YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson322 かよちゃんの進路

先日、高校2年生に授業に行った。

朝日新聞のオーサービジットという取り組みで、
http://www.authorvisit.jp/lecturer/index_2006.html
熊本県の高校の、40人のクラスで
表現のワークショップをやった。

若い女性の担任の先生と、
生徒たちの心が通っているのが
はたでみていても伝わってくるような温かいクラスで。

3時間40分の授業の最後は、
40人の生徒が、ひとりずつ、前にでて想いを話した。

生徒のスピーチを聞いた担任の先生が、
その後ずっと泣いていたのが印象的だった。

授業が終わっても、後片づけをしていても、
私たちのために用事をしても、
先生は、涙がとまらなくなった。

ひとり生徒が話すたびに、他の生徒たちも、
見学に来ていた他の先生たちも、
取材に訪れていた大人たちも、
くいいるように聞いていた。

私も、生徒のスピーチに胸をうたれ、
時がたつほどに、心が洗われるような想いがしている。
このもようは、たぶん来月上旬の紙面で紹介されるので
興味のある人は見てほしい。

さて、事前に、授業の準備をするために、
先生に、生徒たちの好きな音楽や、
好きな本をたずねていた。
生徒の好きな映画をたずねたとき、
先生は、「映画館はない」と言った。
とにかく外からの刺激が少ない、と。

外からの刺激が少ない。

そう聞いて、自分の中で疼くものがあった。
私は中国山脈に近い盆地で、高校を卒業するまで育った。

幼いころにあった映画館もやがてつぶれてしまった。
そのころは、レンタルビデオもDVDもなかったから、
流行の映画は、雑誌を見て、
レコードのサントラ盤を持っている子に貸してもらって、
ただ想像してみるしかなかった。

いまから思えば、書店もなかった。
本は、文房具屋さんの一角に少し並べてあるだけだった。

17歳の多感な時期に、
その多様な感情や感性の色を、
さまざまに引き出してくれる
刺激にめぐりあえないということは、
とりたてて何が困るというわけではないが、
ときどき、やるせないものがあった。

都会に育った人に話を聞くと、
はやいうちから情報的洗練を受けている。
たくさんの刺激、たくさんの選択肢の中から、
自分にあった色を選べるという特権はある。

だけど同時に、多すぎる選択肢、
日々くるくると移り変わる情報の中から、
選ばなければならないという疲れや慣れも訴える。

街頭にながれる音楽の扇情的なフレーズや、
巨大スクリーンに映し出されるキャッチーなコピー、
自分が言いたいことを、
温めたり、引き出したりする前に、
自分よりもっと洗練された言いまわし、
もっと適確な言葉で、
先回りして言われてしまうきびしさもある。

以前、このコラムで
「不思議な都市論」というのをやった。
土地にも潜在意識がある、というような話だ。

そこで、複雑系に強いFさんが、
東京の潜在意識は多様で複雑だということを言った。

東京は1kmも移動するとガラッと雰囲気が変わる。
それはきっと歴史のなせる技で、
江戸や明治のころからひきついだ土地土地の差異が
今風にアレンジされて、
時間、空間のフクザツさに色をそえている、
だから、狭い中にも
どんな人でもどこか気に入る場所がありそうなぐらい
バリエーションがある、と。

それを聞いて、
過疎のまちに生まれ育った私は、
過疎のまちは土地の潜在意識も寂しいのだろうかと言った。
そういう私にFさんは、

日本の街は往々にして歴史が長い。
どんなに小さな街であっても
backgroundに土着の文化や信仰みたいなものがあって、
それが街の色となって出てきてる。
そういったbackgroundが
例え絶滅寸前で、か細いものであっても、
長い歴史を持って
ずっと街を支えてきたものなのだから、
薄っぺらいものではない。
ということを言った。

それでも、人の離れていくまちは寂しいと思う私に、
Fさんは、さらにこう言った。

「非常に深い潜在意識なのだけれど、
幅が無いんですよ、たぶん。
良く言えば純粋。
外からみるとそれがまたいいんですけど、
住んでる人は退屈でしょうねえ……」

決して薄っぺらくはない、
土着の歴史を持った非常に深い潜在意識なのだけれど、
幅がない、よく言えば純粋
……ほめられたのでも、けなされたのでもなく、
まるで自分自身のことを言いあてられたような気がした。

「どうしてこんなにひらけてないんだろう?」

17歳のころの自分を代弁するとそうなる。
よく言えば純粋、悪く言えば幅のない自我を生きていた。

17歳のころの自分は、薄皮一枚におおわれたように、
外から自分を揺さぶるような刺激に会えず、
自分がひらけてないことにも気づけず、
言いたいなにかや憧れを、外に表すこともできず、
無自覚に、自分の中にためこんで発酵させる日々だった。

あのころは、ずいぶん、
自分と友だちたちとは違うと想っていたが、
外からの刺激が少ないまちで、
限られた情報や、限られた遊びを共有し、
いまからおもうと、
わたしたちは、同じふり幅を生きていた。

だから17歳のころは、
あと1年もすれば、進学や就職で、
みんな、ばらばらになって、
「外」にでていかなければいけないということに、
まったくリアリティがなく、
なんとなくこのまま、
なんとなくみんな一緒に歩んでいけるものと
どこかで思い込んでいた。

そんな自分が、
生まれて初めて「外」をありありと受けとめ、
衝撃を受けたのは「かよちゃん」の進路だった。

かよちゃんは
小、中、高、そして現在までつづく私の友人で、
私たちは、毎朝待ち合わせて、いっしょに学校に通った。
休日は、かよちゃん家か、私ん家のどっちかで遊んだ。

私の町には、中学受験するような私立もなく
普通科の高校はひとつだったから、
それまで進路にまよいようがなく、
成績で輪切りにされるようにして、
みんな一緒に高校まで来た。

かよちゃんは、物静かな人で、登下校のときは、
いつも、私が一方的に話し、
かよちゃんはそれを黙ってよく聞いてくれた。

その時代、地方で女の子はとくに地元志向が強く、
進路は、
地元から近い順番の大学ということと、成績から、
親や先生のすすめもあり、なんとなく決まっていった。

私は、地元で教師をする、
という目的がはやいうちからあり、
ほとんど迷わず自分の県にある大学の教育学部に行く
と決めていた。
でもそれが、どこまで自分の意志だったのか、
どこまで本気で教師になりたかったのか、
すべりどめで受けた大学は先生のすすめるまま、
実はぜんぜん違う学部で。
自分でも中途半端なことをしていたということにきづかず、
これが自分の意志だとおもいこんでいた。

かよちゃんが、名古屋の芸術の大学に行く。

ある日、それを知ったときは、
とにかくものすごい衝撃だった。
かよちゃんが芸術を志していたなんて、
そばにいたのに、まったく気づかなかった。
当時わたしのいた田舎では、
芸術系に行く人は希少で、おもいもよらなかった。
それに名古屋は、自分にとって、
非常に心理的に遠い、「よそ」の都市、だった。

まわりの女の子は、ほとんど、できたら県内の大学、
それが無理なら隣の県というように、
「距離×成績」で
輪切りにされるように進路が決まっていった、
根拠もなく、自分もかよちゃんも
同じような道をたどるものと思い込んでいたが、
かよちゃんの進路は、
それとはまったく違うものだということが、
一瞬のうちに感覚としてわかって、はっ、とした。

かよちゃんが急に大人びて見え、
遠くに行ったような気がした。

自分の中に、言葉にできない焦りが、
かぁっと込み上げた。
とりのこされるような。
いいのか、自分の進路はほんとにこれでいいのか? 
というような。
言葉にはできないけれど、
自分が、あまりにも限られた情報、
狭い幅の機会と経験のなかから、
安易に進路を決めてしまったのではないか、ということに
生まれてはじめてゆさぶりをかけられた瞬間だった。

芸術系をはじめ、実にさまざまな学部があることも、
県内以外にいろいろな土地や、
いろいろな大学があることも、
学校で最も身近に目にする先生以外に
多様な職業があることも
テレビやなにかで情報としては見知っていた、はずだ。
でも、自分には、まったくリアルに響かず、
素通りしていたのはなぜだろう?

それが、ごくごく身近な友人の進路に
現実としてふりかかってきたとき、初めて、
現実のものとして自分に迫ってきて、おののいた。

自分が、ある大切な機会に干されていた、ということに
初めて、後悔のようなものがよぎった。

かよちゃんは、大人しく、
集団の中で非常に調和のとれた行動をする人で、
女ともだちにも好かれ、信頼されていた。

しかし、静かな中に、自分の考えをしっかり持っていた。

中学のとき、自転車にのるときはヘルメット着用が
義務付けられていた。
一度、休日に女の子たちでヘルメットなしで出かけよう
ということになって、私も調子にのって、
「そうだ、そうだ」とその場の雰囲気で
みんなでもりあがったときに、
でも、かよちゃんだけは、
「私は、そういうことはいやだなあ」と静かななかにも
きっぱり言った。

私は、敵をつくりやすいタイプで、
よく、女友達から攻撃された。
女の子どうしというものは、
自分がその人を好きかどうかより、
まわりの人が
その人を悪くいっているかどうかという理由で、
なかまはずれにしたり、
嫌ったりということをしがちだ。

でも、かよちゃんだけは、
まわりの人がどんなに私の悪口を言っても
決してそこにくみすることはなく、
私がどんな劣勢なときでも、そばにいてくれた。

一度、学内で恐いグループに目をつけられたときも、
一緒に帰ってくれて、「私がいるから心配するな」と
手紙をくれた。

進路は、かよちゃんが、心からやりたいこと、そこから、
行きたい大学という順番で、自由に選び取られていた。
まったくまわりに流されず、
地元の慣習にとらわれることもなく、
それが、当時の私たち田舎に暮らす女の子たちには、
できそうでいて、なかなかできないことだった。

かよちゃんは、なぜ、それができたのか?

小・中・高と、かよちゃんが、ずっとやっていたことは、
まわりに流されず、立ちどまって、考えるということだ。
そこで、自分はこれが好きだ、
こうしたいと感じたことを、
周囲の調和を乱さず、かといって迎合するのでもなく、
淡々と静かにやる。一貫して、ずっと地道にやり続ける。

「立ちどまって、自分は本当はどうしたいか考える」
自分が干されていた大切な機会とは、それだったと思う。

とにかく、とにかく外からの刺激がない毎日で、
自分の中で、触発されず、引き出されもず、
うずもれて、死んでいくものが確かにあった。

でも自分の多感な時期に、
もっと引き出しようはなかったのか?

その中には、とりかえせないものもあった、
というような
うらみのような声が、
あの、かよちゃんの進路を知ったとき、
衝撃の中で、自分の内から聞こえていた。

自分に必要な情報はすでにあった、
でもそこにリアリティをもてず、
素通りしていたのはなぜだろう?

都市にいても、田舎にいても、
自分の色を引き出すのは自分なんだということを、
かよちゃんの進路は教えてくれる。

…………………………………………………………………


『17歳は2回くる―おとなの小論文教室。III』
(河出書房新社)



『理解という名の愛が欲しいーおとなの小論文教室。II』
河出書房新社




『おとなの小論文教室。』河出書房新社


『考えるシート』講談社1300円


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円



『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2006-10-25-WED
YAMADA
戻る