YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson489
   幸せを実感するチカラ 3



はたから見ると、恵まれている
という人が、イマイチ幸せを実感できないのは
なぜだろうか?

先週、2つ考えた。

ひとつは、「ないものねだり」。

子どもがいない人が、
「子どもさえいれば」とうらやんだり、
いざ子どもを持った人が、
「独身のときは好き勝手できてよかった」
と自由な生活を切望したり。

もうひとつは、「ステレオタイプ」。

お父さんがいて、お母さんがいて、
男の子と女の子が1人ずついて、
いつも仲良く、夏はバーベキュー、
冬は鍋を囲んでいる。

こういう典型って、結構、先入観として刷り込まれ、
自分の価値観を支配しているんじゃないないだろうか。

典型を望んでもいい。
ないものねだりをしてもいい。
不幸だという気持ちを溜め込んでバネにしてもいい、
「幸せなんて、いらねー」でも、
それでいい。

幸せに正解はない。

でも、「いま幸せだ」と実感したいというとき、
その方法は案外身近にあるんじゃないか?

先週、そんなお話をしたところ、
たくさん反響をいただいた。
ないものねだり、ステレオタイプから
脱却する道はなにか?

まずは「日曜夕方、家族連れでいっぱいのレストラン、
ひとり暮らしはつらいよ」という意見について、
読者のこんな見方から、続けて3通、お読みください。


<試しにやらせていただいている人生>

日曜日の夕方、レストランの家族連れをみて‥‥
の「ないものねだり」
これは日常のいろいろな場面でふと心をよぎりますね。

人生のあの場面で、
あっちの選択をしていたら今の生活はどんなだったかしらと
いままで何度思ったことでしょう。

志望校を決めたとき、部活を決めたとき、
ほんとうは私もいいなと思っていた人に
今だからわかる告白をされたとき、就職を決めたとき‥‥
分岐点はなんと多かったことか。

昔、田辺聖子の小説を読んで、人が死ぬとき
神様が突然現れて
「はい、そこまで〜!」「玉は出尽くしましたで〜!」
と言われるというような表現がありました。

そのとき、私は神様と自分の会話を想像してみたんです。

「神様! 今回の人生の玉が出尽くしたのはわかりました。
 しょうがない、もうこれで今回は結構です。
 だけどひとつだけ心残りがあるんです。
 もしもあのとき、
 あっちの道を行ってたら
 私はどんな人生だったんでしょう。
 お願いです、
 あっちの設定でもう一回やらせてください!」

「そんなにあっちの道が気になるか‥‥。
 う〜ん‥‥それならもう一回、
 今度はあっちの設定の人生やってみるかいな?」

「はい、是非! お願いいたします。」

「ただし、今度の母親のお腹から出たとたん、
 今このように自分から頼み込んでやらせてもらってる
 ということをあんたは忘れるよ。」

「はい、それで結構です。
 いままでの人生は専業主婦の悲哀を
 いやというほど味わいました。
 もう一回! 頼みます! 今度はバリバリ働くぞ〜!」

そんなふうにしてスタートした「あっちの人生」が
「この人生」

こういうふうな想像をしたとき、
ふっと肩の荷が軽くなって、
「試しにやらせてもらってる人生か‥‥
 それなら思う存分やってみよう!」
と思えたのでした。

現実に押しつぶされそうなとき、
こんな想像おススメですよ。
(さっちゃんババさん 57歳)


<家族に消費される、から、共有へ>

休日のレストランについて

わたしは3人の子持ちで、不定期の講師をしています。

講師って仲間がいるわけでなし、一人なんです。
子供がいたって、夫がいたって、一人は一人。
家族に夢を持ちましたが、
一緒にいる煩わしさ、
自分の時間を消費される疲労感はあります。

でも、与えられた(私は選んだ)状況の中で
最善を尽くすしかないと思うんです。
ねたんだり、過去を掘り起こして「もし○○だったら」
なんて思っても、
みんな一人ひとり違うんだから、しかたない。
消費される→共有と変換していこうと思っています。

子供一人につきお金も心配も欲もまとわりつくわけです。
家族や子供。
いてしあわせ。いなくてしあわせ。

競争から降りる。
あきらめるのではなく、みんな違うんですから。
(寂しさも孤独も友達さん)


<典型と呼ばれる家族にいます>

私には、まさしく夫、男女一人ずつの子供達がいます。
夏休みにはキャンプやバーベキュー。
冬には鍋を囲み
週末には四人で買い物ついでに外食。

幸せだったか?

断言できます。幸せではありませんでした。
夫に対して愛情が無かったからです。
そんな家族ごっこのようなイベントが苦痛で仕方なく
連休が大嫌いでした。

子供が喜んでいるならばいいか‥‥
子供の為に‥‥
そうやって言い聞かせていました

そんな彼らも今では高校生
家族ごっこの必要はなくなりました。

離婚する為に勉強をして資格をとって就職しました。
経験を重ね収入は夫と変わらなくなりました。
会社で働くという事は、当たり前だけど大変です。
責任もプレッシャーもあります。けれど自分で稼いだお金で
好きなことをする!!
以前は、外出も夫の顔色を伺っていましたが今では堂々と
友人とランチに出かけたり
子供と自分の母と旅行に行ったり‥‥

きっと幸せだと思います。

結婚してもしなくても。子供がいてもいなくても
やっぱり自分次第なんだと思います。
子供が小さかった頃の家族ごっこが
全て無駄だったかといえば
決してそうではなく、
今の自分を形成している一部なんだと思っています。

目標だった離婚も「どうでもいい事」になり
子供達が独立したら考えるつもりです(笑)

自分が生きたい様にいきる事‥‥
私の考える幸せです
その為には、たくさんのパワーが必要なんだと学びました。
(Xさん)



私がXさん、いいなあと思うのは、
「カタチを焦っていない」ことだ。

結婚をするしない、子どもがいるいない、
ということも、もちろん大問題だと思う。

しかし、Xさんは、結婚・出産・育児という大問題を、
自分の手でやってみて、
「それよりも大事なもの」を見ている。

離婚も、ほんとうに切実な大問題だけど、
Xさんは、その大問題よりも、「大事な何か」を見ている。
離婚というカタチを焦っていない。

だから、夫のせいにせず、子どものせいにもせず、
「幸せは自分の手できりひらくもんだ」と、
自ら行動を、おこしている。

私自身、ついついカタチにとらわれるけど、
答えはひとそれぞれだけど、
Xさんは、こんな問いを投げかけてくれる。

「カタチよりも大事なものはなんだろうか?」

読者の「青い鳥を飼う者さん」はこう言う。


<いま、嬉しい?>

幸せな時って「嬉しく」ないですか?
私は幸せな時って「嬉しい」って感じます。

先入観=ステレオタイプの呪縛はその通りだと思います。
みんな「考える手足」を縛られて動けないでいる。

動けないから縛られた状態で届く「社会が決めた幸せ」を
求めて生きる。

皆とは違う「社会が決めた」のとは違う幸せを生きることは
自分で幸せを「考える」ことになる。
自分の幸せを考え始めると
「自分を知る」ことになると思う。

自分にとって「嬉しい」と感じるものは?

そう感じる方向に生きるのが
幸せを実感する事なんだろうけど、
その代わりに「先入観」と戦うという責務がでてくる。
(青い鳥を飼う者さん)



また、読者のtuuさんは、不幸に遭遇したときの
切り抜け方が分かれ目だと、次のように言う。


<羨んでいる時間は無い>

この一年で流産を繰り返しました。
自分は何て不幸な人間だろうと落ち込んだのですが、
周囲の雑音や自分の先入観を
一切遮断してみて考えたのです。
流産して悲しくていっぱい泣いた。
だけど、私は元気だ。
しばらくして、旅をしたり本を読んだり
好きなことをする時間も持った。
思いがけず楽しかった。
負け惜しみではなくそう思った。

きっかけを与えてくれたのは、
末期がんと告知された父
「人の命、時間には限りがある。
 悲しんだり誰かを羨んでいる時間は無い。
 自分が損するだけだ! 今を生きろ!」
父は身をもって教えてくれた。

生きていれば幸せでない状況にばかり遭遇する。
そこをどう切り抜けるかで、
幸せな人とそうでない人が決まるのではないだろうか?
(tuuさん 39歳・主婦)



2人とも、状況が整えば幸せになれるとか、
状況が整わないから幸せになれない、と言っていない。

「いま、嬉しいか?」

「幸せでない状況をどう変換するか?」

それを自分の胸に問い、自分の手でつかむことが
幸せへの道だと言っている。
カタチもとかく大事だとおもうが、

あなたにとってカタチよりも大事にしたいものは何か?

今日は、読者のこのメールを紹介して終わりたい。
次回は、5月12日(水)に更新します!


<何だか常に不機嫌でいた私、からの脱却>

42歳女性です。

ないものねだりはよくやります。
ズーニーさんが思う
子どものいない自分は、なんとなく
女として胸をはれないような、
ちょっと、その幸せなテーブルを囲んでいる人たちに
まけているような、なんか劣っているような‥‥。
その気持ちも非常によくわかります。

今の彼と付き合い始めたころ、よくそう思いました。

「私だって彼さえ結婚するって言ってくれたら、
 子供だってまだ生めるし、ああいう風になれるのに。」

とひたすら己を哀れみ、挙句の果てには
「結婚してくれないなら、なんで付き合ってるんだろう」
となり、
「別れるほうがいいのかも」
となっていきました。

いろんな恋愛本を読んでみましたが
何の助けにもならず‥‥
かといって彼に「結婚してくれ」と迫る勇気も無く
何だか常に不機嫌、という状態になりました。

でも、ぐじぐじしている私に
「旅行に行こうか。好きだよね、旅行。」
といって、そんなに好きでもなかった旅行に
誘い出してくれて、
私がうれしそうだと、よかったよかったと喜んでくれる彼。

それを見ていてハッとしました。

自分のことをこんなに喜んでくれる人がいるんだ。
私、この人と一緒にいて幸せだ。

私、結婚式をしたかっただけなのかな。
と気づいてそこから変わりました。

彼と一緒にいることを楽しもう。

自分が本当にしたいのはそれだもの。
そう思うと毎日彼と会うのが楽しくて仕方なくなりました。
数年たって、今年、彼のご家族にも紹介してもらい、
実家にご飯も時々ごちそうになりにいくようになりました。

自分が選んだ道だから、行ける所まで行こう。

そう腹をくくることが「幸せ」なのだと思います。
よく考えたらここ何年か、幸せじゃない! と思う日は
ずいぶん減りました。

転職活動をして、仕事もやったことがない職種で、
不安もいっぱいだけど、
この4月、転職先決まりました。
給料だって、待遇だって段違いで低いけど、
彼と過ごすための時間がたくさん。
大好きな料理をやる時間もたっぷり。
私が一番望んだことです。

前を向いてこの道、歩いていきます。
書いていて改めて思いました。

私、幸せです。
(tさん)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2010-04-28-WED
YAMADA
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