Lesson494 守ってあげたい 3
「守る」について、
今週もたっくさん!の反響をありがとう。
正直、これほど多く、熱い反響が返ってくるとは、
まったく予想していなかった、
私がいちばん驚いている。
しかし、読者の反響を読めば読むほど、
「守る」がいま、物議を醸しているわけがわかる。
まず、
1.「守る」をめぐって幾通りもの男女のドラマがある。
2.「守る」の定義は人によって恐ろしいほど違っている。
3.この言葉を使うとき、人は酔いやすい。
「酔いやすい言葉」と、
担当編集者の斉藤さんに言われ、
なるほど、この言葉は、
使っている自分に酔いやすく、
聞いた人も心酔しやすい。
なんで酔いやすいのか?
ひとつには、明確な定義がされていないため、
おのおのが、自分勝手に、自分の好きな思い入れで、
この言葉を使えるから・聞けるから、というのがある。
「男が女を守るっていったら、お金に決まってる。
守るとは、一生、食うには困らせないって意味だよ。
そのくらい聞かなくてもわかってくれ、常識だ」
という男性がいれば、
「守るといっても、
ふだんとりたててどうこうということはない、
何か非常事態が起きたら、そのときは、
自分の命を顧みずに、相手の命を守る」
という、状況限定のものもあれば、
「つらいときには、じっと話を聞いてくれ、
そばにいてずっと慰めてくれる」
と、すっごく精神的な意味あいで受け取っている人もいる。
「何があっても、世界中を敵にまわしたって、
あなたには、一生、いつも、絶対、私がいるから」
というような、全人的・絶対的な意味での合一。
ふたりはひとつ、と言う意味の人もいる。
子どもが困っていても、あえて子どもの自立を願い、
なにもせずに「見守る」ことからはじまって、
いい意味で「つきはなす」ことまで、
あえて「苦労をさせる」ことまで、
ひろーくぜんぶが「守る」という言葉に含まれる
という人もいる。
「守る」に特に意味はない、実体のない記号だ。
とくに意味を探ることなく記号として受け取っておけ、
という人もいる。
どれが正解、どれがまちがいということはないのだけど、
同じ「守る」を使っていても、
10人いれば10人意味がちがう。
なのに、私自身もそうだったのだけど、
人によってそれだけ違うという自覚がない。
私も、なんとなく自分の思う「守る」が、
そこそこ共通のものと、
思い込んでいたふしがある。
これではすれ違いが起こってあたりまえだ。
国語の読解をもちださずとも、
キーワードの定義、
つまり、相手理解を正しくするためには、
「相手が何度も使っている言葉、
ここぞというところで使う言葉の定義を明確にする」
ことは不可欠だ。
しかし、今回、読者メールでわかったことは、
「言葉の意味を相手にたずねるのは無粋な行為だ」
と思っている人が、一定数いるということだ。
あえて何も聞かない、あるいは聞けない。
だとすると、すごくブレた言葉が、ブレたまま。
男が女に「守る」と言ったときに、
お互い、自分の願いのマックスで、その言葉に思い入れ、
男は経済力のつもりで言い、
女は精神的意味あいで、もう孤独ではないんだと歓び、
フタをあけたら、「守ってくれるって言ったじゃない」
「僕はそんなつもりで言ったんじゃない」ということも
ありそうだ。
「守る」という言葉を使うとき、
「男とは何か、女とは何か、
自分はどういうスタンスで異性と向き合うか」
その人がふだん根本のところでどう思ってきたかの
価値観が問われる。
だから「守る」のひと言に、
互いの価値観のギャップがあれば、あらわになり、
そこに幾通りものドラマが生まれる。
きょうも、まず3通、続けて読者のメールを紹介したい。
<守ってあげたいの起源>
「守ってあげたい」
その言葉はとても美しく響きます。
でも私がそれに似たようなことを
昔付き合ってた人に言われたとき
全然響いてきませんでした。
そんなに守ってもらう存在じゃないのに‥‥と
もどかしさを覚えました。
なにか、弱いものとして彼に設定されてしまっていて
でも覆すには、美しすぎて、触ることができない。
彼には信念のようなもので、
心の底の方を流れているものなんだなあと感じ、
指摘してどうにもなるわけでもないと思い
笑顔で感謝の意を述べ、
実質的には流すことしかできませんでした。
男の人も、女の人も、1人の人間として、生きて、
その人同士が一緒にいたらいいんだと思います。
それは本当にそう思います。
そして、そうやって生きていきたいと、願っています。
なので、逆に、ちょっと
「守ってあげたい」の起源を感じた出来事を。
私はもともと東京出身なので、
大阪を観光したりするんですが
大阪城に行ったときのこと。
大阪城の中は博物館みたいになっていて
秀吉ゆかりの品とか、関ヶ原の戦いや、
大阪夏の陣の屏風など
日本の戦乱の世を感じることのできる空間でした。
そこで、戦国武将の兜をかぶって
記念撮影ができる所があったんです。
私と友達は面白半分でそこに行きました。
上着を着て、刀を貰って、さあ兜をかぶる‥‥
‥‥その兜、本当に鉄製かなんかで、
ものすごく重いんです。
何キロあるかなんてわからないくらい、
とにかく頭が潰されそうで。
怖い、と思いました。
こんな重いものをかぶって、敵に突進していくのか、と。
かぶっているだけで、フラフラして、倒れそうなのに。
手には刀がありますから、それはさすがに模造品でしたが
人を切る、ということが、
国を守るという大義名分で許される時代。
むしろ武士たるもの、立ち向かっていかねばならない時代。
その後に見る、大阪夏の陣の屏風、
たくさんの侍が切り合いをしてて、
町の女子供まで追われている。
負けたら、殺される時代。
‥‥この時代だったら、守ってもらいたい、
と思っただろう。
女として、びっくりするぐらい、そう確信していました。
日本だって、第二次世界大戦のころは
もしかしたらそんな価値観があったのかなあとも思います。
武力がものを言う時代、それはどうしても、男の人の世界。
男性の力が、必要な時代。
女性はどうしても、家を守ることが求められた時代。
そうでなければ、国が続かない。
それが当たり前だった時代。
それから、何十年か経って、
私たちはだんだん世代交代してきました。
日本は平和の憲法を持って、戦争をしないことにしました。
男の人の仕事は、企業で働くことになってきました。
でも、企業で働くことは、女の人にもできました。
前からそこにいた男の人たちはそれは嫌がりましたが
それでも女の人は働き、地位を確立してきました。
男は外、女は家、そうして生きてきた長い歴史があって
でも、時代が平和になって戦う必要がなくなって、
戦争が終わってしばらくはそういった価値観が
残っていたのだけど
だんだんと、そういった名残も消えてきて、
個人は個人として、男の人も女の人も
自由に生きていいよってことになってきて。
武力だったら男性ばっかりなんだけど、
企業だったら男性も女性も同じ土俵に立てる。
今はその価値観の過渡期にいるんだと思います。
伝統的な役割はもうしてもしなくてもいいよ、ってなって。
その役割から解放されて、
いち早く自分の人生を歩き始めたのは
女性の方が多いのかもしれない。
やっぱり家父長制の持つ、守る、というかっこよさを
受け継いでいきたいのは、男性が多いのかもしれない。
とはいっても、そうでない男性も、
増えてきている感じもしますし
本当に今、過渡期なんだと思います。
守る、という人もいるし、それにしっくりくる人もいるし、
違和感を覚える人もいる。
それでいいんだと思います。
ごく自然な、流れなんだと思います。
(micco)
<半径1メートルの守備>
今回の愛する人を「守る」と言う言葉に関するお話も
非常に面白く思います。
特に就活中の男子学生の言葉には驚きました。
結婚が人生の目的化しているのですね。
確かに今の20代は日本の失われた20年まっただ中に
生まれ育ち、仕事や世間に高い目標やあこがれを
見いだしにくいのかも知れません。
私には若い人の強い結婚願望は無意識の逃避
といった気がします。
世の中の厳しい現状から逃げ眼を背ける脆弱さを
「守る」という言葉で隠している感じがします。
「守る」は具体的になにをとか何からとかいうより、
「戦う」と相対的に使われているのでは?
大きな挑戦や摩擦を避ける代わりに、
半径1メートル以内の守備を選択したというような。
この「守る」は「働きたくない」で出てきた
いくつかのキーワードとともつながっていると思います。
ちなみに私は「守る」と言われても
ピンとこないと思います。
もう十分大人なんで、だれかに庇護される必要ないです。
(みい)
<新たなシステムを私たちがつくる>
結局は、私たちがそこそこ食べられることが
あたりまえになったために、
リセットして考えざるを得なくなったのだと思います。
戦争の記憶がある世代の方々にとっては、
食べるためにはチームで生きていく事が
絶対条件だったと思います。
でないと本当に食べ物を口にできなかったはずです。
男性も女性も、一人暮らしがあたりまえになるほど
食べ物が豊かになり、チームの一員になることが
生存のための必要条件でなくなった結果、
違和感を感じる言葉が聞かれるようになったのだと
思います。
今ある社会的なシステムは「食べられないことが前提」の
方々が作ってくださったものなので、
私たちがこれから「食べられることが前提」の
システムなり考え方を作っていくしかないのではと
思います。
(Hiroko)
攻めてくる敵が明確であったり、
相手が守らねばならない困った状況にあるときは、
「守る」と言って問題ないどころか、美談だ。
しかし、具体的に目に見える敵がいるわけではない。
相手がとりたてて今、守らなければいけないような状況にない。
そんなときに「守る」が使われると、不協和音が起きる。
みいさんの、「大きな挑戦を避ける代わりに、
半径1メートル以内の守備を選択した」
という見方に、私は強く共感する。
私がこの問題をとりあげた動機も同じところにある。
私は、この一連の「守る」に関する問題を
アイデンティティの持ち方の問題ととらえている。
これについては次週以降お話するとして、
今日は、「守ることの限界」について、
読者のおたよりを3通紹介して終わりたい。
<自分の限界を知っているか?>
姉の言葉を思い出します。
「守ることの限界を知る」
僕が、2年前に新たな転職先として
実家から離れた場所で仕事をしようと、
正に決断をしようとしていたとき、
でも僕に少し迷いがあったとき、
姉は、僕と同居していた父に向かって言いました。
「マコトにはマコトの人生がある。」
父はもう80歳になろうという歳でした。
数年前に母を亡くし、僕と2人で同居生活をしていました。
姉と妹はすでに結婚して、外に出ていた。
父のやや不安そうな顔に気づきました。
そんな時、姉は気丈に、そして僕の代わりに、
この言葉を父にぶつけました。
その場に、他の言葉は存在しませんでした。
何故、姉がその言葉を、父に向かっていうことが出来たか?
今思えば、姉は、身近な家族でさえも、
身近な自分が守ることの限界を知っているのではないか。
そんな気がします。
父と姉と僕との身近な瞬間に、
「守る」ことの本当の姿があったかも知れない。
守ることの究極の姿は、きっと誰かの側に常に寄り添い、
常に気にかけ、常に面倒をみることなのでしょうか。
そして、それは僕があなたの人生を生きること。
あなたが僕の人生を生きること。
「依存」し、いつの間にか「同一化」してしまう。
(読者のなかに)「依存」という言葉を使われていた
女性もいましたが、考えていたら、つながってきました。
「信頼」の上に成り立っている関係にも関わらず、
「依存」する姿が目に映る。
「信頼」と「依存」は、心の地図のかなり近い場所に
所在しているのではないかと感じています。
最後に自戒もこめて、
僕自身は「家族を守る」宣言をした記憶がないですが、
ただ実家に帰りたいと思うときは、
早く家に帰りたいと思うときは、
今いる現実の仕事場から離れたいという思いが
強いときです。
さすがに自分で気づくには時間がかかりましたが、
自分の中にも、どこか「依存」しようという気持ちは
間違いなく存在します。
(マコト)
<きみを守る・僕を癒して>
守ってあげたい、
タイムリーで興味深く拝読させていただきました。
ちょうど「癒して」といわれたばかりだったからです。
その場では返事はしなかったけれど、
私は「できない」と後から言ってしまいました。
『守ってあげる』という言葉と
『癒して』という方の言葉は、
違うのに、同じ心理から出てくる気がしたからです。
今気づきましたが、
与えるばかりだったり、受け取るばっかりだったり、
両者が対等でないんですね。
冗談でもパートナーには口にしてほしくない、
言葉に感じました。
『今、しんどいから慰めて』なら、
『私の時頼むね』と、がんばって慰めたいと思います。
以前、知人が、あるお友達を守ろうとして
奮闘しているのをそばで見ていて学んだことは、
人ができることは限度がある、ということ。
守る、ということは簡単ではない、ということ。
するならば相当の覚悟・努力・犠牲がいる、ということ。
結局、知人とその対象者は、すれ違い、
断裂という終わりを迎えました。
対象の方にも甘えを感じた。
でも、弱いとして対応した知人にも問題があると
感じました。
終わりのきっかけは、決める力のあった対象者からでした。
最初はすごいなと思っていましたが、
知人自身からは強い無理を感じてました。
関係が終わる前に、本人はよれよれになり、
違う人に助けを求めていたように感じました。
知人の言葉で印象的だったのは、
『自分はいい、自分のことはいいんだ。』でした。
私はいやだなと、感じていた言葉でした。
守れないことを認めなよ、
やめなよっていいたかったんだと、
今回気づきました。
楽しいも事も、犠牲もお互いで分かち合いたい、と。
『あたなのことは私にとってはどうでもよくない。
私はこれがしたいけれど、あなたはどうしたいの?
両方を聞いて決めたい。話し合って決めて行動したい』
これが、助けを求められた私の言葉でした。
現在私は、自分も人も大切にという行動にしていこうと
チャレンジ中です。
(レイコ)
<守るよりも、見守る>
父が仕事中に怪我をして入院したとのこと。
深夜バスで地元に戻り、
着いたその足で病院に駆けつけると、
病院の入口で母が待っていました。
「来てくれてありがとう。お父さん、大丈夫だから」
と私に告げ、たまたま近くで開かれていた
青空市場を指差しながら、
「夕飯用に何か買っていこうか?」
と、父をよそに母は買い物をし始めたのです。
父は本当に大丈夫な気がしました。
「じゃあ、このアスパラがいい」
と私も調子に乗って母の買い物に付き合い、
そして病室に向かいました。
父は痛々しそうではありましたが、幸いにも元気でした。
母と父のたわいのない会話をただただ聞くという、
見舞いでした。
1週間ぐらいで退院できるということで、
私もほっとして翌日東京に戻ることにしました。
次の日、私一人で父を見舞いに行きました。
ある進展がありました。
怪我が元で、父がやっていた別仕事が
できなくなったのです。
私は父が気落ちするのではと心配でした。
でも父にそのことを告げると、
「そうか、そうか、はい、はい」と
いつもと変わらない相槌を打ちました。
耳が遠いせいもあり、本当に伝わったのかなと思いました。
その後病室で父と二人きりになったのですが、
私はあまり話せませんでした。
私が自宅から持ってきた新聞をくまなく読む父を、
ただだまって見守るだけでした。
「今日、東京に戻るから。ちゃんと直してね」と告げ、
帰り支度をする私に父は「体には気をつけて」と
言いました。
「お父さんもね(本当に)」
病院を後にして一人バスに乗りながら、
つくづく自分の無力さを感じました。
母のように父が話せるような話題も見つけられず、
暇つぶしにもなれず、戻ったところで何の力にもなれない。
私にできたのは、あの時間、ただそばにいるだけでした。
父の退院の知らせを東京で受け、
それから数日後、母は60回目の誕生日を迎えました。
私は母に電話をし、その電話で父の経過を聞きました。
すると
「あの仕事はだめだったけど、
また働いているから大丈夫だよ」(母)
「大丈夫じゃないでしょ!?」(私)
もちろん、しばらく安静のはずなのですが‥‥。
でも、まぁ、そんなかんじだそうです。
そんなことがあって、「守る」の記事に出会いました。
そして、色々思いました。
まとまらないため、箇条書きにします。すみません!
●いくら守るといっても、守りたくても、
やっぱり他の人に対しては無力なのかな、と。
私は、実際「見守る」しかできませんでした。
●けど、私の「見守る」と、実家の家族の「見守る」は
ちょっと違う気がしました。
私は「心配」のほうが大きかったけど、
家族は「大丈夫」が大きい。
実際、あんまり大丈夫じゃないのに‥‥。
この「大丈夫」感っていったいなんなんだろう、と。
信頼というか、本来の力を信じるというか‥‥。
開き直りなのか‥‥。
なぜ皆こんなに大丈夫でいられるのか、分かりません。
でも、人は周りが思っているよりずっと
「たくましい」のかなと思いました。
●「家族を守りたい」という男性は、どちらかというと、
私と同じように「心配」の方なのかなと思いました。
●ほぼ日の「今日のダーリン」で糸井さんが書いていた
ソフトボールの上野由岐子さんの言葉。
「心を強くするにはチームみんなのことを思うんです」
この記事を読んでなぜか頭に浮かびました。
「家族を守りたい」っていう思いは、
「自分の心を強くしたい」という思いの表れかなぁ、と。
そんな弱さに私は共感します。
それが人を動かす「きっかけ」ならあり、かと。
●私は幸いにも「見守られている」身です。
家族を守れない私を、見守っている家族。
そんな家族に、私は「生かされている」気がします。
●願わくば「誰かに守ってもらいたい」と思っている
甘えったれです。そばにいてほしいとか。
でも、自分が守れないのだから、
人はもっと守れないよなぁ、と。
何があっても受け入れられる家族や友達のように、
私も見守りたいものだなぁと思いました。
●自分を自分自身で「見守る」ことを、
人から「見守られている」ということで、
学んでいる気がします。
●「元気ならそれでいい」と母はよく私に言います。
他の家族も同様の思いだと思います。
(メグミ)
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