おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson503 ひらいた身体 4 ――自己教育力というモノサシ お盆、 実家にかえって、 すっかり人が変わった父と会った。 父は少しまえ、 夜になっても帰ってこないので、 母と叔母が一大捜索をした。 山奥の、奥の、一軒屋、 いまはもう空き家になってしまった おばあちゃん(父にとっては母)の家の、 真っ暗闇な中に、 父は、たったひとり、ぽつんといた。 病院に連れていってみると、 ちいさな脳梗塞が見つかったそうだ。 病気はいろいろあって、 どれもたいへんだとは思うのだが、 脳の病気というものは、 言葉、性格、人格に影響する。 八十二歳、認知力の低下も手伝って、 すっかり口数が少なくなり、 ろれつもたどたどしい父を、 私は、まだどこか現実として受けとめきれないでいる。 そんな父に、 主治医の先生ははっきりと、こう言った。 回復するためには、 「一日に、3人の他人と話してください。」 家族ではだめ。 家族は、言葉を尽くして話さなくても、 わかってくれる。 病気で不具合のある脳をリハビリし、 言葉を円滑にし、 脳を活性化するために必要なのは、 「一日に、3人の他人と話すこと」だと。 シェアハウスなど、 他人と共同生活している人なら、 たやすいだろう。 しかし、いまの父にはそれが難しい。 外国航路の船員だった父は、 とうに退職し、 「カッパの丘あがり」というのか、 陸に居場所をもてないままだ。 これといって趣味もなく、 友人もなく、 近所づきいあいや、親戚づきあいも 母にまかせっきりで。 実家はいま、高齢の父母の二人暮らし。 生活のなかで自然に若者と触れる環境ではない。 近隣の二十数軒で、「高齢者だけで住んでいる世帯」は うちだけだそうだ。 つまり、他の家はすべて、 なんらかのカタチで、若い世代が同居している。 「介護」という言葉が、 急に身近に迫ってきて、 誰とどう住むか? 自分の生活圏をどんな人間関係で編み上げていくか? という問題は、ときに、 人の生命や、脳に関わる問題なのだと思う。 東京にいる娘として、人として、 岡山にいる高齢の両親の生活をどうするか? も大問題だし、 私自身、一生を、 どこで、だれと、どういうふうに住むか? も大問題だ。 今週も引き続き、 「だれと、どう、住むか?」の問題を 考えていきたい。 まずは、こんなおたよりから。 <人の視線にさらされる生活が恐い> 私は現在医学部の6年生で、 来年から研修医をする予定です。 忙しい病院では、 研修医は朝早くから夜遅くまで病院で働き 当直が週に1回程度あるので病院で寝泊まりすることも多く 土日も病院に行かなければなりませんし 病院の敷地内に寮があり、そこに住む事になります。 私はこうした生活に入り込む事を、正直恐れています。 この不安は、これまで学生で責任を背負わなかった生活から 仕事での責任を背負うようになっていくことの プレッシャーから、という面もありますが それ以上に不安なのは、人の視線にさらされている時間が 格段に多くなる事に対してです。 睡眠不足になりがちな状態で 病院に半住み込み状態での生活の中で 髪型を整えたり、歯を磨いたり、髭を剃ったり、 白衣にアイロンをかけたり、 先輩や同僚に気を使ったり、 できるだろうかと考えてしまいます。 今の学生生活は、あまりに人の視線から自由すぎて、 マズイなぁと思います。 私がAさんの話を聞いて感動したのは、 シェアハウスに自らを住まわせたAさんの 高度な自己教育力についてだと思います。 Aさんが「人に対する受容性、共同生活への耐性」を 得たのは 人の視線にさらされる事を、 自ら選択したからではないかと思います。 (医学部6年生) 「高度な自己教育力」という言葉に 大きくうなずいた。 Aさんが、女性10人と住む生活に挑んだ話を聞いたとき、 私が感じ入ったのもそこだ。 「だれと、どう、住むか?」 を考えるときに、多くの人は、 どう住むと快適か? ラクか? というモノサシで考えるのではないだろうか? それは全然わるくないのだけれど、 Aさんは、 「自分を教育するためには、 この時期、だれと、どんなふうに住むのがいいか?」 と考えて、あえて、自分に負荷を負わせた。 その自己教育力の高さに打たれる。 そして、医学部6年生さん、 やがてくる病院や寮での共同生活は、 自己教育というモノサシで見ると、 絶好の機会到来と言えるのではないだろうか。 私は、 企業に勤めながら、一人暮らしをしていた時期があって、 そのとき思ったのが、 一人暮らしは、案外、会社の問題を引きずる ということだ。 会社で嫌なことがあって、 家に帰ると、 ひとり暮らしだと、ついついそのことばかり考えてしまう。 気分転換できない。 しかしもし、シェアハウスで10人で暮らしていたとして、 会社で嫌なことがあっても、 家に帰ると、また、少し気のはる別の世界がある。 よくもわるくも、10人十色の人間が、 それぞれに、まったくちがった悩み、空気感をもって 家にいるので、 ついついそっちに気をとられていると、 会社の問題が、すこし相対化されていく。 会社は会社で、独特の別世界だが、 家も、それとはまた別の世界が繰り広げられている。 二つの別世界を行き来することが 精神衛生上、いいような気がする。 その視点で考えると、 そうとうに難度が高いのが、「社宅」ではないだろうか? 社宅もさまざまだが、 ある社宅では、部長、課長、一般社員という 上下関係が、そのまま社宅にもちこまれていると聞く。 つまり、一般社員の奥さんは、 課長の奥さんを立てなければならないし、 課長の奥さんは部長より派手な暮らしをしてはいけない。 そんな窮屈な、 会社の上下関係が、 そのままプライベートの居住空間にまで入り込む。 「自分はどう住むのが好きか?」 というモノサシで考えると、社宅など気づまりでイヤだ、 ということになるかもしれない。でも、 「自己教育力」というモノサシで測るとどうだろうか? 「組織とはなにか?」 「日本を支えている会社組織で生きるとは どういうことか?」 をからだで学び、そこへの適応能力を鍛える機会と言える。 医学部6年生さんも、 期間限定の自己教育と腹をくくれば、 仕事場にどっぷりつかって住んでこそ見えてくるものが、 あるんじゃないだろうか。 苦労をひきうけた生活が、いつか、 思わぬところで実を結んだと、 読者の2人は言う。 <父の贈り物> 「身体が開く」体験を、最近したので メールをしてみました。 数年、大病を患っていた父を昨年末看おくりました。 本格的な介助が必要だったのは3年余り、 しかも私は離婚し、実家に戻らず別居し仕事をしていたので メインは母、 私は週末や夜のお手伝い程度だったにもかかわらず、 私自身が、身体的に他人に楽になりました。 具体的には、 ちょっと良かったことがあると握手しちゃう、 大人でも子供でも、励ましたいときに腕や頭に手が伸びる、 あまり、スキンシップのない家庭で 育ったせいもあるかもしれませんが 他人と身体的な関わりが、苦手な自分が、 やすやすと人に触れていることに驚いて、 何が自分を変えたのかと振り返ると、 父の介助、だったと思います。 父で、慣れたんですね(笑) もちろん、その以前にも、 恋人や夫には触れていたけど、その個体には慣れても、 「他人に対して身体が開けた」感覚はなかったんです。 夫や恋人では変わらなかったのは、何故なのかな〜 と、今はそれを考えています。 身体的に相手に開くと、 相手も開きます。 そのほうが、生きること自体が、楽で、楽しいです。 父にもらった、宝物のひとつです。 (yunam) <他者にした分、開花する> 8月4日の分で 育児と介護はちがうだろうが、 育児経験のない弟が(母の介護で)世話するよりは、 (育児経験のある兄が世話するほうが) 母はラクなのではないか とありましたが‥‥その通りのようです。 福祉に関わるお仕事をさせていただいてますが ある施設の気さくな施設長が 「介護上手は介護され上手」 とおっしゃってました。 介護の世界で働くことは 将来、もし自分が介護されることが必要になってきたときに 動き一つであれ、動き辛くても、 どうしたら楽に手助けしてもらえるか そんなことに役立つんだよとおっしゃってました。 そして、そんな風な気持ちを持って仕事してほしいんだと。 (えがこ) 「介護上手は介護され上手」 という言葉に、はっ、とした。 お盆の帰省から、東京に出てくる道すがら、 私は、ずっと不安のなかにいた。 「病気の父と母はこれからどうなるのか? 子どものいない私は年老いて 動けなくなったらどうなるのか? 他人に、しもの世話や、風呂に入れてもらうなど、 プライドの高い私に耐えられるか? 他人の世話にはなりたくない。 そうなるくらいなら、いっそ‥‥」と、 悪いほうへばかり考えて不安になっていた。 しかし、「介護上手は介護され上手」とは、 他者に貢献した分、自分の身体能力もひらく、 ということだ。 「不安がるより鍛えろ。」と教えてくれる。 世話されるチカラすら、 自己教育で伸ばせるんだと。 若い頃から積み上げた基礎が、 人生の終盤になって、モノを言う。 生活するなかで、不便や、苦痛を感じたとき、 それを忌み嫌って暗くなるか? それとも、自己教育の機会がきたと、 ひらいて、成長するか? 最後に、2通のおたよりを紹介して終わりたい。 <離婚後のマンションにひとり住み> 33歳男性、バツイチ金融機関勤務、中央区人形町在住、 私の「いまの暮らし方」。 うっかり結婚、うっかりマンションを購入、うっかり離婚。 経済的なことを考えれば 売るなり貸すなりしたほうがいいのでしょうが、 親のすねをかじって手にしたマンション、 一般的な単身者よりは広いスペース、 うまいこと利用できないか? と考えました。 所詮12人も入れば、いっぱいいっぱいですが、 ホームパーティ、麻雀、素人ライブ、勉強会。 嫌いではないので、大概料理を振舞います。 会費ではなく、申告制で料金をもらっていますが、 年間のべ200人くらいは来ますでしょうか? しっかり利益? も出ています。 週末ともなれば、 常連組みは冷蔵庫から勝手に飲み物を出しますし、 シャワーも浴びれば、ベッドで寝ていたり、 CDや本は勝手に借りていきます。 ですが、私は何一つ気になりません。 埼玉にある実家は今時珍しく専業農家、 長男長女の両親ですから、 盆暮れ正月・冠婚葬祭と親類縁者近隣住民、 100人規模で来ていました。 私が家を出る前は、曽祖父曾祖母も含めて8人家族。 そんな育ちが今の私につながっているのでしょう。 そういえば、私もよく話しかけられます。 一昨年の年末年始を韓国で過ごしたのですが、 地元の人に3回道を尋ねられたほどです。 人見知りは一切なく、人とすぐに仲良くなれるのも自慢。 嫌われることも少なからずありますが‥‥。 (なおみ) <ひらくための最初の一歩> ひらいた身体、 そういえば、前は良く道を聞かれたけど、最近聞かれない、 最近声をかけられたと言えば、 幸せになれる講演会へのお誘いで、 よっぽど不幸に見える? なんて感じなので、 おそらく今はひらいてないんだろうなあ、 なんて思っています。 どうすればひらけるんだろう? ということを考えている中で、 昨年からちょっともやもやとしていたことの端緒が 見えてきた気がしたので、書かせていただきます。 ここ3年ほど、知人夫妻に誘われて、 遊びに出掛けることが多かったのですが、 去年出掛けた時、 夫さんの方は、どうも私には構いたくないようだぞ、 と感じることが増えてきました。 一番ぐっさり来たのは、 朝、今日遊んだ帰りにお風呂によろう、 という話しをしていて、 私はお風呂に入れる気満々でいたのですが、 遊んだ後の帰り道、お風呂の場所を通り過ぎてしまい、 あれ? と思って、聞いたら、 さっき夫婦二人で、帰りの道路の混み具合もあるし お風呂はよらないことに決めた、と言われたのです。 その結果を、私があれ? と思う前に伝えてくれなかった、 それって、なんでしょう、 私はここにいてもいなくてもいい、 むしろいるのがめんどくさいくらいの存在だったんだな、 というシグナルのように感じました。 このときの友達夫婦は夫婦二人で閉じていて、 私の入る余地がなかった、なのに、 夫婦は口ではいつでもおいでよ〜という、 その齟齬がどうにも気持ち悪かったのかも、 ということだと思ったのです。 自分を振り返って、いつでも誘って、と言いながら 誘われると忙しいだのなんだのって、全然のってこない、 これも誘った側としては閉じているのと同じですよね。 自分でもそういうこと、 知らずにやってるんじゃないかしら。 ひらいた相手にひらけるのは、たぶん、 比較的楽なことなんだと思います。 自分がいつもひらいていられるか、 これはかなりレベルが高い。 今、閉じている身としては、 まずはひらいた相手に自分をひらくことが、 ひらいた身体を体得する第一歩なのかも。 私のいまの暮らしは一人暮らしで、 でも上記の夫婦は母込みの家族で暮らしていて、 暮らし方とひらいた身体とのつながりは、あるけれども 絶対的なものではないのかもしれません。 一人暮らしでも、家でパーティーを開催する人は きっとひらけている。 他人を家に入れる生活、今の自分では想像ができません。 でもとてもあこがれている生活です。 家族とではなく他人との繋がりを どれだけ濃く持っているか、 それがひらいた身体には必要な エネルギーなのかもしれないですね。 体で覚えることとエネルギーを採ること、 ひらいた身体に近づくことって、たぶん、 頭であれこれ考えてできることでは ないような気がしました。 考えがまとまっていないくて、 だらだらとしてしまいましたが、 私なりに少し進むことができました。 ありがとうございました。 (のり) |
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2010-08-18-WED
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