おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson455 好きな人がくれる哀しみは、 きれいな青色をしている 就職活動のためのコミュニケーション講座で、 全国をまわっていると、学生からこんな質問を受ける。 「就職で地元に帰ったほうがいいか、 それとも東京とか都会にでていったほうがいいか? 地元には友だちがたくさんいる。 就職して地元に戻ったら、一緒に スポーツチームをつくろうと約束している。 みんなも、それを楽しみに、 自分が帰ってくるのを心待ちにしている。 けれども、地元は田舎で就職先そのものがとても少ない。 地元ありきで、なんとか就職先を探すべきか、 それとも仕事ありきで、都会にでていくべきか?」 仕事を選ぶとき、何を大事に選んだらいいのだろうか? 以前、短歌のラジオ番組に出たとき、 こんな作品があった。 「今日も又来るはずもないメール待ち 部屋に充満 青色吐息」 (NHKラジオ渋マガZ 投稿者の短歌より引用) 自分も昔、似たような経験をしたなあ、と共感した。 片想いの人とけんかしたのか、 片想いの人の前でとほほなことをやってしまったか、 もうそれは忘れてしまって想い出せないが、 次の日、「あー、もうダメだろうなあ」 「あー、自分はだめだなあ」 「あー、きらわれてしまったなあ」と思い、 なんどもなんども「ふ〜っ……」と、 深くて、ながーい、タメ息を、一日中ついていた。 タメ息をつくたび、部屋に充満していくようで、 まさにそれは、はっきりと「青い色」をしていた。 その青さに自分でも驚き、 「Blueな気分とはこういうことか」 といまさらのように感動した。 ほかでは味わったことのない「青」だった。 なんで青なんだろうと思いつつ、青に満たされ つらいし自己嫌悪にもなっているのに、 ふしぎにこの状態をどこか美しいとさえ感じる自分がいた。 「好きな人がくれる哀しみは、きれいな青色をしている」 好きな人がもたらすものは、 哀しみまで、きれいな色をしてるんだな。 哀しいは哀しいけど、この青は私の好きな青の色だ。 よく、「嫌いな人の親切よりも、好きな人の無理がいい」 などと言われ、ほかの人がくれる親切や理解よりも、 好きな人がくれる孤独や寂しさのほうがいい、 というようなニュアンスのことが、歌の歌詞やなんかで よく言われるが、そのときやっとガテンがいった。 好きな人との関わりから生まれるものは、 「喜・怒・哀・楽」すべてにおいて、 自分の好きな色、きれいなトーンをしているのだ。 例えば、同じピンクでも、 ピンクがみんなかわいい色をしているわけじゃない。 トーンによっては、下品にも上品にも、 いやらしくも可憐にもなる。 どんなトーンをしているか、と、 自分がそのトーンを好きかどうか。 喜びや楽しみは明るい良い色で、 怒りや哀しみは暗い嫌な色をしてるんだろうという先入観が 私にはあった。 でも、そうではなく、 嫌な人とのかかわりから生まれるものは、 嬉しいは嬉しいし、嬉しいはピンクだが、 どこか野暮ったい、 もうひとつ気持ちに入ってこないピンクで、 「喜・怒・哀・楽」すべてにおいて、 どこか、もうひとつのめりこめない 濁ったトーンの色をしている。 好きな人がくれるものは、 痛みも、孤独も、悔しさも、つらいはつらいが、 どこか自然に心が向く、素敵な、 自分の好きな色をしているんだと、気がついた。 当時、自分は、絶望的な片思いのなかにおり、 奥手で、なにも行動をおこせないまま、 ただただ、失うことばかり恐かったが、 「たとえこの先、どんなつらいことが待っていようとも、 好きな人がくれる痛みなら、それはきっと、 自分が心ひかれる、素敵で、好きな色をしている!」 と思ったら、恐がらずに生きていこうという勇気が出た。 好きな人がくれる哀しみの色は、つらい色には違いないが、 そのトーンにどこか心引かれるものがあり。 その色で、より自分らしさを確認するような、 より自分が好きになるようなところがある。 就職も同じことが言えるのではないか、と思う。 仕事と恋を一緒にするなと言われそうだが、 私が唯一、16年勤めた企業の創業者は、 「仕事に恋せよ」 ということを言っていて、 それは、自分を支えた言葉でもある。 どんな仕事にも、苦しみと歓びがあり、 どんな仕事にも、すごく面倒くさくて嫌な部分と、 なにか得するような面白い部分がある。 だから、どんな土地で、どんな仕事についても、 それなりにがんばって一人前になれば、 ちゃんと食っていけるようになるし、 それなりに人に役立って、 嬉しいこともいっぱいあると思う。 けれども、とても単純に言って、 それが自分の心が向くものかどうかで、 仕事を通じておとずれる、喜・怒・哀・楽の、 色のトーンはずいぶん違うと思う。 私自身、思い込みだけかもしれないが、 やりたくてたまらなかった編集の仕事、 しかも、打てば響く澄んだ精神をもった高校生が 読者だったから、 苦しみや痛みでさえも、 もっと言えば、焦りや嫉妬でさえも、 どこかすがすがしい、 澄んだきれいな色をしていた。 とくに天職と信じた編集の仕事を失ったときは、 喪失感から立ち直るのに数年かかったけれど、 それでも、どこかすがすがしい、 自分で自分を好きになるような、哀しみの色だった。 考えたら、好きな、読者の高校生がくれた 喪失感だったから、 私は、ゆがんだり、ねじれたりせずに、 まっすぐ、まっすぐ哀しみ、 そしてまっすぐ、まっすぐ、立ち直れたのだと思う。 フリーランスになったいま、 実にさまざまなクライアントと、 ほんとうにいろいろな仕事をする。 フリーランスというものは、 だまって受身で待っていたら、 自分のできる、なれた、得意なところにばかり声がかかり、 そこばかりが太る。 そこで、喜・怒・哀・楽をかけぬけて、 歓びや、達成感を味わっても、 嬉しいには違いないが、ばら色はばら色には違いないが、 そのトーンは、どこか濁っていて、 自分の好きな色ではない、ということも起こる。 でも、自らつかみにいくとき、 それは自分を売り込むとかそういうことではなくて、 自分の心が向く分野に、必死にくらいついていくような 心意気で仕事をしたときに、 そこで、つらかったり、のたうちまわっていても、 どこかすがすがしい自分を発見することがある。 苦労もへこみも、好きな、きれいな色をしている。 仕事を選ぶとき、何を大事に選んだらいいのか。 みんながみな、やりたい仕事、好きな仕事に つけるわけではないし、不況の時代、そんなことも 言っていられないのかもしれない。 けれども、仕事をはじめると、 想像もつかないような、いろんなつらいことや 哀しいことがある。 「死に病と金儲け」といわれ、 死に至るやまいと匹敵するほど、 苦しいといわれる仕事を選ぶとき、 つまり、つらいことや悔しいこと、哀しいことのほうが多い と多くの人が言う仕事を選ぶ上で、 その哀しみの色が好きかどうか、きれいかどうかは、 他人にはどうでもよくても、本人にはかなり 重要なことではないか、と私は思う。 がんばって、がんばって、黒から青に、 青をピンクにしたとしても、 ピンクが安定して続いたとしても、 どこまでいっても、その色がどこか濁っていて 好きになれないと思うか? 黒も青も、ピンクも灰色も、いろいろあるし、 このさきも、黒もあれば、灰色も青もあるだろうけれど、 どこか、すべての色に、心引かれる好きなところがある と思うか? 「好きな人がくれる哀しみは、きれいな青色をしている」 仕事も、つかみにいかないといけないなあ、 いつまでも、自分の好きな、すがすがしい青のあるところで 働いていたいなあ、と私は思う。 |
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2009-08-05-WED
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