YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson342 会社員の貯金


3月はなぜ、不安になるんだろう?

「カタチ」になるからだ。

異動なり退職なり組織再編なり、
3月は、人も動くし、組織も動く。

カタチとなって現れているのは、
ふってわいた災難やラッキーなどではない。
たぶんかなり前から、あった。

別れゆく人の心は、
たぶんかなりまえから分かれていたろうし。
理不尽なカタチには、
それを生み出してきた理不尽なツケがある。

ただそれが、水面下にもぐり、
カタチを与えられていなかっただけで。

それが異動なり、再編なり
はっきりしたカタチとなり
目の前につきつけられるのが3月で、

私たちは現実の何たるかを知る。

カタチになってはじめて
自分の置かれた現実のなんであるかを知り、
動揺が隠せない人もいるし、

すでに、カタチでない
水面下の動きを敏感に感じ取っていた人は、
とうとうきたかと受けとめられる。

カタチとしてつきつけられても、なお
その現実の意味するものに気づけない人もいる。

2000年に、私が会社を辞めたときも、
突然のことのように思ったが、
分かれ道はもう、ずいぶん前に来ていたように思う。

人事異動の内示をもらったとき、
「とにかく山田さんには編集力を生かした職場を」と
もといた部署と人事部が配慮してポストを決めた。

ところが、異動先にあいさつにいってみると、
そのポストでない他へ行けという。

理由は、そのポストは重要なところだけに、
よそからきた人がいきなりつくことはありえない
すくなくとも1、2年その部署を経験した人でないと
ということだった。

従業員が千の単位以上の会社では、
人事異動で、送り出す側と受け入れ先のつもりがズレて
予定していたポストにつけないということも
めずらしくない。

なにしろ一時期に大量に人が動くのだ。
ジグソーパズルの、欠けるカタチと、はめ込む先は、
そんなにつじつまがあうようにできてない。

そういうことはすでに聞いていた。
自分の身近な同僚もそんな目にあっていた。
にもかかわらずどうしてか自分にはそんなことはないと
思っていた。

会社員の実績って、どこに貯金されていくんだろう?

在職中、リーダーが変わるたび、
職場の風景は一変して見えた。

それまでリーダーに取り立てられ、
生き生きしていた人ほど、
リーダーが変わったときショックは大きい。

新しいリーダーは、また違う人を取り立てる。
もしくは、前の部署から、なじんだ人を連れてくる。
人間関係の地図が変わる。

私はリーダーにおもねることができず、
それゆえ取り立てられるということもなかったが、
それでも一緒に何年か働いていくと
リーダーとの間に信頼関係ができる。
するとリーダーは、自分の実績や長所をわかって
使ってくれるようになる。

せっかく絆ができて、これからというときに、
よくリーダーが変わった。
リーダーが変わると、砂山を波にさらわれるように
それまで築いた信頼関係もチャラになる。

新しいリーダーとは、
またいちから信頼関係を築いていかなければならない。

人事異動のバトンの受け渡しのズレ、
リーダーが変わるたびリセットされる信頼関係、

なにか自分の把握しきれないところで、
自分のことをよく知らない人たちの手によって、
自分の仕事人生が左右されかねない。

仕事という自分のアイデンティティにかかわる決定権を
なにか見えないものに握られている。

そのことへの不安は
ずっと潜在的にあったように思う。

たぶん人の入れ替わりが激しい大企業ゆえの不安だ。
大企業を選んだのはほかならぬ自分自身だ。
でも自分はどうして
よりによって大企業を選んだのだろう。

いまその不安がとうとうカタチとなって現れてしまい、
いまさらのようにあわてふためいている。

「山田さん、あなた何年目?」

新しい部署の私より若い女の部長が言った。
人事からいっている私の資料に目をとおしてないのは
あきらかだった。
一瞬でモチベーションをなくさせる、
こんな言い方をするかな、と思った。
私のことをまるで知らない部長が行けといったポストは、
どんなに謙虚に考えても、
自分のやってきたことにまるで見合わないポストだった。

自分の編集の実績を知る人なら
冗談でも言わないだろう。

この若い女の部長が悪いのなら、
問題は単純だ。

でも、ここには悪者はいなかった。

実際、この部長は、あとから私の実績を伝え
理解したとき、予定のポストに就かせようとしてくれた。
私のわかる人だったとおもう。

でも、その時点では余裕がなかった。
若い女の部長は、余裕のない顔をしていた。
それはそうだ。
30代そこそこで部長になり、
あずかる従業員も、扱うお金も半端ではない。
まえの部長からの引継ぎや、新組織の方針や体制作り、
プレッシャーと仕事はすさまじいほどあっただろう。

異動者1人ひとりのことまで
手がまわらないというのが現実。
少なくとも私にはそう映った。

人間の扱いとなると、
年輪や経験を積んだ人がうまかったりする。
だけれど、気がつくと、
部長の年齢はどんどん若くなっていた。

どうしてそういう人が起用されていくかというと、
やっぱり効率が優先されるからだろう。

会社員の実績ってどう貯金されていくんだ?

やはり、利益効率という方向で
数字として実績を積み上げていった人が
会社ではいちばんわかりやすい。

これから数年仕事という
自分のアイデンティティにかかわる決定権を
この人に握ってもらうのかな、と思ったら
気持ちがついていかない気がした。

私は30代後半になっており、
自分のやりたいことの方向性もはっきりしてきていた。

なにか自分の把握しきれないところで、
自分のことをよく知らない人たちの手によって、
自分の仕事人生が左右されかねない。

かりに、その異動で意志を伝え、
理解してもらえてのりきれたとしても、
また数年先に、おなじ脆さはついてまわる。

また、いちから仕事をおこすことも、
いちから信頼関係をおこすのも、相当なパワーが要る。

それをまた、脆い土台に積み上げるのか、
それとも、自分に信を置いて積み上げてみるか。

それまでよぎりもしなかった退職を
現実的に考えるようになったのは、
そんなきっかけからはじまった。

会社員の実績ってどこに貯金されていったんだろう?

私は、私が担当していた薄い小論文の冊子を想った。
わずか64ページ、2色刷りの。
いちから自分たちで考え、工夫を重ねてつくった冊子。

かけがえがない。

もしも世界中からオファーが来て、
「どんな一流誌の編集長にでもしてあげよう」
と言われても、
私は、自分でつくった小論文の薄い冊子の編集長がいい。

予測もつかず、心の準備もなく
その仕事と分かれなければならないと知ったとき、
きれいごとではなく浮かんだのは、
読者の高校生たちだった。

自分が会社員としてここにいたこと、
やってきたこと、
なにかひとつでもいい、
高校生の中にかけらでもいいから、
生きて、根付いて、羽ばたいてくれ。

私の名前も、私の存在も、教材の名前も、
全部忘れていいから、なにかひとつ。
自分の頭で考える面白さや、
考えて、自分の意見を見つけること、
考えて進路を切り開くこと
なにかひとつでいいから。

会社でなく、
上司でなく、
ましてや人間関係でもなく、
「読者」に貯金を積みあげていったことが、
いま自分を生かし続けているように思う。

あなたの仕事の実績はどこに積み上げられていますか?
と問われれば、いまは、
直接、読者や生徒の中に積んでいるという実感がある。

最後に読者からのメールを1通紹介して終わりたい。


<立ちどまって考えること>
今回の人事異動で、
筋道を考えることの出来る同僚は異動してしまい、
考えてくれる人はいなくなってしまいました。

劣等感を覚えて
自分を可愛がっている余裕はなくなりました。
私が、到達するべき目的を明らかにし、
道筋を考えなければ、
今私がいる部署の研究予算は
無くなってしまうことになりました。

まさに、
「これまで知らず知らず何かに委ねてきたものを、
 すべて引き取って、
 『自分の頭で考える』こと」をしなければなりません。

足りないところを
同僚に補って貰うということができなくなり、
私が考えなければならなくなりました。
不安です。孤独になります。

考えるための材料を自分の足で追い、補足し、考える。
能力の問題は否めないことなので、
結局、予算は獲得できず、
異動の憂き目にあうかも知れません。

しかし、覚悟して、自分で動き、考え抜いた後ならば、
駄目な結果になっても。
ものすごく悔しいし、悲しいでしょうが、
諦めることができるかもしれません。
(読者Kさんからのメール)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2007-03-28-WED
YAMADA
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