YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson413 夢を語るときの3枚の絵

夢を語るとき、
人は無意識に3枚の絵を持っている。

1枚目は「深層」
2枚目は「現実」
3枚目は「創造」

だから素晴らしい創作をするために、
3つの力が要る。

1つに、
今まで生きてきた自分の心の深層を
素直に見る力。

2つ、
自分の眼前にある現実を
ありのままに受けとめる力。

3つ、
そこから、
まだ誰も見たことのない、
自分も今までにまったく目にしていない、
まだ世にないものを思い描く力。

九州大学に3日連続の集中講義に行っていた。

自己表現や、
就活につながる将来の夢をプレゼンしてもらったのだが、
いつにもまして、
深く感動している自分がいた。

夢が夢物語として、
空々しく響くんじゃなく、
聞く人に切ないまでに伝わり、
リアリティをもって受けとめられるには、
何が必要なんだろう?

「変わりものの生物教師になりたい」

という、ポスドク(博士研究員)の女性が、
集中講義に参加されていて、
とても感動的なスピーチをされた。

もしも、「変わりものの生物教師になりたい」
という「未来」だけ示されても、
私はピンとこなかったろう。

でも彼女の夢は、
彼女の「深層」や「現実」との関わりから
語られており、
そこに強烈なリアリティがあった。

彼女が学校現場に出たとき、
ひとりの生徒が明るく近づいてきて、
こういった。
「僕、死のうとして3階から飛び降りたんだ。
 でもほんとにきれいに着地してしまったんだよ」

いまは最もつらいところを越えたからこそ、
彼女を信頼して心をひらいていてこその発言だ。
いま、子どもたちをめぐる現実は厳しい。

「こどもを死なせてはいけない」

と彼女は言う。
予想外のことが次々と起こり、
こどもが受けとめきれず引き裂かれている今、
教師がすべき最優先の仕事として。

彼女もまた生きる希望を失った時期があった。
私の力ではここに書ききれないが、
いまも彼女の深層にある
「希望を失った日々」のことが
光景としてとてもよく伝わってきた。

そんな彼女を救ったものが、
意外にも、昆虫マニアと言われるような人たちだった。

朝、たとえば出勤のために、道を歩いていて、
虫が目の前をとおりすぎる。
我々にはなんでもない光景だ。

ところが昆虫好きにとってはたまらない。
驚嘆の声をあげ、追いかけ、歓声をあげる。

同じ光景を見ていても、
目にするものがまったく違う。
昆虫を通しての別世界がそこにある。

彼女はたまたま出会った、
はたから見れば変わりものの昆虫の専門家たちと
行動をともにするうちに、しだいに、
「生きていてもいいんだ」
という気持ちになっていった。

彼女は学校で教える機会を得たときも、
必ず白衣に身を固め、授業の10分程度を使い、
こどもたちが見たことも聞いたこともない
標本をつくる器具を見せて、
それで昆虫をどんなふうにするのか熱く語ったり、
こどもたちが一見ついてこられないような
めちゃめちゃディープな生物の世界の話をしたりした。

そんなふうにして、
こどもの目の前で、
こどもが触れている世界とは、
ぜんぜん別の世界をかいま見せることで、
閉塞がとかれ、息がつげる生徒もいるのではないか。

だから、学校に、ひとりくらい、
変わりものの生物教師がいていい、と。

彼女の心にいまも深い傷として残る「希望のない日々」、
「3階から落下するこども」、
「こどもに別世界をかいま見せる変わりものの生物教師」。

聞いている私に、この3枚の光景、
彼女の「深層」にある絵と、
私たちをとりまく「現実」のこの社会を切り取った絵と、
彼女が思い描いた未来のビジョン、
3枚の絵が、強烈に浮かんだ。

3枚の絵が、ぐるぐると自分の中で激しくリンクしながら、
なんともいえない、
切なさとリアリティをもって迫ってきた。

創作には3つの力が要る。

自分の「深層」にあるものを、
ごまかしたり、都合よくすりかえたりせず、
深く、素直に見る勇気。

自分の目の前にある現実を、
どんな厳しいものであっても、
幻想をもったり、斜に構えたり、恨んだりせず、
「それが現実だ」とありのままに受け止める度量。

そのふたつをよく見つめ、踏まえて、
それでもそのふたつにとらわれたりしばられたりしないで、
そこから、まったく今まで自分が目にしていないものを
思い描くイマジネーション。

今回の集中講義でもおもったのだが、
胸に残るスピーチをした生徒には、
どこか意外な、聞くものの予想を裏切った「飛躍」があり。
この「飛躍」が空々しくない。

聞く側も、どうしてか、自分まで一緒に
ジャンプさせてもらったような爽快感が、
この「飛躍」にはある。

一方、自分の深層にあるものをごまかしたり、
現実に幻想があったりすると、
3枚目の絵である「創造」が、
聞く側には、爽快なジャンプでなく、
妙なギャップとして、違和感が残るのかもしれない。

「深層」
「現実」
「創造」

つまり、自分の中に深く「もぐる」まなざしと、
現実を「直視する」まなざしと、
そこから「飛び立つ」まなざし、

この3つをどう育てていくか、
どうリンクさせるか、あるいは、リンクさせないか、
クリエイティブな表現を引き出すために、
考えていこうと私は思う。

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2008-09-24-WED
YAMADA
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