おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson465 どうにもならないものを受け入れる力 5 いまの自分にはできないことを、 イメージする力が人間にはある! これは、希望のあることだ。 「どうにもならないものを受け入れる力」 とは、どんな方向の、どんな行為なのだろうと、 模索しているこのシリーズ、 きょうは、読者の見つけた「希望」について考えてみたい。 その前に、 途中から読んだ人のなかには、 「ドリンク1本くらいのことで、なにをズーニーさん ギャアギャア騒いでいるの?」という人もいたので、 ちょっとだけ補足しておきたい。 もちろん、ドリンク事件はまったく取るに足らぬこと。 即日、気持ちの決着はつき、 2、3日たつと、もう、 怒りを思い出そうにも思い出せない。 それどころか、いまは、 「おかげでいい勉強になって‥‥」 とあの男性にあったら、お礼を言いたいくらいだ。 そんな、ちっぽけな事件をなぜ持ち出すかというと、 小さなことでシュミレーションしてみることで、 大きな問題の解決の糸口を見出すヒントが 得られるんじゃないか? そんな試みからだ。 実際、古武道柔術の読者の言う、 「最適をイメージできるか?」 というのは、大きなことにもあてはまるんじゃないかなあ。 「最適の対応ができる」ではない。 「最適をイメージできる」ここがミソだ。 つまり、いま、 それができなくても、器がなくても、強くなくても、 それでいい。 イメージできるかどうか? 今日も読者からいいおたよりが たくさん届いている。 まず、このおたよりから読んでほしい。 <逃げるな! 戦うな! 弱るな!> 小さい頃は身体が弱くて、 親やまわりから保護されて生きていた。 ただそこにいて笑っていたら、みんなが安心して、 それをみて自分が安心した。 頭の上を通り過ぎる、いろいろな災いや障ることが、 身体が丈夫になり社会の中に入っていくことで、 直接どんどんぶつかってきて、 わたしは格闘し傷つき、流され対抗し、目が回った。 子育てが一段落してきたこのごろ、 いろんなことがわかってきた。 なるようになる。 なるようになるのであるから、 その時その時自分が選択していることは、間違いがない。 間違えがないのだから、 必要以上に腹を立てたり、悲しんだりしなくていい。 逃げなくても、戦わなくても、弱らなくても、 ちゃんとなるようになるのだ。 小さい頃、点滴で三日も四日もベッドにつながれて、 天井だけを見つめる日々を過ごしてきて、 でも生きている、と考えていた。 隣のベッドの友達が退院していく日、 隣の部屋の知らない子が手術していく日、 帰らなかったあの子。 生きていることに、素直に感謝していたあの日は、 気持ちだけは 逃げずに戦わずにそして弱らなかった。 生きてることに謙虚になるとき、 受け入れることができるかな。 年頃の娘、息子の反抗期、 大切な子どもが生きていると思ったら、 どんな態度も言葉も受け入れることができた。 (岩槻のスヌーピー) <どうしても受け入れられないことを 受け入れるしかないとき> 私にとってのその時は、15歳。高校に入学直後でした。 ずっと悪かった体調が改善せず、 病院に行ってわかったことは 病名と、それが、ほぼ治らない病気であること。 入院が必要であるということ。 それから15年の年月が経ち、これまでに20回くらい入院し、 手術を5回ほどして、今があります。 先月には、身体障害者手帳の交付を受けました。 これだけみると、なんだかつらいばっかりに思えるけれど、 これまでの15年間、 高校・大学を卒業させてもらい、 国内旅行・海外旅行にも行き、 2度の就職をし (どちらも働いている期間は短かったけれど)、 入院していないときは、不便を感じつつも、 まぁ普通に暮らしています。 これまでで分かったことは、 治らないといわれても、何度手術をしても、 いろんなことを諦めても、 病気がいつか良くなることを、 結局私はまだ諦めきれずにいるということ。 「病気になった」という事実を受け入れている今も、 そこだけは手放せない。 どうしても受け入れられないことを 受け入れるしかなくても、 希望とか、意思とか、そういったものは 自分以外の誰も奪うことができず、 自分の中に持ち続けられる。 だからこそ、今日を生きていけるし、 今の自分を受け入れて、 生きていけるんじゃないかなと思っています。 けれど未だに、小さいことでくよくよしたり、 いらいらしたりしています。 器が大きくなったのかはわかりませんが、 以前見えなかったもの、理解できなかったことが 見えたり分かったりした部分もあります。 何があったとしても、 それが自分にとってプラスなのかマイナスなのかは、 ときによって違うし、考え方によっても変わるし、 自分なりに納得がいくまでには、 長い時間を要するものではないか、と考えています。 (弥生 29歳) 「いつかよくなる自分」のイメージ、 そこだけは譲れないという弥生さんの言葉が、 私の心まで照らすようだった。 いま病気のためにできないこと、 制限される自由、制約される行動範囲があって、 しかし、それがあるということは、つまり必ず、 よくなったときに、できること 解放される自由、ひろがる行動範囲があるということだ。 だから、よくなる自分を思い続けるということは、 そのときに発揮される自分の「可能性」、 自分の「潜在力」に対して、 目をつむってしまわない。日々、交信しつづけ、 責任を持ちつづけていく行為だ。 読者のいずみさんはこう言う。 ズーニーさんの言う精進というのは、 自分にとっての理想のプログラムを 常に用意しておくということなのではないか、 このプログラムを毎日毎日丁寧に書き換えることが 大切なのかもしれません。 そういう作業が「筋肉を鍛えること」と 重なるように思います。 理想のプログラムというのは常に 改良の余地がなければいけないのだと思います。 明日には、今日のプログラムは古くなってしまう、 そういう気持ちで毎日を生きていくことで 自分自身のベクトルをまっすぐ自分の行きたい方向へ 向けることができる。 瞬時瞬時の微調整を続けることで、 いざというときにぶれずに 的確な判断を決めてゆけるようになるのだと、 そう思います。 (いずみ) 人は、「現実のキャパ」のみにあらず、 その人の抱く「理想」、 そこに向かおうとするベクトル=「意志」によって 構成されていると、私は思う。 いま、現実のキャパが同じくらいの人でも、 理想の描き方で、 瞬時瞬時の判断は違い、 未来に大きくさがでるんじゃないか? 例えば、失恋したとき、 すべてが色を失って見える。 「食べる・眠る・生きる」という、 ふだん命を支える行為が、 こういうときは、いちばんつらく感じる。 ものが食べられない・夜眠れない・無気力感、 無意味感におそわれる。 幸せなカップルとか、ブライダルの式場とか、 見るのがつらい、目をそむけてしまう。 失恋したとき、いま、強くなれないという点で、 同じくらいのキャパの人でも、 「最適」をどうイメージするか、で、 ちがってくるのではないだろうか? ひとつ、むりやりでも「最適」をイメージしてやろう、 というのはどうか? ここは未来、 自分をふった相手が、 別の人と幸せになる結婚式の会場だ。 もちろん新郎新婦は幸せそうだ。 ところが、不思議なことに、 それを、ちっとも、 うらやましいとは思っていない自分がいる。 ましてや、ねたみもなければ、うらんでもないし、 つらくもない。はればれと幸せな気持ちだ。 将来の自分には、自分をふった相手以上に、 愛おしく、大切なものがあるからだ。 人なのか、仕事なのか、なになのかは わからない。 しかし、そのとき、自分には、心から愛情を注ぎ、 愛情を注ぎ返される何かがある、 そのおかげで、周囲との人間関係もうまくいき、 素敵な友人や仲間に囲まれ、 そのなかでも、ひときわ輝いている自分がいる。 あまりに輝いて、いちだんと素敵になった自分を見て、 かつて自分をふった相手に後悔がよぎる、 「自分はかけがえのない人を逃したのではないか」 ‥‥そんなふうに、 苦しみの中、やけくそでも、未来をイメージしてみたら、 何かをみつけるために、 アンテナもはらなきゃならないし、 自分も磨かなきゃいけないし、 そもそも、食べなきゃ、ここで弱ってしまっては、 話になんないぞ、と。 稚拙なイメージでも、いまの自分で描ける最適を描き、 あとは、いずみさんの言うように、日々微調整を繰り返し、 最適が枯れないよう、現実と乖離してしまわないよう、 1日、たった1分でもいい、 最適のプログラムをイメージし、 プログラムをコツコツ書き換えて続けていく行為が、 結果的に希望になっていくんじゃないか。 その点で、スヌーピーさんの最適のイメージのしかた 「なるようになる」というのは、ほんとに強い! と思う。 なるようになる。 なるようになるのであるから、 その時その時自分が選択していることは、間違いがない。 幼いころから、病気と向き合い、周囲の生き死にに 直面してきて、生きるとはどういうことか、 体で知っていてこそ言える 「なるようになる」という強いイメージ。 「なるようになる」は、言葉はひとつでも、 日々刻々と変わり続ける自分や、 変わり続けるまわりのなかで、劣化しない。 そこにこめる意味合いは、日々微調整が可能で、 現実と乖離してしまわないし、 意味自体が育っていく言葉だ。 いますぐ、結果はみえずとも、 瞬時、瞬時の自分の選択には間違いないと信じること、 信じてコツコツとやっていくこと、 ここにも、「受け入れる力」を強く感じる。 いまできないことを、イメージする力が人にはある! 今日はこの読者メールを紹介して終わりたい。 <最後によかったって言えればいい> 私は30代でがんになり、 子どもを産むことができなくなりました。 再発の不安や抗がん剤治療の辛さより、 子どもができないということが悲しくて。 外を歩いていて 頼りなさそうな親を見れば、 「ちゃんと子育てできてるの?」 子どもを叱ってる親を見れば、 「そんな叱り方、子どもがかわいそう、 ほんとにこの親で大丈夫?」 親子で手をつないで楽しそうな姿を見れば、 「私とこの人となにが違うの?」 羨ましさと妬ましさと比較ばかり。 親子をみるたびに、暗い気持ちになって、 そう感じる自分が情けなく、惨めでした。 そんな悶々とした中で これから先、ずっと嘆いて生きていきたくはない。 病気になったのも、自分を大切にしてなかったから、 もう自分の人生にNOと言って生きていきたくはない。 そういう思いだけは募っていきました。 だったら自分にできることってなんだろう? 子どもがいなくても、好きだし関わっていきたい。 子どものボランティアをしようか? いっそのこと、保育士とか学校の先生をめざそうか? その前に、心に決めました。 「全ての子どもを愛そう」 治療中の私でも、それなら今すぐにできるから。 それからは、 子どもをみれば、かわいくて自分が笑顔になります。 叱ってる親をみても、がんばってって 心の中で応援してる自分がいます。 とにかく、今まで感じていた嫌悪感がなくなって 親子を見るのが楽しくなりました。 どうにもならないことは、 悲しみ、辛さ、怒り、不安、悔しさなど マイナスの面を大きく含んでいて受け入れがたい。 でもそれを受け入れることによって その面をひっくり返してプラスにできるんじゃないかと。 そうやって生きていけたら、 がんになったこともよかったって言えそうです。 (ぽん) |
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2009-10-28-WED
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