おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson392 人をわかる力 「命がかかっていても、 人は、正論で確実な方法よりも 自分が選びたい道を行きたいのです。 そして、そういう自分をわかってほしい、と思っている。 人間って自分勝手で難しい生き物ですね。 でも、わかってほしいようには、 わかってもらえないから、 みんな少しずつ寂しいんでしょうね。」 これは、ある編集者さんからもらったメールの言葉だ。 その編集者さんとは、 「わかってくれる」とはどういう人か、 つきつめて話しをした。 「“つつんでくれる” と “わかってくれる” はちがいますよね」 と私が言った。 自分の言うことをただ、だまって受けとめて、 何を言っても、よしよし、とつつんでくれる。 そういう存在は、ありがたいのだけど、 ときに、物足りない。 「わかるには、読解力がいりますね」 と編集者さんが言った。 そう。 わかってくれる人は、 人の話を聞き、理解した上で、 「適切な言葉を返してくれる」人だ。 それには、国語の読解力や要約力が必須だ。 だけど、言ったことを100%正確に理解してくれ、 100%的確な判断を返されても、 どこか満たされない感じがするのはなぜだろう? 言ったら言ったことだけしか返してくれない。 間違ったことを言ったら即、違うと返ってくる。 あまりに正しいのだけど、その正しさが一緒にいて痛い。 わかってくれる人は、 1しか言ってないのに、4も5も、 ときに10も察してくれる。 ときには、自分がまだ言葉にしていないことまで 感じ取って、手を差し伸べる。 その日、編集者さんとやりとりし、 行き着いた結論は、 「わかってほしい」というとき、 人は、何ものにもとらわれない正しい理解 なんか望んでない。 望んでいるのは、 「私がわかってほしいことを、 私がわかってほしいように、 わかってほしい」 ということだ。 冒頭のメールは、そのあと編集者さんからきたものだ。 そのメールにはこんな実例が引いてあった。 プライバシーに抵触しないよう 改変を加えて説明しよう。その編集者さんが目にした、 ネット上の、ある女性の日記からだ。 ある女性(Aさん)は、 高校のとき家を出て、自活をした。 以降、実家には頼ってないし、帰ってない。 高校も、自分の力で出た。 卒業して社会人になった。 その姿をずっと見て、何かと面倒を見てくれた、 隣の家のおばさんと、その娘さんがいた。 ところが最近、娘さんのほうが、 難病にかかり手術が必要だ。 親に頼らず、高校から自活してきたAさんに貯金はなく、 隣のおばさんも母子家庭で貧しい。 近所や、つて、仕事場の人など、 あたれるだけあたって カンパや借金を頼んでみるものの、 みんなお金に余裕がなく、 手術代は高額で先が見えない。 Aさんの日記はそんな内容だった。 それに対する書き込みは、 「実家にだしてもらっては?」というもの。 どうもAさんの実家は裕福なようで、 地元で知っている人もけっこう多いようだった。 それらの書き込みが呼び水になって、 「実家なら、そのくらいのお金一発で出せるのではないか」 「実家にもらえというのではない、借用書を書いて、 他人のように返済していけばいいではないか」 「先の見えない資金ぐりを続けて 娘さんにもしものことがあったらどうする」 という書き込みがたくさん。 Aさんは、必死になって、 「みなさん真剣に考えてくださってありがとうございます。 でも実家に頼る気持ちはありません。 私なりに、よくよく考えて出した結論です。 みなさんにもわかってほしい」 そこへまた書き込みが、 「失礼を承知で、人の命と、自分のポリシーと どっちが大事なんですか?」 Aさん、ほとんど悲鳴のように、 「私も人の命の大切さはわかっています。 そのために、最大限の努力をしています。 でも実家に頼る気持ちはありません。 隣のおばさんも一人で頑張ってきた私を 応援してくれています」 と。そのやりとりを見ていた編集者さんは、 「親に借用書を書いて借りるという意見は正論。 そして、他人に頼る資金ぐりは不確実という意見も正論。 しかしAさんは <親に頼らずがんばる方法を応援して欲しい> <そういう自分を励まして欲しい> と思っているのだと感じました」 と言った。 編集者さんはつづけて、 「Aさんがそこに書いていないので 勝手な想像ですが‥‥、」 と断った上で、 「Aさんは実家を出るときに、 家族とも絶縁に近い何かがあったのでしょう。 家庭に恵まれていない方なのかもしれません。 そういう意味でも実家に帰って助けてくれるとは 思えないのではないかと‥‥」 と言った。そして、 「命がかかっていても、 人は、正論で確実な方法よりも 自分が選びたい道を行きたいのです。 そして、そういう自分をわかってほしいと思っている」 と、冒頭で紹介した言葉をくれた。 「理解はときに命にもまさる」 いただいたメールを読んで私は改めて思った。 Aさんの言い分に対し、 「とにかく命には代えられない。 ここは恥をかいても、ののしられても、 実家に頭をさげてお金さえ借りれば‥‥」 と思う第三者は多いのではないか。 私も、そこにいたら、そう言っていたかもしれない。 でも、それをぶつけても、 Aさんの心は動かないし、 言えば言うほど、かえって、ますますAさんは、 自分の信じた生き方を貫こうとするのではと思う。 なぜかというと、「わかってほしい」からだ。 人はわかってもらえるまで、 安易にその生き方を、辞めたり、変えたり、 できないものだ。 Aさんがわかってほしいのは、資金繰りの方法ではない、 その根底にある、「親に頼らない生き方」だ。 Aさんが、高校から自活して生きるには、 人に言えない、いろんな事情や苦労があったと思う。 でも、その中でこそ「こう生きよう」という信念が 芽生えた。 この「信念」こそ、 Aさんがこれまでずっと大切に守ってきたものだし、 なかなか理解されないものだからこそ、 Aさんが自分の人生をかけ、身をもって伝えようとし、 だれかに一番わかってほしい部分ではないかと思う。 その一番わかってほしいところを、はなから、 「変えろ」「手放せ」という人に、 人はどんなに正しいことを言われても、 なかなか耳を傾けられないものだ。 わかってくれないと、わかってもらおうとする。 だからAさんは、ますます、 「親に頼らない私の生き方はまちがっていない」 「こういう生き方を貫くことには意味がある」 ということを、身をもって証明しなければならなくなる。 逆に、 Aさんを理解して、理解して、理解して、 進める人がいたら、 最終的に、Aさんの心を動かせるもしれない。 「Aさんの自立した生き方には意味がある」 「すくなくとも私はこう理解している」 「Aさんの生き方はまわりにも こんなふうにちゃんと伝わっている」 「こんないい影響を生んでいる」 というような理解をされたら、 Aさんのほうも、 「ああ、自分のやってきたことはまちがってなかったんだ」 「意味があった」「伝わっている」 「わかってくれる人が少なくとも1人はいる」 と余裕ができる。 そこに柔軟な考え方が生まれる余地ができる。 いまの時代に「女性に参政権を」ということで、 命をかける人はいない。 なぜかというと、女性の参政権はもう、あるからだ。 「わかってもらえたら、もう、それをしなくていい」 ということもたくさんあるのだ。 死を持って伝える、ということがある。 私はそういう方法をいいと思わないが、 抗議の自殺とか、身の潔白を遺書で証明するとか、 「わかってもらえない」ということは、 ときに「死ぬよりも辛い」ことなのだ。 だれかの心を動かすなら、まず、理解を注ぐことだ。 「ちがう、ちがう、あなたのここも、ここも、ここも、 全部ちがう、だから、あなたはまちがっている」と、 相手をねじ伏せ、相手の自信を奪って、自分の意見を通し、 それで交渉に勝つ、というやり方もあるかもしれない。 交渉は勝った、だが相手の心は死んだ。 自分の一番わかってもらいたいところを、 「わかってもらえない」というのは、 どんなにつらいかと思う。 私は、たとえ交渉ごとに負けてもいいから、 まず、相手への理解からはじめたい。 「わかる、わかる、あなたのここも、ここも、ここも、 あなたが大事にしてきたことを、私はこう見てきた。 あなたががんばってきたことを、私はこう理解している」 と。その上で、 「だから、こんな新しいやり方をしませんか」と。 理解して、理解して、理解して、進んでいきたい。 |
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2008-04-02-WED
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