YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson334 わかりやすくするということ


「わかりやすく」と言われたとき、
みんなどうしているんだろう?

たとえば編集者さんから赤入れされるようなとき、
「ここは、
 わかりにくいという読者もいるかもしれないので、
 わかりやすくしましょう」
と言われ、示されるのはこんな方法だ。

・難しい言葉はなるべく使わず、易しい言葉に言いかえる
・言葉が足りないところを補足して丁寧に詳しく説明する
・具体例を増やす
・イラストを増やす

これらをすればわかりやすくなるものと、
当然のように言われることが多い。
自分もそう思っていたふしがある。

でも最近、疑問なのだ。

難しい言葉を使わない説明がほんとにわかりやすいのか?
詳しく丁寧に説明すればほんとにわかりやすいのか?
具体例が多いとほんとにわかりやすくなるのか?

例えば何かを説明するとき、
イラストを増やせば、よりわかりやすくなるんだろうか?

以前教材をつくっていたとき、
速読コーナーにイラストを入れ、
読者の高校生に「気が散る」と怒られた。

すでに文字で伝えていることを、
そのまま絵解きにして見せるだけなら、
同じことを、文字と絵とで2回言うことになる。

一気にはやく全体を通して読みたい人にとっては、
一回言われればわかることを、
文字と絵で2回確認しなければならず、
それが手間と感じないだろうか?
そこでいったん思考が止まったり、
イラストのイメージに発想を限定されたり……。

そんなことを思っていた矢先、
仕事でお会いした寄藤文平さん
(『海馬』のイラスト・装丁も担当したデザイナー)に、

「イラストじゃ、わかりやすくなりませんよ」

と言われ、
あまりにタイムリーでびっくりした。

絵だけじゃ何もわからせることはできない、
言葉あってこそと、寄藤さんは断言する。

改めてそう言われてみると、
まったく言葉のない絵のみで
自分が人に何かをわからせられるか?
というと、とてもできそうにない。

絵だけで手紙を書けと言われたら、
ものすごく伝えづらいし、
そんな手紙、もらった方もめちゃめちゃわかりにくい。

ましてや絵だけで、
わかりにくいものをよりわかりやすく伝えるなんて
無理だ。

ほんの短い言葉でも絵に言葉が加わると
とたんに意味をおびてくる。
言葉あってこそ。

そこをはきちがえて
単純にイラストを入れればわかりやすくなると
思っている人が多いと寄藤さんは言う。

難しい言葉を使わないことがほんとにわかりやすいか?
これも考えさせられることがあった。

小学校に授業にいったとき、
小学生には難しい「志(こころざし)」という言葉を
使うかどうかで迷った。

担任の先生に相談し、
確かにハードルの高い言葉ではあるが、
この言葉自体を易しい言葉に言い換えることはせず、
事前のレクチャーなどを工夫し、
「志」という言葉、
そのまんま使ってみようということになった。

「志」についての説明はごくわずか、
授業の中心部分ではなかったにもかかわらず、
授業後の感想文では、
「志」を強く印象に焼き付けた生徒が多くいた。

志を「やりたいこと」とか「もくひょう」とか
わかりやすい言葉に言いかえていたら、
生徒の印象に留まることはなかったろう。

わかりきって使い古した言葉でなく
新鮮で少し難しい言葉であったからこそ、
生徒は自分からつかみにきた。

肝心なのは、その言葉が難しいかどうかよりも
その言葉が指し示す世界で。

そこに意味や魅力を感じれば、
少々難しい言葉をつかっても生徒はついてくる。
かえって学習意欲をかきたてることもある。

でも、大人向けの文章であっても、
「山田さん、<論拠>という言葉が難しいんで
わかりやすい言葉に言いかえてくれませんか」
というような注文をよく受ける。
「え? 論拠は論拠ですよ。
高校生だって理解できる。
読者を信じてこのまま使ってみましょうよ」
と私は思うのだが、
難しい言葉を易しくいいかえる=わかりやすくなる
と考える人は多い。

そんなこんなで、
いま文庫をつくっているのだが、
もとの文章を文庫化するにあたり、
イラストをふんだんに入れたり、説明を詳しくしたりして、
「よりわかりやすくしよう」という編集者さんの提案に、
なかなかのれない自分がいた。

そこで、行動力ある編集者さんは、
自分で具体例をつくったり
イラストのラフを手書きしたり、
難しい言葉をやさしい言葉に言いかえたり、
より詳しく丁寧な説明を加えたりして、
わかりやすく改訂したバージョンを作ってみせてくれた。

改訂されたものは親切丁寧。
しかし、
もとの文章と「読後感」がずいぶんちがっていた。

たとえて言えば。
もとの文章が1から10まですべて言いつくさず、
1,2,3→5→7→10
のような説明をしているとすると、

改訂した方は、
足りない情報を補完して、
1,2,3,4,5,6,7,8,9,10
のような詳しい丁寧な説明をこころがけている。

これでわかりやすくなったはず……
なんだけど、私には、

1,2,3→5→7→10
の説明の方が読後に、12も、13も、
想像させるような力があり、

1,2,3,4,5,6,7,8,9,10
の丁寧な説明のほうが、
読後に10しか受け取れないように感じた。

それならということで、

実証・実験精神に富む編集者さんは、
身内や同僚、友人、思いつく限りの人に、
もとの文章と、改訂したものとを
読み比べてもらった。

果たして結果は?

もとの文章の方がよいという反応を得た。
読んだ人は、
「改訂したものは、確かにわかりやすくなっている。
 でも理解という点で、
 もとの文章で充分理解できるだけでなく、
 理解・納得度はむしろもとの文章の方が深い」
というような感想をもったそうだ。

1,2,3,4,5,6,7,8,9,10と、
詳しい丁寧な説明をすることで、
ゴールに行くまでの手続きが増え、
ゴールは遠くなる。

1,2,3→5→7→10と、
一気にゴールにたどりつくことで、
はやく全体像がみえてくる。

わかりやすくといわれると、私もつい、
説明を1から10まで、
より詳しくしようとして失敗する。
同じ10を言うのなら必要最小限の手続きでと心得たい。

わかりやすくするというときに、
「吸収されやすいカタチにする」
という意味でつかっている人がいる。
とにかく難しい言葉は使わないなど、
抵抗感なく、ラクにすらすら入るようにしてあげようと。

一方、「ちゃんと理解できるようにする」
という意味でつかっている人もいる。

どっち一辺倒になっても本当にわかりやすくはならない。

わかりやすくと言われたとき、
あなたはどんな作業をしてますか?

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2007-01-31-WED
YAMADA
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