YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson343 進路に不安がよぎるとき


私は、会社員を16年ちかくやった。

ほんとうに面白く、
定年まで勤めてもいいと思っていたが、
ときどきハタ、と、水をかけられたように
「これでいいのか‥‥」がよぎることがあった。

後輩にこんなことを言われたときもそうだった。

「こうなりたいと思える先輩が1人もいない職場なんて、
 そりゃ、まずいですよ。
 そりゃ、そこにいる山田さんがまちがってますよ。」

瞬間、ハタ、と言葉を失った。

「あれ? 私がまちがってる???」

自分のキャリアアップの目標になる人物が
1人もいない職場に身を置くことは
まちがっているのだろうか?

それまでの自分なら、
会社に目標がいなくても、自分が第一号として
新しいポストを切り拓いてみせる、と
すぐ言い返せたはずだ。

それがどうしてか、そのとき言葉が出なかった。

在職16年のおわりごろのことで、
よもや会社を辞めるなどとは思わず、
仕事はノリにのっていた。
でも組織と自分とのきしみは、もう、
見えないところで大きくなっていたのかもしれない。

自分の会社には、どうして
自分のキャリアアップしたい方向に
先輩がいないんだろう?

自分はなぜ、
キャリアアップの方向性が違う集団の中にいて
なんでわざわざ、そこに前人未到の道を切り拓こうと
1人がんばっているんだろう?

自分はどうして、
キャリアアップの方向性が重なる先輩たちが
いきいきと活躍する職場を探そうとか、移ろうとか
考えてみなかったんだろう?

自分の思う方向での先輩たちがいっぱいいる、
少なくとも1人はいる、
そういう職場でがんばったってよかったんじゃないか?

自分がここにいることはまちがっているのだろうか?

入社したころは、
あの人のようになりたい、
この人のようになりたい、
キャリアアップの手本になる先輩がいっぱいいた。

それが11年目、「分岐点」が訪れ、

「自分の職場には
 人間として尊敬できる人物はたくさんいるが、
 仕事の方向性で自分がこうなっていきたいと
 キャリアアップの目標になる人がいない」
という状態になった。

私はとにかく編集の仕事がやりたくてやりたくて
編集をさせてもらえる企業に入った。

愚直な努力が11年目にやっと実を結び、
社内ではまねできるものがいないと言われる編集物が
できるようになっていた。
そこが分岐点だった。

ふと気づいてみると、
自分と同年代かそれ以上の人が
ほとんど編集の現場にいない。

仕事の厳しさに辞めていく人もいた。
人事や営業など社内のほかの仕事にうつる人もいた。
転職したり、復学したり、独立したりの人もいた。

見渡せば、自分のまわりにいる先輩たちは、
いわゆる経営陣コースの人ばかりだった。

課長から部長へ、そして重役へ、
はては社長か、役員か。
経営陣コースをまっとうしていく人たちばかりで。

その人たちの中には、
懐の深い先輩や、コワイくらい仕事ができる先輩と
尊敬する人もたくさんいるのだけど。

自分は「編集」をやりたくて会社にはいったのだから、
「経営陣」への志向はまったくない。

ただその意味で、
「ここには将来こうなりたいと思える先輩がいない」
と言ったまでだった。
それが思いがけず後輩に猛ツッコミされて動揺していた。

どうしてか、
私のいた職場では編集者の立場が低かった。

なぜ朝会ではいつも、
編集でなく、営業が主導権を握るのだろう?

なぜ、経営陣コースには、
課長、部長、重役、はては社長、と
はっきりしたステップアップの道があるのに、
編集には、編集課長、編集部長‥‥と
ステップアップの道が見えないんだろう?

なぜ、仕事ができる編集者は、
もっと難しい、もっと面白い編集の仕事にいかず、
やがて編集実務を放させられ、
やがて経営陣へと取り込まれてしまうのだろう?

経営陣コースの人も、
編集者のような専門職を志す人も、
ずっと自分の仕事をまっとうできて
経験や能力に応じて等しく尊重される、
それが願いだった。

それで私は、
自分が編集者としてつきぬけたものをつくれば、
会社の見方もかわり、
社内の編集者の立場も向上するんじゃないかと考え
そこに迷いなくひた走った。

11年目の仕事が評価されると、
私は、かなり理想的な立場で会社に残れていた。

年長になっても
思う編集の仕事が存分にやれ、
それが社内的にも、理解され、尊重された。
かなり挑戦的な試み、思い切った企画も
やらせてもらえるようになっていた。

むしろ、そうなってからのほうが迷いは深くなった。

というのも、自分が未熟なうちは、
自分の能力が足りないとか、
周りの人の理解が足りないとかだけを
悩んでおればよかった。

いざ成果が出せ、周りの理解も得られると、

それは、私だけにかなりイレギュラーな形で許された
仕事のあり方で、
いっこうに社内に波及していく気配がないのだ。

私はそのときになって、やっと
「自分の職場には
 人間として尊敬できる人物はたくさんいるが、
 仕事の方向性で自分がこうなっていきたいと
 キャリアアップの目標になる人がいない」
という状況には、
もっと構造的な問題があるんじゃないかと気づきはじめた。

進み続ける企業では、
そこに働く人もみな進み続けなければいけない。
そのときに、進化の方向は少なくとも3つあると思う。

「利益」「領域」「質」。

「利益」というのは、文字通り、
去年より今年、今年より来年と、利益を伸ばしていくこと。

「領域」というのは、たとえば、営業の仕事がわかったら、
次は技術の仕事、それがわかったら次は経理の仕事と、
自分が扱ったことのない仕事へと領域を広げていき、
さまざまな視野から
仕事を見ることができるように伸びていく。

そして「質」。
ひとつ面白い仕事をしたらもっと面白い仕事へ。
ひとつスキルが使いこなせるようになったら、
つぎはもっと難しいスキルが要求される仕事へと、
仕事の質を高めていくことだ。

新人のうちは、この三つのどれから、
どんな風に伸ばしても
三つそれぞれの進化につながる。

でも、一人前に会社に利益が出せるようになり、
質も、仕事への視野も広がると、そこから先は、
人によって志向はわかれる。

さらなる利益を追求したい人。
さらに仕事の領域を拡大したい人。
さらなる質を追求したい人。

私は11年目の分岐点がきたときに、
「質」を志向したんだと思う。
利益は採算がきちんととれるようにする。
それ以上のやみくもな利益の追求はせず。
それよりも、新しいものや、質を上げていくことを目指す。

だけど、企業のゴールはなにかというと、
やっぱり「利益」だ。

経営陣を志向する人は、やっぱり
常にちゃんと会社の利益を伸ばすことを考えている。
だから会社からも大事にされるのだ。

だから会社では、
よく仕事ができる人を、
より質が高い仕事をする所へいかせようとするのでなく、
より利益を出るところへいかせようとする。

極端なたとえでいうと、
ピラミッドがあるとして、
お客さんがたくさんいるのは、
ピラミッドのすその部分だ。
より万人に愛されるものをつくるとたくさん利益がでる。

ところが、もっと質を追求しようとか、
もっと難しいスキルをというふうに、
質をつきつめていくと、
へたをすると、
そういうとんがったものがわかるお客さんは、
ピラミッドの頂点のほうの、ほんのひとにぎりしか
いないかもしれない。
利益はでないかもしれない。

それは極端な例だけれども、
ひとつ面白い仕事をしたらもっと面白い仕事へ、
ひとつスキルが使いこなせるようになったら、
つぎはもっと難しいスキルが要求される仕事へ、

淡々と質を追い続けるという行き方が、
この先会社でできるんだろうか?

会社員天職と思っていた自分の先行きに
不安がよぎったのは、そんな問題意識からだった。

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2007-04-04-WED
YAMADA
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