YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson493 守ってあげたい 2


「家族を守る」、
このあまりにも正しい、通りのよい言葉に、
違和感を訴えた先週のコラム、

すっごい!!! 反響だった。

やはり、あまりに響きが良いこの言葉に、
正面きって反論できず、
かといって「なんか違う」と飲み込むこともできず、
私のように人知れずモヤモヤしていた少数派は、
予想以上に多くいた。

しかも女性だけではない、男性にもいた!

男性2人の意見、まず読んでほしい。


<守る力はあるのか?>

「守ってあげたい」を読んで、
僕もこの言葉を職場でしばしば聞くので、
男性の立場でメールします。

転職してきた現在の職場では、まず前職の時以上に
「家族第一」、「仕事はそこそこ」、「とにかく早く帰る」
人々に多く会います。

転職当初の研修から、これらの言葉を浴びせられ、
「何だろうこれは?」と、
いっしょに研修を受けていた同期と、
「何だかモチベーションを下げる発言を
 平気でするよなああ。」
と同意していました。

僕はこの言葉を聞いた時、
「価値観の違い」という言葉で、
簡単に理解しようとします。
自分を無理矢理納得させようとします。
正に、ワーク・ライフ・バランスか。

でも、価値観の違いで簡単に片付けようとするのですが、
どうしても納得いかない。聞いた後に、後を引き、
お腹が重い感じが残ります。

僕が気がついたのは、
「守ってあげたい」的発言をする人から、
守る力を感じないことです。

この人は本当に家族を守れるのか?
と疑問を感じることです。

あなたが定時に家に帰って、
家族といっしょにテレビを見ながら食事。
たまには良いかと思いますが、それをただ続けることが、
家族のため??

もし仕事をしている時の人間的な強い力を、
その発言をした人から感じることが出来ていれば
きっとそんな感覚は持たないと思います。

僕は、「守ってあげたい」的発言には、
かなり「守られたい」気持ちが含まれていると
感じています。

あなたが守ってあげたい人は、
実は守ってもらいたい人かも知れない。

これをどうやって伝えたらいいのか、
実は難しく、自分なりの手段をまだ持っていません。

最後に、
僕は独身なのでこんな感じ方をするのかもしれない。
でも「価値観の違い」で簡単に片付けたくはない。
そんなテーマです。
(マコト)


<守るよりまず、大事なこと>

愛する人に守られたいか。
この問いへの答えは、その人が自己を確立しているかどうか
によると思います。

自己を確立している人は、
愛する人に守られたいというよりも、
まず理解されたいと思うはずです。

どういう仕事に自分のエネルギーを費やしたいか。
人生を賭けたいか。
なぜ、それを大事だと思っているのか。
その考えは、これまでのどういう出会いや経験に
基づいているのか。

こうしたこと、つまり「自己」を理解してもらう事が、
「愛する人に守られている」感覚にすらなると思います。

ズーニーさんのお母様が
「自分で決めて、前に前に進んでいくしかないんじゃ!」と
叱咤した時、お母様は、
ズーニーさんの大切なもの(=自己)を
大事にされたのだと思います。

伝統的な男女関係、家庭の在り方が崩壊していく一方で、
自己をしっかり持って生きる人が増えてきています。

そうした人達からすれば、「家族を守る」と言う人に
違和感を感じるのは自然かも知れません。

「それって家族に依存しているだけじゃないの?」
「家族の前に、あなたは自己を持ってますか?」

と突っ込みが入りそうです。

これからは、男女双方の自己の確立と、
互いの自己の理解を基礎としたカップル、
家族が増えていきそうです。
自己を確立していない女性との方が
付き合いやすいという男性も、
まだ一定の割合で居続けるとは思いますが。
(33歳男性・独身)



マコトさんのメールで印象強かったのは、
「守る、守ると言っている人に、守る力を感じない」
というところだ。

仕事場は、ときに人の能力がむきだしになるところだ。
その仕事場で、人間的強さが感じられないと
同僚から思われている人に、
はたして本当に家族を守ることはできるのだろうか?

守る力はどこで育む? 仕事場ではないのか?

また、33歳男性さんのメールの「理解」にはぐっときた。
このような男性がいることを心強く思う。

時代のなかで、
「自己確立」をし、かつ、「理解」しあってともに生きる。
そういうカップルが増える一方で、
そういうふうにはなれない・ならないカップルの、
「守り・守られる」関係も、一定の割合で、
反動があるとさらに増えて、続いていくんだろうなあ。

では、実際に「きみを守る」と言われた女性は
どう思っているのか?

「守る」とプロポーズされた人はどうだったか?
「守る」と言われて結婚した人のその後はどうか?
これはすごくたくさんおたよりがきた。
ほんの一部を紹介したい。


<守ると言われて嬉しかった>

大学4年生の女子です。

彼氏から私の誕生日に
「俺はお前を守っていきたいんだ。」
と、言われました。
その言葉を言われた時、ものすごくうれしかったです。

最近の私は、卒論のテーマを決めなければ‥‥
と毎日頭を悩ませています。
3年生までは決められたカリキュラムに従って
単位を取っていくという学生生活だったので、
自分でテーマを決めたり、問題を見つけたり、
問題解決の方法を考えたり、仮説を立てたり‥‥
そういうことが難しいです。
今まで受け身で消極的だった自分だったことを
強く感じます。
同じ研究室の仲間が自分の考えていることを
話すことができる一方で、
私は自分の考えもうまく持てていません。

いろいろ悩んで就職活動もまともにしないまま、
大学院進学を決めました。
今でもなんのために勉強して
将来こういうことがしたいという
具体的ビジョンが持てないままです。

そんなことを考えている時に彼からかけられた
「守りたい」という言葉はとてもうれしいことでした。

彼は就職も決まって
残りの大学生活を楽しんでいるようです。
彼には何の不満もありません。

私は、今の自分が好きではないです。
というかいつも自己嫌悪です。
こんなんじゃないって思いながら生活しています。

守りたいと言われた時、
ひとつだけ気になったのは

私がそれほど弱く見えているのかもしれない
ということでした。

どんなにがんばれ、きっとだいじょうぶだよ、
って言われても
彼が私を生きているわけではないので、
私のことを助けることはできないですよね。
(大学4年生の女子)


<瞬間、怒りが湧き起こった>

以前、男性に「俺がおまえを守る」と
言われたことがありました。
それまで私が結婚を決めかねていたのもあったからか
と思いましたが、
この言葉で、違う! と強烈に、
瞬時に怒りまで沸き起こってきました。

その時の満足げな様子が、
安易にこの言葉を使われた気がして、
余計にショックでした。

私は、対等が良かった。常に並んでいたいと思っていた。
負けず嫌いの気持ちも無かったとは言えませんが、
私は守ってもらおうなんて思ってなかったし、
私は弱いのか?
守られるような私で居なければいけないのか?と。

それこそ、何から守るのか? 私の感情まで覆うつもりか? 
とまで考えてしまいました。
私の中では、「守る」が弱いものを外部から守る
という意味で占めていました。

私は、きっと普通ならばとても嬉しい言葉なんだろう。
と思いつつ、
実際、その人からはそう見えていたのかもしれないけれど、
自分は全く逆の想いと、その人が言葉にしてくれた
想いの違いに、伝えていなかった自分が悪く、
断ることになったことに反省しました。

断った理由は理解されませんでしたが、しょうがなかった。

今回の話で、この言葉が
どのような行動につながることなのか、
簡単に見ることの出来ない意味を持つ「守る」に、
相手も含めた上で、一方通行の押し付けにならないように
動ける人になりたいと思いました。
(じゅんこ)


<私の田舎では守り・守られるが常識>

最近私は、失恋をしました。

私たちは一時、互いに守り、守られる存在として
一緒に生きていこうと考えたことがありました。
このまま結婚するんだろうって思ってました。

だけど正直言うと、結婚がゴールみたいで、
すごく息苦しく感じました。その後には何があるの?
って。

私は、彼と一緒にいたくて地元で働くことを決め、
彼も地元で働くために必要なキャリアを積んでくれていました。
私が住む田舎では、男は女・子供を守るもの、
それが当然であり男の甲斐性という風潮が残っています。

いざ自分がそうなったとき、私は守られる存在として、
一人では生きていけない生き方になることが
怖くなりました。
残りの長い人生のことを考えたら、
私個人の人生がもったいないような気もしました。
相手も、そういう気持ち(守る立場としての恐れや疑問)が
あったのだろうと思います。

私たちは、「私は社会でがんばる、だから君もがんばる」
という道を選びました。

私は、守られたかったです。

いま、自分の人生を歩もうとした時、
支えがないような気がして怖いです。
本当はそれは良いことじゃないのかもしれませんが、
守られたかった。

先週のコラムで例にあがった男性のように、
「がんばれること」があったら良いなと思います。
私は、守られたいという思いから
抜け出したいと思うのです。
(公務員 25歳女)


<「きみを守る」のその後>

「守ってもらう」つもりで、23年前に結婚しました。
最近、守ってもらうことが結婚ではないんだと
実感しています。

家庭内では弱い立場だったはずの妻(私)が、
収入はないけど、子育てをして、地域とつながって、
ボランティアで社会とつながって、
いろいろともめ事もあり、
介護で心身共に追いつめられたときもあり、
そんな経験を通して、弱くない私になっています。
いえ、もともと守られる対象ではなく、
経験が少ない未熟者だったのでしょう。

そして、君を守る家族を守る、といっていた夫は‥‥。

夫はずっと会社勤めをしてきて、
私たちの生活を支えてくれていた。
ありがたいことだけど、守るを仕事にしていた夫は、今、
子どもたちが次々に巣立とうとしていて、
妻が守られなくてもいい現実に、きっと戸惑い、落胆し、
腹を立てているのだと思います。

私は、背中を押して欲しいのだと気づき、
夫は両手の中に守る人がいると思っている。

お互いを支え合う人間関係が結婚だと、
もっと早くお互いに知らねばならなかった。

遅くはない。これからくる夫の定年を、
夫婦二人で背中を押し合えたら、お互いがお互いを認めて
それぞれが高めあえたら、
どんなに豊かな人生になるでしょう。

そして、これから社会に出て行く子どもたちにも、
自分の足で立ち自分の身体を支える人間になって欲しいと
思いました。
(岩槻のスヌーピー)


<主人に伝えたい・伝わらない思い>

>愛する人には、私を守るなど大義名分を掲げないで、
>まず「自分を生きて」ほしい。
>そして「ともに生きて」ほしい。
>できれば私の「背中を押して」ほしい。
>もっと言えば「羽ばたかせて」ほしい。
>子どもには自立を励ましてほしい.

ズーニーさんの言葉が私の胸に突き刺さりました。
まさに私の心の声です。

でも、『家族を守る』ことに執着しなければ自分の存在が
揺らいでしまうと思っている人(主人)には、
伝わらないんです。

伝えたところで、「自分勝手だ。」
「子供は親が導いてやらないといけない。」
と、一蹴されてしまいます。

「自分を生きていない」から、
『家族』を自分の所有物のように扱って、
支配し、自分を誇示しようとするのです。

背中を押して、羽ばたいていったら戻ってこないと思い、
不安でいっぱいだから、共に生きられないで、
「守る」という圧力をかけるのです。
そんな主人に依存をして、
無いものねだりをしている私がいるのです。

どうにか、私自身の伝え方を考えあぐねながら
「家族」というものを築いていきたいと思っています。
(マック)


<それは、彼の問題>

私が夫に「君のために働く」と言われたとき、
うれしいどころか、腹が立ってしまったのでした。

そのときの夫は、自分の専門分野ではない場で働いており
毎日のように、自分の不遇を嘆き、文句を言っていました。
転職したいと言うのに、そのための勉強や準備は
全くしていない。

そんなとき、「君のために働く」と、彼は言ったのでした。

私は、自分が置かれている現状を正当化するために
私をダシに使って、言い訳をするんでない!と、
思ってしまったのです。

そもそも、私は彼におんぶにだっこしてもらっている
つもりもないし、していません。
お互いに自立しあい、協力しながら、
ともに暮らしているのです。
私のために、自分が犠牲になっているつもりでしょうか?
冗談じゃない。

私のことは気にせず、どうぞ自分のために働いてください。
私は彼にこう言いました。
私のことを言い訳にできなくなった以上、
現状維持でいくのか、それとも、努力して打開していくのか
それは、彼自身の問題になります。

こんな風に思う私は、厳しいのでしょうか?
(ちい)



「きみを守る」、

このあまりにも美しい・正しい響きのかげで、
実際、想いはズレて、せめぎあっている。

男と女の想いもズレている。
旧世代と、若い人の想いもせめぎあっている。
田舎などの地域と、個人の想いもズレているし、
自己をしっかり持った人と、自己確立しあぐねている人の
想いもずれてせめぎあっている。

でも、ひとりの女性のなかでも、
「守られたい」自分と、「背中を押されたい」自分が、
どちらも本当で、ぎったんばったん、きしんでいる。

「守る」

この一見、疑いようのない美しい言葉に、
どんな心理が潜んでいるのか?
この言葉についていけない人は、
自分の考えをどのように育てていったらいいのか?

どのように「守る」人との関係を築いていけばいいのか?

きょう、とても紹介しきれなかった
素晴らしいおたよりとともに、
引き続き、来週も考えていきたい。

さいごにこのおたよりを紹介して、
きょうは終わりたい。


<私の答えは、「いいえ」です>

問:あなたは愛する人に「守られたい」ですか?

私の答えは「いいえ」です。

「守る」とは具体的にどういうことなのか考えると
私の頭には身近な具体例として
両親の夫婦関係が浮かびます。

そして、その関係において、
守る=搾取、守られる=依存
と言い換えることができると考えます。

母は専業主婦で、私が小さい頃に倒れてから
ずっと病気がち。
そんな母に代わって、父は子供達を育てながら、
母の看病もしています。

ここまで書くと美談のようですが、
人生はそんなキレイ事では済みません。

その結果、母は父がいないと何も出来ませんし、
正直、社会的な常識も持ってません。

何より、母は父の物差しで全てを見るため、
自分自身のことが分かっていないのです。

しかし、これは母だけの責任ではないと、
ある日思ったのです。

この関係は、両親の夫婦のあり方が
成したものなんだと思います。
でも、二人はとても幸せそうです。
80歳近くなった今も、何だかんだ言って仲よしです。

父は母から無理難題を吹っ掛けられても、
きちんと答えます。

母は自分の結婚生活に価値を見出しているので、
娘の私が結婚しないで仕事に打ち込む事が
理解できないと言います。

だから、守り、守られる
という関係も有りなんだと思います。

でも、私の心の物差しでは、無しです。

こうしたギャップの違いの原因として、
1つは社会的背景があると思います。

女性は家庭に入って、旦那様に養ってもらう。
それが当たり前の世代である両親には、
至極当然の話なのでしょう。

しかし、娘の私は、女性が社会で働くことが当然の
世の中で育って来ました。

そうした中、私は自分の幸せは
自分で積み上げたいと思います。

そして、愛する人に守ってもらうのではなく、
寄り添ってもらいたいです。
他人同士だから、もちろん共感できない時も
理解できない時もあって当然。
それでも、理解することを諦めない関係を築けたら
素敵だなと思います。

実は今、想いを寄せる方がいますが、
いわゆる遠距離恋愛です。

相手の方は、そのまま永住を希望しているので、
いずれ私が移り住むことになります。

それまでに、その地で自分が何をしたいか、
どんな人生を歩みたいか
しっかりと自分と向き合って、悩んでおきたいと、
近頃思ってます。

私の辞書に「人に頼って得る安定」という言葉は
ありませんから。
(るうこ 36歳・会社員)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2010-06-02-WED
YAMADA
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