YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson354 会話のゴール


「なんであの人と話していると
 いつも、もうひとつ、つまらないんだろう?」

先日、そういう友人の言葉にハッ、とした。

プライバシーに抵触しないよう改変を加えて話そう。
友人は大手広告代理店にいる。
それで会社帰りによく飲みに行くガールフレンドというか、
まあ同期の「女の同僚」がいるそうだ。

その同僚は、仕事ができて、話題も豊富で、機転もきく。
友人とは趣味も合い、おまけに美人で頭もいいと
いいことづくめだそうだが、

なぜか話をしていて、もうひとつ面白くないと言う。

友人は、なぜか、と考えて
そして気づいた。

「その同僚は、いっつも最後には、
 自分が社内のだれとだれに評価されているか
 という話になる。
 自分にはそれがつまらないんだ」と。

会話のゴール。

いつもいろんな話をしても、
結局いつも行き着くところ。

それが、「自慢」というか、自分の「手柄」というか、
「いつも」そればっかりでは、やっぱり、
もひとつ面白くないよなあ。

反射的に、パッと、幼なじみの顔が浮かんだ。

私には、もう30数年のつきあいになる幼なじみの友人、
かよちゃんがいる。
そういえば30+数年になるが、
私は、かよちゃんが「自慢」というか、
自分の「手柄」を語るのを一度も見たことがない。

彼女の会話のゴールは、
いつもどこに向かっているかと記憶をたどってみると、

不思議なことに、「ない」。

「またその話か」「結局いつもそこかい」
というようなお決まりのパターンがない。

30数年もつきあってて、パターンが読めないって
実はすごいことではないかと気がついた。

彼女だけではない、
私が話をしていて面白いなあと思う人、
なぜかまた会いたいと思う人は、
会話のゴールに、
わかりやすい、お定まりのオチがない。

反対に、いい、わるいでなく
やっぱりパターンがある人がいる。

結局いつも最後には、「会社の批判」になるとか、
「社会批判」にいくとか。「政治批判」になるとか。

自分の「身近な人の自慢」、
嫁自慢とか、こども自慢とか。

結局、ある分野のことについて、
自分はよく「知っている」ということを
言いつづけていたり。

結局「自分はまちがってない」ということを
証明していたり、
逆に「自分がまちがっていた」と
へこんで終わったり。

いつも最後には「がんばる」宣言になっていたり、
なにか「不安」を抱えていて、
何を話しても、どうしても、
最後にはいつもその不安に関心が戻ってしまったり。

やっぱりパターンが同じで読めてしまうと、
人はあきるんだなと思う。

私が話してて面白いと思う人たちも、
会話のゴールに、なにか方向性がないわけではない。

だけどそれは「自慢」とか、「批判」とか
「我」みたいなところで、
あっさりくくってしまえるようなゴールではなくて、
たとえば、
「もっと面白いことはないか」という方向だったり
「もっと創造性を生かすには」という方向だったり、
広がりがあって、自分も相手も関心をもってそれにノッて
育てていける、そういうゴールの方向性を持つ。

ゴールのパターンに変化がもたせられるかどうかと、
ゴールそのものが面白いかどうか。

それが「もうひとつつまらない会話」から抜け出す
ポイントかもしれない。

私自身、このところ、
コミュニケーションがうまくいっていない相手との
会話をふりかえってみた。

うまくいっているとき、
自分と相手の会話は、「テーマ」をはさんで、
キャッチボールしながら、
「予想もつかないゴール」に向けて転がっていく。
これがワクワクおもしろい。

ところが、衝突したりして、うまくいかなくなると、
自尊心も傷つくし、不安にもなるので、
おたがいの「人間性」みたいなところに目がむきやすい。

これだと、会話のゴールは2つ、
「自分」か「相手」か。

褒めてもけなしても、
自分の人間性がいいかいけないか、
相手の人間性がいいかいけないか、
というゴールは、
どこまでいっても、息がつまりそうなしんどいゴールだ。

お互いの人間性に目を向け、
そこを掘り下げて通じ合うようなことは、
うまくコミュニケーションがとれているときでさえ
難しいのに、
ましてやトラブルがあったときに
そこで通じ合おうとしても、なかなか通じ合えない。

そういうやりとりを何度もくりかえしているうちに、
自分が悪いか相手が悪いかという
パターンにはまった出口にうんざりしてしまう。

そういうときほど、「自分」か「相手」かではない
第3のゴールに出ることを考えたい。

つまり、自分と相手に「テーマ」を立てることだ。

きれいごとにきこえるかもしれないけれど、
なにか無理やりにでも、テーマを立てて、
自分と相手の人間性のにらみあいのゆきづまりから
目を外に向けることも考えたい。

テーマが面白ければ、こじれた相手とも、
いつものゴールではないところに、
話が転がって、
どっか何か接点をみつけられるかもしれない。

本来の衝突はそのままでも、
テーマによる接点を、
ひとつ、またひとつ、とふやしていくことで
外堀から通じ合えるかもしれない。

会話がゆきづまるとき、
自分のゴールはいつもどこに着地しているだろうか?

それは自分と相手から見て面白いゴールだろうか?

いつも同じゴールに陥ってしまうとき、
なにか新しい「テーマ」をはさんで
相手と話し合ってみよう。

次は、いったことのないゴールを目指してみよう!

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2007-06-27-WED
YAMADA
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