YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson398 人を説得する力
   ――5 相手にアクションを起こさせる


人を説得しなければならないシーンで、
「困ったぁ‥‥」というとき、どうするか?

きょうはこんな読者の体験から考えてみたい!


<思わずポロッと>

38歳の技術系サラリーマン、「加藤」と申します。
急ぎの部品試作を余儀なくされた時の話です。

部品を作るには、「金型」と呼ばれるものが必要で、
金型の製作には、それなりに手間と時間がかかります。

私が必要としていたものは、
通常だと一ヶ月半程度の時間を要するものでした。
ただ、どうしても一ヶ月弱で完成品を入手する必要があり、
メーカーの営業さんに電話をしました。

 加藤  「この試作、急いでるんですよ。」
 営業さん「ほう。どれくらいで欲しいの?
 加藤  「一ヶ月、いや、三週間なんですよね。」
 営業さん「加藤さん、そりゃ無理だよ。絶対無理だ。」

このとき、それまでだと、山田さんの書かれている
「敵対的説得」の方向に似た話をしがちでした。
なぜ時間がかかるのかしつこく問いただしたり、
他のメーカーに変えてしまうぞと脅しをかけたり‥‥。

でも、なぜかこの時、自分の本音が思わずポロッと
出てしまいました。

 営業さん「加藤さん、そりゃ無理だよ。絶対無理だ。」
 加藤  「ですよねぇ‥‥。」(その後、しばし無言)

このとき、相手の営業さんに、私の困った顔が
電話を通して見えたのかもしれません。
いまでも本気でそう考えています。
つぎの営業さんの一言には驚きました。

 営業さん 「加藤さん、三週間でやってあげられるよう
       がんばってみるよ。万が一、少し遅れたら
       ごめんな。」

これには喜びを禁じえませんでした。
メーカーの営業さんは、ちゃんと約束を守り、
こちらの無茶な希望通りの日程で、納品をしてくれました。

説得の根っこは
「心を動かす」
これなのかな、と素人ながら考えています。
          (加藤)



「いま、ここ、にある気持ちを伝える」
それがやっぱり強いなあ、と思う。

以前塾の先生をしている人が、
カンニングをした生徒に対して、
「不道徳だ」と裁くのではなく、

「先生は悲しい」と言った。

善悪を議論するのでなく、
いまここにある自分の気持ちを伝える。

こういう伝え方がやっぱりしみると思う。
加藤さんも、電話越しに「困ったなぁ‥‥」という気持ちが
暗黙のうちに相手にひしっ、としみたのだろう。

意見が対立したときに、
相手のことを悪く言わず、
相手より優位に立とうともせず、
じっと現実に向きあっている人っていいよなあ。

好感が持てるし、
力になってあげようと思える。

この話を聞いて思い出すのは、
高校生にさせた「科目選択」のことだ。

私は会社で、高校生向けの
通信教育の仕事をしていたことがある。

例えば高校1年生が2年生になるような、
学年切り替えのとき、
高校生に、来年とる科目を決めさせる。

例えば、
「私は高1のときは英語と数学をとっていました。
 でも高2からは、英語と国語にします」
というようにだ。

でも、そういう「手続き」って、
めんどうくさがる高校生も多いので、
一大キャンペーンをはって、
サービスをつけて、
巨費を投じて、
「さあ、来年とる科目を申請しましょうね〜!」
とやるわけだ。

社員の労力もハンパではない。
だから、社員から疑問もでる。

「なんで、ここまでして高校生に
 選択してもらわなきゃいけないんですか?」

たしかに「自動継続」というシステムがあって、
なんにも言ってこなければ、
それまで「英語・数学・国語」をとっていた生徒には、
来年からも「英語・数学・国語」が自動的に届く。
それで会社は困らないしラクなのだ。

生徒のニーズにあった学習をさせたい、
新しく科目を追加してほしい、という会社の意図は
もちろんわかってはいるのだが、
科目を選択したがらない生徒を、
わざわざ呼び起こしてまで、
もし、英語・数学・国語と、3つのところを
英語だけ、と1つに減らされてしまったり、
うっかりやめられてしまったら会社はソンだ。

なのになんで、
そこまでして科目選択をさせるのか?

「それを自分で選んだかどうか。」

当時の上司が私にそう言った。
科目が多いとか、少ないとかいうことより、
「生徒が自分から会社に対してアクションを起こした」
そのことが尊い、のだと。
どういうことかというと。

自らアクションを起こした生徒は、
続ける可能性が高いのだ。

逆に、学年切り替えをするときに、
自分からはなんにもアクションを起こさずに、
なんとなく去年のままの科目が届いて、
なんとなく今年の自分には余分なものまで届いていて‥‥。

そういう状況だと「やらされている」感が強まって、
学習意欲があがらない。あがらないと続かない。
自ら何にもアクションを起こさないで受身になっていると、
やる気が持たないのだ。

たとえ英語・数学・国語と、
去年とまったく同じであっても、
いったん考えて、新たに登録しなおすことで、
「自分で選んだ」という自覚がもてる。
自らアクションを起こせば、自らやる気にもなるわけだ。

極端な話、3科目が1科目に減ったとしても、
生徒が自分の意志で必要なものを選んだのだから、
続けたくなるし、続けられる。

長い目で見れば、続けてくれることが、
生徒の学力にとっても、会社にとっても、いい。

上記はもちろん、私のいたころの話で
今は会社の方針にも、より一層の進展があると思うが、
「相手の方からアクションを起こさせる」
という発想は、いまも私の中で生きている。

読者の加藤さんのケースでも、
「顧客の無理をきくのがプロじゃないか」
「3週間で無理ならよそに発注するぞ」
とゴリ押ししても、通常1ヵ月半=45日かかるものを
3週間=21日に縮めていく現実の中で、
相手の意欲が持たない可能性がある。

たとえば、営業さんが会社を説得できなかったり、
会社を説得しても、工場の人がついてこなかったり。

「ゴリ押ししても、あとで相手がもたない」

ということが「説得のその後」のシーンには
よくあるのではないか。

自分のほうから押し切るか、
相手のほうからそれをやると言わせるか、

結果は同じでも、
その後の相手の意欲、粘り、成果の質は違う。

営業さんが、45日を21日に縮めるという強行軍を、
最後まで戦いぬけたのは、
脅されたからでも、自分を否定されたからでもない、
「困っている人を助けよう」という動機があったからだ。

「自分の意志で決めて、自分の方からやると言った」
ということが営業さんを生かしている。

いかに相手の方からアクションを起こさせるか?

読者の加藤さんは、営業さんに
「この人の力になろう」と思わせた。

人を動かす人間というのは、
人を自分の意のままに操作しようなどと思ってない人間だ、
私はこのところ、その想いを強くしている。

いかに相手に「この人の力になろう」と思わせる
自分であれるのか?

最後に、「人を説得する力4」に寄せられた
読者の大介さんのメールを紹介したい。


<自分が読解するとき、相手は論述している>

友好的説得の手続きである、
「読解→要約→尊重→考える→論述」
うんうん、と頷きながら読みました。

個人的な経験からも、話がうまく行く時は、
だいたいこのパターンに沿っていると思います。
逆に、ダメな時って、まず最初の読解ができない。
むしろ、逆方向と言うか、論述から始めてしまう。
相手も自分も論述しているから、口ゲンカになる。

俯瞰してみると、
自分が読解するとき、相手は論述してくれている。
自分が要約するとき、相手は考えてくれている。
というように、相手のパターンと噛み合うのかな、
と思いました。歯車みたいに。

「説得」が歯車を回して回転を伝えることであれば、
ギアをうまく噛ませるのは、前提条件というか。
もし噛み合わなかったら、強くて硬いギアが、
柔らかいギアを傷つけることになる。

ギアを回す力の問題ではなくて、
回転数を合わせる調節の技の問題です。
説得するには、説得されろ、
という言い方もできるかもしれません。
だから、「俯瞰」を保つことができれば、
つまりは、ギアのズレを感じることができれば、
半分以上うまくいったと言えるのではないか。

今度は、これを「意識して」試そうと思いました。
          (大介)



説得の最後のさいご、つめのシーンで、
私たちは気がせいて、どうしても押し切りたくなる。

そのときに、
「強くて硬いギアが、柔らかいギアを傷つける」
ような事故も起こる。

でも、相手が、考えたり、決めたり、
自らやる気を起こしたり、自らつかみにきたり、
そういう「のりしろ」のような、「間(ま)」が必要だ。
間は相手にも、自分にも必要だ。

相手に「のりしろ」を提供して、待つ、
というのも、「説得のその後」を考えると
大切なプロセスだ。

自分が押し切るのでなく、
相手のほうからつい手を出しつかみたくなるような、
そういう「のりしろ」をいかに提供できるか?

私も、今度はそこを「意識して」挑戦しようと思う。

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
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2008-05-28-WED
YAMADA
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