おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson381 書くという選択 浜崎あゆみさんの左耳のことを聞いて、 自分の中に疼くものがあった。 多くの人が、健康第一とか、体が資本とか、 そういう言葉に落ち着くのかもしれないけれど、 私は、他人事ですまされない、 彼女の選択を尊重せずにはおられない。 尊重などと私が言うのもおこがましいけれど、 彼女の選択と、そこから生み出された作品について、 尊い、重いと思わずにはいられない。 ちょうど去年の今ごろ、 私は、左目が見えなくなった。 といっても、たった1回、ほんの数分間のことだ。 すぐ見えるようになったし、それからいままで 一度もまったく再発していない。 大事にしたので、経過がとてもいい、安心してほしい。 不思議なことに、数分とはいえ 左目が見えなくなったのに、 私がまず考えたのは、 「書かなくっちゃ」ということだった。 「片目で原稿書けるかなあ」と心配した。 病院にさえ行く頭がなく、やり過ごそうとした。 後日、家族に電話したら、反応が尋常ではなく、 われにかえって病院に行ったら、 「ストレス」だと言われた。 目にも血管が通っているが、 ストレスで血管が収縮すると、目に血がいかなくなる。 後日、友人や知人にその話をしたら、 同じ原理で、耳が聞こえなくなった人の話を複数聞いた。 医者は、「さほど心配することではなく、 かといって、これという治療法もなく、 ただストレスをなくすしかない」と言った。 そう言われて、 自分がクタクタになっていることに気づいた。 原稿を書くとき、 私は、独特の神経の使い方をする。 説明するのが難しいが、たとえると、 スケート選手が3回転半ジャンプをする、 あんな感じかと思う。 日常ではありえないような、集中・緊張状態に 心というか、思考が、ふっと入り込む瞬間があり、 その瞬間に、メインテーマの核のようなものが生まれる。 そこからすぐ原稿が書きあがることもあれば、 生まれた核を文章化するのに四苦八苦することもある。 ともかく意図しても、 そういう瞬間が訪れるとは限らない。 原稿を書く前に、 もうメインテーマを授かっていることもあれば、 締め切りが目前にせまっても、 いっこうに訪れないこともある。 書きながら考え、何度も直した果て、 最後の最後にかろうじてつかめることもある。 当時は、自分のキャパがわからず、 キャパを超えて原稿を引き受けてしまっていた。 テーマが授かってから書く、というのが 健康な状態なのだろうが、 当時の自分は、締め切りに追われ、 テーマが授からなかったらどうしようとオタオタした。 書く内容を考えていたら、自然に、 3回転半ジャンプのような集中状態が訪れ、 テーマの核がつかめていたというのが本来の姿なのに、 作為的に、3回転半ジャンプのような集中状態に 自分を追い込んで、テーマをつかもうとした。 3回転半ジャンプのような集中・緊張状態は、 自然に訪れても、とても体力を消耗するものだ。 ましてや意図してやろうとして、やれなくて、となると、 何度も繰り返すうちに、当時の自分は、磨り減っていた。 スポーツ選手なら、 度を超えてジャンプをやりすぎて、 靱帯を痛めたような状態だったと思う。 お医者さんから、 「原因もストレスなら、 治すにもストレスをなくすしかない」 と言われ、自分はどのような選択をしたか。 私の好きなロックの歌に、 「右へ行けばSOUL、左へ行けばLIFE、 どっちへ行ったらいいのか?」 というような意味の英語の歌詞がある。 LIFE か? SOUL か? 浜崎あゆみさんは、そこでSOULを選んだんだと 私は思った。 仕事のためには、 けっこう犠牲を払ってきたつもりの自分も、 目となると、さすがに腰が引けまくっていた。 そのときの感覚から察するに、 健康の大切さは、突きつけられたとき、 本人が、他人が思う以上に恐く、痛く、感じている。 そこで別の道を選ぶということは、 やろうとしても生半可なことでは到底できない。 そこに強い意志が働いたと思う。 その意志の強さを思うと、 その選択に尊厳を感じずにはいられない。 正しいかどうかで言えば、 私も健康第一となるのに、 それでも別の道を選んだ人が強烈に 焼きついているのはなぜだろう? 例えば、たくさんの俳優が現れては消え、 名前も顔も忘れていく人がいる中で、 松田優作さんをいつまでも忘れられない。 強い意志を持って選んだ選択か。 私は、あのとき何も選ばなかった。 事態がそれほど深刻でなかったせいもあるが、 スパッと書くのをやめて休養するでもなく、 それでも書くと腹をくくるわけでもなかった。 なんとなく腰が引けて、 仕事量を減らし、 なんとなく書くことに積極的になれない、 ということをなしくずし的にやっているうちに、 なしくずし的にLIFEの方を歩いていただけだった。 意志をもってLIFEを選んだなら そこからひらける道もあったと思う。 選ばなかった、ということのツケは大きかった。 無意識に痛んだ靱帯をかばうように、 3回転半のとこを、2回転にしとこう、 というような書き方をしているうちに、 ちょっとずつ、ちょっとずつ、 本当に書きたいものから 遠ざかっていた。 先週紹介した読者のメールに、 >今振り返ると、 >最初は「やりたい仕事がみつからない」と >思っていたはずが、 >「やりたい仕事は無い」に変わっていました。 >軽い気持ちで探す手間を惜しんだだけのはずが、 >いつの間にか存在を消し去っていたのです。 (SHOHEI) とあったが、まさに自分のことだと思った。 はじめは、無意識に痛んだ靱帯をかばうかのごとく、 ほんのちょっと、テーマをつかみに行くパワーを セーブしていたつもりが、 書きたいものがつかみにいけない、になり、 やがて、そっちは私が書きたいものではない、 になって、いっていた。 どういうことかというと、 私には、「片目でも書けるだろうか」と心配するほど、 当時書きたいものがあった。 自分なりに、新たな書く領域に首を突っ込んで、 一生懸命なときだった。 でも、新たな書く領域を開拓するのは、 全身全霊で臨んでも大変なことで、 ましてや、パワーをセーブしてできるものではない。 目を言い訳にして、本当に書きたいものから、 ほんのちょっと、ほんのちょっと逃げているうちに、 けっこう大きく書きたいものから遠ざかっていって、 書きたいものがつかみにいけない、から、 そっちは私が書きたいものではない、になって。 「書くことが無い」は悪いことではない、になっていた。 存在を消し去ろうとしていたのだ。 昨年来、「書くことが無い問題」を、 ずっと採りあげていたワケがわかった。 「書くことが無い」状態を、なんとか肯定しようとして 肯定しきれなかったのは、実は自分自身だ。 ほんとうに書きたいものをつかみにいかずして、 書ける領域で探しても、そこに書きたいものは無く、 それはやがて「私には書くことが無い」になっていく。 何度もこの同じトラップにはまってしまう。 自分でも気づかなかった、その状態に、 ずっと揺さぶりをかけつづけていたのが、 いま教えている大学の学生たちだ。 彼らはプロの書き手ではないが、 プロ以上の高い意欲で、 かげんなく、自分全部で書くことに挑んでくる。 難しいメニューでも「面白い!」といってこなす。 楽しむというのは、 つくづく能力の高い行為だと感心させられる。 でも、書くことが苦しいと訴える学生もいる。 その苦しみがまた、いい。 苦しみどころが、的をはずしていない。 プロがぶちあたるような表現の苦しみを 勘所をはずさず、もうつかんでいるのかと 尊敬の念がわく。 そのようにして、心底面白がったり、 苦しみの勘所をついていればこそ、 なんとか逃れようとあがいたりしながら、 それでも書くことにひたむきな学生をたちを見て、 自分の姿を見つけた。 逃げようとしていた自分も、 苦しみの勘所をついていればこそと思えば、 そこに希望はある。 書くことは、人間にとって 歓びの深いものである反面、 とても億劫で、無意識にでも、 何とか理由をつけてでも逃れたいものである、 ということを常に自覚していようと思う。 読者の言葉を借りれば、 「私に書きたいものなど無い」 と思っていた期間が長ければ長いほど、 「あるはずだ」 に変えるための労力は大きいという。 学生たちと、たくさんの読者メールおかげで、 私は変えることができたのだから、 これから時間がかかっても、本当に書きたいものに 近づいていこうと思う。 最後に、読者からもらった次のメールに とても勇気をもらったので、紹介して終わりたい。 書くという行為は、 自分を表現しながら人とつながっていられる方法の 一つだと思う。 自分という人間を理解してもらい、 相手に対しても理解を示す。 だから本当の自分を表現しないと意味がない。 格好つけても仕方がない。 「書く」ことから逃げてもいけない。 書けない時は、 きっと何か大切な事に気付いてなかったり 何かを見過ごしていたり、 見失っていたりする時なのかもしれない。 だからこういう時こそ、いつもよりもっと注意深く 自分や相手の事を考える。 書けないと逃げてしまわずに書けない自分と戦う。 そうすれば必ず何かが生まれる。 「考える」と「書く」を繰り返すことで、 本当の自分を知り 自信をもってそのままの自分を伝えることが出来る と思うようになった。 「書けない」時こそ本当の自分や相手を知る 絶好のチャンスと思っている。 「書く」ことで人とつながることの楽しさを 私自身実感している。 肩の力を抜いて自由に書いて周りの人と共鳴する。 それでいい。 (兵庫県 NAO) |
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2008-01-16-WED
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