おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson438 自分はどこからはじめたのか? そもそも社会にでるとき、 自分はどこからはじめたのか? だれにも、初出勤とか、初仕事とか、 生まれて初めて「社会の門」をくぐるとき、 言葉にしなくても、できなくても、 そこに、なにかしらの、抱いていた気持ちがある。 それは何だったか? 毎年、この、桜の季節になると 私には、どうしても思い出す光景がある。 満開の桜の下 花見客でにぎわう中に、 ただひとりぽつんと、 青いだだっぴろいビニールシートの真ん中に おかっぱ頭で座っている 22歳の私だ。 「花見の場所取り」 それが、 母が苦労して4年制大学を出した、 私の、社会人初仕事だった。 「初心に帰ろう。思い出そう。 私たちはどこからはじめたのか?」 というミッションを、 先日、ある企業からいただいて、 コミュニケーションインストラクターとして 出かけていった。 私の使命は、 社員のみなさんの「初心」を引き出し、 表現してもらうこと。 それにより、 職場コミュニケーション活性化に 一役買うことだ。 「自分はどこからはじめたのか?」 と言われても、忙しい日常の中、 私たちは、なかなか立ち止まって考えることが できないでいる。 けれど、丁寧に問いを立てて、 引き出していくと、 まるで自分の湖の、深い奥底に潜り、 泥の中から光る石をすくいあげるように、 きらきらと、 はじまりの想いが言葉になって出てきた。 ある女性は、自分の初心をこう言った。 「自分は努力して努力して、 がんばってがんばって、 何かを成し遂げたいと思ってここにきた」と。 これには理由がある。 学生時代にさかのぼって進学のとき 彼女には、あこがれの志望校があった。 ところが受験勉強をがんばることもなく、 あっさりと推薦で通ってしまったという。 その日、彼女は泣いた。 どうしてかわからないけれど、 あとからあとから涙が出て、 わんわん泣き続けた。 自分のほんとにほしいものが、 何の努力をすることもなく、 するりと手にはいってしまった…、 その喪失感にも似た虚しさは、 少女の胸に受けとめきれないほどの 強い感情だった。 その体験が彼女の原点になっている。 「私は、自分の手で努力して何かを得たい」 という想いを抱いて社会の門をくぐった。 ある男性は、 「自分は、いつも自信のない、 弱い人の立場から物事を見ている」 と言った。 映画を観ても、芝居を見ても、 どの人物に感情移入するか、 どの登場人物の視点に立って物事をみるか、 と言われれば、 自分はいつも勇ましいヒーローなどではなく、 気がつけばいつも、 登場人物の中でも弱い、自信のない人間の 立場になって物事を見ている。 「この人の立場になって見るとどうか」 「この人のことをもっとなんとかできないか」と。 そんな視点でものを考える人間が一人くらいは いてもおもしろいのではないか。 彼はそう思いつつ、編集の仕事をやっている。 「おいしいお好み焼きを焼いて食べさせる」 それが営業マンである自分の身上という 男性もいた。 クライアントさんに、 ただ人が作ったおいしいものを食べさせるのでもなく、 かといって、むやみやたらに手間をかけるのでもなく、 「自分の手で焼いて」、 自分でひと手間かけた、心を込めた、 おいしいお好み焼きを食べていただくことを 彼は大切にしてきた。 だから、どこのお店の、どんな具材がおいしいかとか、 どんな焼き方をしたらいいかとか、 いつも研究しているという。 豪華接待にくらべれば、 ささやかなことかもしれない。 しかし、なぜかクライアントの印象に残り、 時折、恋しくなるのか、 いまでは、クライアントのほうから、 「そろそろ、お好み焼きにいかないか」 と声がかかるのだそうだ。 そんなふうに、彼は、 できあいのサービスではない、 自分の手をかけ、心を込めたサービスを これからなにか仕事のうえで やっていけたらいいなと言った。 「江戸時代から今もずっと残っている広告がある」 仕事が大好きという男性が言った。 それは、商売がうまくいかない鰻屋の、 「土用の丑の日に鰻を食べよう」という広告だ。 「そんなふうに時代をこえて 伝え続ける広告をつくりたい」 彼は、そう思って広告業界に来た。 「みんなのように大きなやりたいことはない」 と経理の女性は言った。 でも、そのたたずまいに、おごそかな自信を感じた。 経理と言えば、 「たかが何十円とか、何円くらいのことで ガミガミうるさい」 と思われることもある。そうかと思えば、 「おまえは税務署のまわしものか」 けむたがられることもある。 「おおきな夢はない」と彼女は言う。でも、 「“たかが1円”と言われる、その1円、 ぴたりと計算が合ったときの満足感、 誇らしさ‥‥。」 その小さな歓びの連続が彼女の初心だ。 彼女は今日もその歓びを糧に働いている。 一人ひとり、ドラマがあり、歴史があり、 ひとつも似たものがない「初心」の、 キラキラした表現に触れながら、 私も私の初心を、たどり、取り戻してみた。 自分はどこからはじめたのか? 私のはじまりは「青いビニールシート」の上だ。 このことを、忘れないでいよう。 私の記念すべき社会人スタートの日に、 私の居場所は社会になかった。 やっとつかんだアルバイトで 言い渡された「花見の場所取り」の、 青いビニールシートがかろうじて自分の居場所。 春風にふきとばされるほど軽い居場所だった。 所属する会社なし、活躍の場なし、 同期なし、仲間なし。 学校卒業の春に社会にデビューするのが メインストリートだとすれば、 「メインストリートから干され、ただ独り」 これが自分の初心だ。 もともとポストも所属も、仲間も何もなく、 明るい春の季節に、 ほんとに孤独に社会に押し出されたことが自分の勲章だ。 「メインストリートから干され、ただ独り」 気がつくと、自分は、人生で何度か 同じ状況に、追い込まれたり、 自ら飛び込んだりしているが、 「もともとなにもないところからはじまった」 と思えば、何を捨てるのを惜しむだろう。 いつでもゼロに戻れる勇気がわいてくる。 メインストリートを歩かせてもらえず、 みんなと一緒、がさせてもらえなかったからこそ、 いつでもはじまりにもどれば、 自分は、独りで、ゼロからはじめられると思う。 しあわせなスタートでなくて、よかった。 あなたはどこからはじめたのか? 最後に、勇気をくれた、読者の このメールを紹介しておわりたい。 <自分はどこからはじめたか> 私がズーニーさんの本を初めて読んだのは、 社会人1年目で23歳の時です。 指導員であった主任に 『あなたの話はなぜ「通じない」のか』を 突然渡されました。 「私の話は通じていないのかな‥‥」と、 心にトゲが刺さったことをよく覚えています。 以来私は、「山田ズーニーさん」に興味がありました。 しかし、本は読むのにズーニーさんの本は なぜか読まないでいました。 そして最近、『おとなの小論文教室。』と 『おとなの進路の教室。』を読ませていただきました。 わたしはあまりにうなずき、共感し、読むのがとまらず、 友人の前で感激した箇所を音読しました。 私は今、就職活動中です。 「2007年3月 慶應大学卒業、 2007年4月 外資系生命保険会社入社、 2008年12月 同社退社」。 そんな恥ずかしい履歴を 私は実はちょっと誇りに思っています。 辞めることを実行に移すまで1年くらいかかりました。 一度しかない人生を会社にうずめるのは、 わたしにとっては息のつまる箱に閉じこもることでした。 毎日自分を殺し、身体もこわしました。 仕事をつまらなくさせた原因が私自身にあったとしても、 私は辞めたことを後悔していません。 会社を辞め、自分とは何者かということを考えました。 そんなことに答えがないのは 端からわかっているのに、です。 興味があったこと、やってみたかったけれど 親に心配をかけるからやらずにいたこと、 変な人と思われるかもしれないこと、 いろいろとやってみました。 とても楽しいですし、 自分がかわっていくのがわかります。 今もまだ自分についてはよくわかりません。 「人の魅力や能力、心にあるものを 引き出すことに興味がある」 ということが、これまでやってきたことや これからやりたいことからわかったくらいです。 でもそれでいいんじゃないかと思います。 私は今まで生きてきた「優等生」を辞めます。 巷に溢れる答えをくれるような本はもう飽きました。 慰めや同情では真の幸せはつかめません。 私はこれからも「考えるきっかけ」を与えてくださる ズーニーさんのお話を楽しみにしています。 (Ayaka) |
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2009-04-01-WED
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