おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson462 どうにもならないものを受け入れる力 2 私には、ほとんど無収入だった時期がある。 38歳で会社を辞めて、 独り立ちできるまでの数年間だ。 この時期のフットワークの軽かったこと、軽かったこと。 象徴的に思い出すのは、 駅からアパートまでの道のりだ。 会社員で収入が保証されているとき、 たった徒歩20分の夜道が歩けず、 しばしば、横着をしては、タクシーに乗った。 「残業でぐったり疲れている、 寒い、夜道の女の一人歩きが怖い、雨だ、 雪だ、荷物が重い、腰が痛い‥‥」 など、いろんなリクツをつけては、 たったワンメーターの距離が歩けず、 660円の浪費をした。 ところが、会社を辞めて、 「あすから1円の収入もない」となったら、 うそのように、身も心もシャキーン!として、 夜中だろうが、疲れていようが、 荷物が鬼のようにあろうが、 歩くことがまったく苦にならなくなった。 どしゃぶりというか、 バケツをひっくりかえしたような雷雨でも、 傘を持たないときでも、私は、 まったくタクシーにのろうなどとは思わず、 ぬれながら何度でもアパートまで夜道を歩いた。 悲壮感はない。 むしろ嬉々として歩けた。 「運動もできて、気も晴れて、ダイエットにもなって、 660円も節約もできて‥‥。 ああ、この身は、10歳も若返ったように爽快だ。 昔はたった20分の距離が どうして歩けなかったんだろう?」 と、 それから5年、仕事が軌道に乗ったときのことだ。 用事の出先から、帰ろうと思って、 バス停に行ったら、30分もバスがない。 あたりを見回したが、 とてもタクシーがきそうな気配がない。 「ちっ!」と舌打ちして、私は、腹を立てた。 「田舎なら別として、 この東京のどまんなかで30分も客を待たせるとは何事だ! 原稿の締め切りだってある、 明日は大きな講演だってあるのに。 ああ、タクシーかなんか、どうにかならないものかな! すぐに帰れるなら、倍、料金を払ったっていい」 そう思って、はっ、とした。 あの無収入時代の私なら、タクシーにのろうなどと、 おくびにも思わず、バスがくるまでの30分、 きっと嬉々として待っただろう。 「知らない土地で、風を感じながら、 ぼうっとできて、考え事もできて、 バスセンターでいろいろな発見もあって‥‥」と。 あの無収入時代、20分のどしゃぶりの夜道を、 私は、嬉々として、アパートまで歩けた。 なのにいま、たった30分、 暖かい場所で待つことができない。 「少し食えるようになったら、もう、 時間を金で買おうとするのは、なぜだろう?」 先週の「どうにもならないことを受け入れる力」には、 すごくたくさんの、 とても切実なおたよりをありがとう。 まず、いくつかを紹介したい。 <逃げず・戦わず・弱らず> わたしの住むアパートのゴミ捨て場に 先週収集日を無視されたゴミが 置かれていました。 ゴミは絶対にゴミを呼びます。 (これはわたしの持論です) 案の定 再び収集日を無視されたゴミが置かれました。 そして次の日には ドブさらいをしたかのような 泥とゴミが一緒に入った プラスチックの衣装ケースとカゴが そこに積み上げられました。 そのままにしておいても 収集されないことは 誰の目にも明らかです。 見て見ぬふりもできず 「お人よし」という空耳を感じつつ わたしはひとり 黙々と片づけることにしました。 泥と拾いきれないゴミを ひとまとめ。 乾電池をひとまとめ。 金物をひとまとめ。 燃えるゴミに該当するものを ひとまとめ。 衣装ケースとカゴを ひとまとめ。 幸いに 衣装ケースとカゴは 大型ゴミとして回収されていき 金物は資源ゴミとして回収されていきました。 明日は燃えるゴミの日。 あさっての金曜日は 月に一度の 泥と乾電池の収集日なので これらもキレイに収集される‥‥はずです。 誰のものか知らないゴミを ひとり分別しつつ ふと そんなに苦にしていない自分に気付きました。 ズーニーさんの書かれた 「逃げるな!戦うな!弱るな!」。 わたしには 無理だとこれまで感じることが多かった。 受け入れるばかりだと 何だか負けたような気がして。 でも今回のゴミ事件 逃げること=ゴミを無視 戦うこと=収集日の違うゴミを持ち帰るよう訴える 弱る=ゴミを見て不愉快な気分になる だとしたら わたしは 別の道=ゴミを収集してもらえるよう分別作業をする を選ぶことができて よかったなぁ〜と心底感じました。 昨年末から 事あるごとに 金銭がらみの約束事を要求され 理不尽を感じつつ “家族”という名のもとに繰り返される甘えに 怒りを覚えつつ それらを受け入れたり 吐き出したりを繰り返してきて 正直疲れていました。 でも やっぱり 全部無駄ではなく わたし自身の成長につながっていたのかと思うと 得心がいきました。 (泉鈴) <挑まず・逆らわず・傷つけず> 私は、自分自身が暴れ出さないように、 古武道柔術をやっています。 怒りが自分を染めたときって本当に周りが見えなくなり 急所だけがピンポイントでクローズアップされます。 もし勝てる相手だとしても、 怒りにまかせて術をかけてしまうと その時は、勝ったとしても後に 報復や社会的な敗北が必ず自分に跳ね返ってきます。 自分自身のよこしまな気持ちをいかに抜けるか、 今の世の中を生き残る上で もっとも適した判断だったかのか? 瞬間的にイメージできるかが人生を左右すると思います。 私が習っている古武道の教えですが『抜邪心』と 『挑まず、逆らわず、傷つけず』という すてきな言葉があります。 先人たちは、やはりそういう境地に 見据えていたのでしょうね。 (いらんさぁ〜♪) <理屈ではあがなえないことに> 先週のズーニーさんの文章を読み、結局自分は 「理屈であがなえない事に対して 理屈で処理しようとしているのだ」 と感じました。 「理屈で相手をやり込める」か 「理屈で自分の思いを封じる」か のどちらかをしていたのだと。 (Y.M) <自分の中に育っていく感覚> 7年前に生まれた次女は 約4万人に一人の確立で生まれる 「カブキメークアップ症候群」という、 先天性の障がいを持って生まれました。 彼女の障がいの症状の一つに「哺乳障害」がありました。 要するに口でミルク(おっぱいや哺乳瓶で哺乳すること)が 飲めなかったのです。 ですので、「鼻に細い栄養チューブを胃まで入れて、 点滴のようにミルクを流し入れる」という作業が 昼夜を問わず3時間おきに行われました。 この作業をしながら常勤で働くことは不可能でした。 上記の作業を必要とする次女の保育園の入園を 受け入れてくださる所はなかったですし。 私は彼女の持つ様々な障がいを受け入れることは 比較的可能だったのですが、何より大変だったのが、 今まで「普通にあるもの」としていた 「私自身の仕事」を失うことでした。 目の前の子どもはかわいいし、 大変な育児を誰かにお願いすることもできない。 そんなことははなからわかっていたことですが、 退職することで自分の人生の航海図がガラガラと 音を立てるように崩れていくことが 耐えられなかったのです。 しかし、現実問題として毎日の栄養チューブでの哺乳や、 病気がちな身体を持っていた 彼女の度重なる入院の看護などをしているうちに、 自分の中に「研ぎ澄まされた感覚」が 育っていることに気がつきました。 「本当に心の優しい人」がすぐにわかるのです。 そんな方は私が心底困っているときにしてくださる 援助のタイミングがずれることなく、 そして助けてくれる言葉がけや 手を差し伸べる内容も多すぎず、 少なすぎずぴったりの援助なのです。 私はその手助けを心底 「ありがたい」と思えるようになり、 そこに感謝の言葉を表さずにはいられなくなります。 そこから器は大きくなってきた気がします。 「器は広げる」ではなく「器は広がる」と感じます。 周りの皆さんに私の器を広げていただいている気がします。 そして器が広がると同時に 多くの方々が私の心に入ってくることが 出来るようになりました。 器に乗ってくる人、器を見ている人、 「器、まだまだ広く出来ると思うけど‥‥」と アドバイスを下さる人、などなど。 そうしているうちに (私と同じように苦しんでいる次世代の人々を助けたい) と思うようになり、 「障がいを持って生まれた子どもを持つ親」を 支えたい、と考え「産後ケア活動」を開始しました。 そして徐々にではありますが、 失ったと思っていた仕事も 復活できるようになって来ました。 こんな日が来るなんて思っても見ないことでした。 (むんめる) 読者のY.Mさんの言う、 「結局、理屈であがなえないことに、 理屈で相手をやり込めるか、 理屈で自分を封じ込めるか」 というのは適確で、まるで 私自身のことを言い当てられたようだった。 私は、そうして「言葉」で戦って生きてきたように思う。 古武道柔術の読者の方が言うように、 ある程度、言葉の訓練をしていくと、憎しみの中、 相手の「急所」が クローズアップして見えてくることがある。 「いま相手のここを攻めれば、相手は間違いなく傷つく。 いまなら戦える。 いま戦ったら勝てる。」 そう感じたときに、しかし、実際攻めてみて、 そのときは打ち負かしたつもりでも、 あとから相手の恨みをかってしまったり、 そのことに予想以上に、しっぺがえしをくらい、 自分のほうがダメージを受けてしまったり。 戦うことが広く長い目で見て、 状況を動かさない場合があるのはなぜだろう? いっぽうで、泉鈴さんも、むんめるさんも、 人を攻めたり、戦ったりしない。 かといって逃げてないし、あきらめてもいない。 泉鈴さんは、 人がなかなか受け入れられない状況を受け入れて、 ゴミを回収にこぎつけるという結果を出している。 私だったら、区の職員を攻め、 あるいはゴミを捨てた人を糾弾し、 口論のすえ、人を傷つけ、 結局ゴミの山はそのまま、ゴミは日に日に増え、 なんてことにもなりかねないだろう。 むんめるさんは難しい育児をやり続けているだけでなく、 自分の生きる道をひらき、 まわりの人まで照らしていっている。 広く長い目で見て、状況を動かすのは、 この2人のような地道で コツコツした行動ではないだろうか? 自分自身を振り返っても、 これまでの人生で、2回、これだ! と思う 仕事ができたことがあり、 そのふたつともが、バリバリに充実していたときではなく、 「これでもか」というような運命の力に、 首根っこを押さえつけられ、鼻っ柱をへしおられ、 逃げることも、戦うことも、しかし、 決して弱ることも許されず、 コツコツコツコツ地道な行動を積み重ねる しかなかった果てだった。 「対象に対して謙虚であるか?」 テレビから、ガラス職人の言葉が飛び込んできた。 「ガラスは人間の言うことを聞かそうにも聞けないから、 ガラスをおもいどおりに操ろうとする人はダメだ。 だから、いい作品にするためには、 対象に対して謙虚であることが、どうしても要求される」 という意味のことを言っていた。 「どうにもならない対象に対して謙虚であれ」と 言っている。 ああ! と、私は、なぜ20分の夜道が苦にならなかったか、 なぜバスのくるたった30分が待てなかったのか、 少しわかったような気がした。 仕事も収入もなかった私は、謙虚になって、 人や世の中に対して、「ひらいて」いた。 「駅と家は20分はなれているのだし、 バスは30分しないとこない。 世界はもともとそういうカタチでそこにある。 そういう世界に私が住まわせてもらっているのだ」 と考えれば、なんら腹は立たないわけだ。 けれども、対象に対して支配的であればどうか? 思い上がって、自分の意のままに対象を操れると考えれば、 「なんで、私のアパートは冬の夜道で20分も 歩かなくてはいけないところにあるのか」 「なんで、忙しい私の都合にあわせてバスがこないのか」 と意のままにならない世界に腹が立つ。 私のために世界があるのか、 世界のなかに、私が住まわせてもらっているのか。 どうにもならないことを受け入れる力には、 この「謙虚」さが関係しているように思う。 何しろ、自分たった一人の力より、 世界や人々のほうが圧倒的に強い。 この場合の謙虚とは、 思い上がったり、傲慢になったりせず、 かといって卑屈にもならず、 自分と対象の力関係をありのままに見ることだ。 自分の小ささに本当の意味で気がつけば、 むやみな戦いは挑まないし、 いったん、打ちひしがれるような気さえしてくる。 でも、それを知ってこそ、等身大の、 支配的ではない、攻撃的ではない、一過性でもない、 小さくコツコツと積み上げるような、 他と協力して、力を寄り合わせていくような、 自分なりのアプローチ方法が生まれるのではないだろうか。 「どうにもならないことを受け入れる力」 ひきつづき、考えていきます。 おたよりをお待ちしています。 |
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2009-10-07-WED
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