丸だからと言って、
「自分は‥‥、自分は‥‥」と
自分という人間について書いても、
そもそも、相手が自分という人間に
興味がなければはじまらない。

そこで。

相手と自分が関心あるテーマについて、
自分の体験や実感をもとに書く、という
「テーマに奉仕する」やり方が出てくる。

相手にとって関心あるテーマをとりあげることで、
相手が読むモチベーションは充分だし、
ネタとするのは、自分の実体験や実感だから、
自分のよくわかったところで等身大の相撲がとれる。

ことさら自分はこんな人間とアピールしなくても、
テーマへの経験や考え、姿勢を示すことで、
結果的に、自分という人間を相手に伝えることになる。

手紙の中に、
ピンポイントで「相手への理解」をいれたり、
「ちょっと私のことを話させてください」と、
自分という人間について伝えるのも効果的だと思う。

それらを折りいれながら、
でも、字数と労力の多くは、
「自分と相手の共通の関心あるテーマ」にさく、
というのが、
相手と面白くキャッチボールをつづけるための
視座の取り方ではないかと思う。

こうしたことは、考えすぎると、
コミュニケーションがおもしろくなくなるので、
うまくいっているときは、
何も考えずに行っていいのだと思う。
おもしろければ、何でもあり。

でも、うまくいかなくなったとき、

相手に奉仕しているか?
自分に奉仕しているか?
はたまた、テーマに奉仕しているか?

と考えて、軌道修正に役立ててみるのもいいと思う。

このコラムは、
「テーマ」と「自分のこれから」に奉仕するメール、
そこを真剣に、あるいは面白く考えて、
なんとかしていこう、
という読者のメールであふれている。
それが、読む人の「これから」に奉仕する。

いつも、ありがとう!

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(河出書房新社)



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内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2006-06-14-WED
YAMADA
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