おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson374 気持ちは順番に外へ出る ある学生の身近な人がケガをした。 ケガをし療養する姿を見て、 ふしぎなことに、 学生の中にわきおこった感情は、 「怒り」だった。 学生は怒りをおさえきれず、 ケガをしている相手にも向けてしまった。 さすがにケガで弱ってる相手に 怒りの感情をむけるなんて‥‥、 と後悔し、あやまった。 でも、あやまっても怒りは消えない。 「自分は、なにを怒ってるんだ?」 そこで学生は、 ていねいに問いを立て、 自分の気持ちを引き出し、整理し、考えた。 考えて、考えたすえ はっきりわかった。 「自分は頼ってほしいんだ」 ケガした相手に もっともっと自分のことを頼りにしてほしいし、 頼りになる人間だと思ってほしい。 それがわかって学生は 非常にスッキリしたという。 これは、大学の表現の授業、 学生のスピーチのひとこまだ。 学生の表情は晴れ晴れしていて、 聞いているこっちまでスッキリと胸が晴れる。 人の心が氷山だとしたら、 その深い深い底のほうで、 まだ言葉にならない強い想いが とぐろを巻いている。 「考える」ことで、 氷山の中を一気にもぐり、 その一番底にある想いを「言葉」にし、 スポン! と外へ出せたとき、 本人もスッキリするが、 聞いているほうにも独特のカタルシスがある。 だけではない。 学生は、このことをケガした相手に伝えたところ、 伝わって、とても感動されたそうだ。 反対に、 考えても、考えても、 思考が迷走し、 氷山の底の核心にたどり着けないとき、 本人も苦しいが、 聞いている方も、独特の苦しさがある。 たとえると、難産を観ているよう。 産もうとして、産めない。 氷山の底の想いが大きいほど、 本人は出したいし、出にくいし。 聞いているほうも思わず、いきんでしまう。 氷山の底にとりのこされた大きなこどもが 言葉にしてくれ、外へ出してくれ、 という声がのこるまま、 そのままにしておくのは、 まわりまで、なんともいえぬ残留感がある。 思考が、まっすぐに進み、 氷山の底の核心をつかんで言葉にし、 浮上させられる人と、 考えても考えても思考が迷走し、 核心にたどり着けない人と、 いったい何がちがうのだろう? 理由は、複合的にあるのだけど、 ひとつはトレーニングかな、と思う。 つねに梅干くらいの大きさのこどもは産んどかないと。 つまり、それくらいの日常のちょっとしたモヤモヤを、 言葉にして外へ出す訓練をして つねに考える筋肉を使っている人が、 やがて、りんごくらいのこどもが産めて、 いざとなったら、すいかくらいのものも外へ出せる。 でも日ごろ鍛えていない人がいきなり、すいかは無理だ。 思考がまっすぐ進む人と、迷走する人、 違いは何か? ともう一度考えたとき、ハッとした。 思考がまっすぐ進む人も、すでに迷走している。 どういうことかというと、 冒頭の学生は、心の底では「頼ってほしい」と 思いながらも気づくことができず、 まず怒りの感情を相手に向けてしまった。 でもそうして、感情を外にだして失敗したからこそ、 「あれ、これはちがうな」 と気づけたのだ。 他の学生のスピーチを聞いても、 たとえば、就職問題でもめていたとき、 母親にひどい言葉を言ってしまい、 その感情はなんなのかと考えていって、 本心にたどりつけたとか、 父親とほとんどケンカ別れのようなことをしてしまい。 でもそこから、父親の若いころの生き方に想いをはせ、 父親もまた若いころ、 親とケンカして家を飛び出したことに気づき、 自分の本心をとらえなおしたり、と。 思考において、優れているようにみえる学生たちも、 実体験において、迷走し、失敗し、 失敗をとおして初めて、 「あれではない」「これでもない」と気づき、 やがて氷山の底へと 思考が向かざるをえなくなっていっている。 だから思考が前へ進む。 気持ちは順番に外に出る。 表面的な、浅い、感情から、 徐々に、深い、自分の本心へ。 そう思ったのは私がまだ 会社に勤めていたころの経験からだ。 上司から仕事をふられたようなときに、 必ずネガティブなことを言う人がいた。 そもそもそんな仕事やる意味はあるのかとか、 自分にそれができるのかとか、 文句をいっているように見える。 ひととおり文句を言ったあと、 じゃあやらないのかとおもっていたら、 「やる」という。 で、いったん引き受けたら、 ほかのだれより責任感をもって、 高い質でやりとおすのだ。 その人は非常に仕事ができる人だった。 その人が、 「どうしてかモチベーションが上がる仕事ほど、 いったんネガティブな感情がわきおこる。 それを言わずに、 だまって仕事をやればいいのに、 どうしても言わずにおられない」 と言っていた。 気がつけば、 上司にまったくさからわず、 だまってすんなり仕事を受けたような人が、 途中で苦しくなったり、ちょっと無責任になったり、 という光景もあった。 仕事ができる人は、 引き受けるときにいろいろ言う人が多かった。 口も出すし、仕事もするし。 氷山の根っこにモチベーションがあるのだから、 だまってやればいいのだろうが、 まず浅い地層にあるネガティブな感情を吐き出して、 それからでないと、 本心にあるやる気も起き出してこないんじゃないか。 浅いところにある、 つまらない感情だと外に出さないでいると、 それがフタになって、つづく感情も、 つぎつぎと、詰まっていってしまう。 冒頭の学生も、 怒りは胸にひめ、 頼りになる自分のみを表に出すというのが理想だろう。 でも、そんなことができるのかなあ。 人間だれしもとは言わないが、 少なくとも、私には、できそうもない。 怒りを秘めたままだったら、それがフタになって、 本心にも気づかなかったか、 ずっとあとになって、 ケガもすっかり治ってしまってから気づく 気づいたときはもう遅いと、私ならなりそうだ。 気持ちは順番に外へ出ていく。 浅い、つまらないものから、 徐々に、深い、核心へ。 そう考えると、 自分のまわりのネガティブなことを 言ってくる人も、 「なんでこっちががんばっているのに、 こんな、やる気をなくさせるような嫌なこと 言うかなあ」と思っていたけれど、 その人は、それをやらないのでなく、やろうとして、 まずそれを言わないと先に進めないのかもなあ、 言わせておいてあげようかなあ、 という気にもなってくる。 表現のフタになっているのは、 案外ちいさな、取るに足りない感情かもしれない。 それ出して、失敗して、思考を先へ進めるか? 出さずに、失敗せず、思考は止まったままか? 気づいたら私は、 去年から完全に思考がストップしていることがある。 失敗し、恥をかいていいので、 私は外へ出していこうと思う。 前へ進んでいたい。 |
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2007-11-21-WED
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