おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson508 自分のループを抜け出す 先日、わたしは、 ある人に、メールの返信を書こうとしていた。 攻撃的な気持ちになるとき、 自分の水面下で 何が起きているんだろう? 相手のメールに、なぜか ザラザラ、イライラしている自分がいる。 だから、 きわめて感情をおさえて そつのない返信をしようとするのだが、 どうしても剣が出てしまう。 「やめろ! これ以上イヤなことを言ったら、 相手に嫌われる!」 “わかっちゃいるけど、やめられない” っていうこと、 ないだろうか? 私は、これまで、 こんなふうに、相手の言動に、 なぜかざらつくとき、 自分では平静をよそおい、 その実、根に、ちくちくと攻撃性を秘めた、 言動を返してしまっていた。 相手にとっては、嬉しくないどころか、 イヤーな気分になる。 結果、相手は、私のことを、うざい、 と思って嫌いになる。 数は多くは無いものの、 そんなふうにして、自分をおさえられずに、 なんどか、大切な人と疎遠になってしまったことがある。 しかも、自分が格別に好きな人ばかり。 「もうそろそろわかっただろー! ここで、こらえろ、自分! 相手との関係が壊れてもいいのか!」 わかっていても、 水面下のざらつきがおさえきれず、 わたしは、いまにも、 その、表面上おだやか、しかし剣のある メールを相手に送ろうとしていた。 そこで、はた、と手が止まった。 「俺のリモコン」 ある人の文章が 頭をよぎった。 「俺のリモコン」とは、 ペンネーム、ローリングストーンさんが 書いた文章だ。 ローリングストーンさんは、 二度までも、大切な人と別れなければならない 経験をしている。 自分で、 「自分はいつも、こういうとき、 こういうパターンの行動をする。 そして、この行動をとったら、 相手を傷つけてしまう。 相手にうんざりされてしまう。 自分は、相手を失ってしまう」 と、よくよくわかっていても、 自分ではおさえきれず、 いつもの言動パターンを繰り返してしまう、 ということは無いだろうか? 私にはある。 いやになるくらい。 で、ローリングストーンさんは、 この状況を、 「俺のリモコン」 と名づけた。 例えば、愛する人と喧嘩をしている。 すると、どこからか自分へのリモコンのスイッチが、 カチッ、とはいる。 自分では、 「いつものパターンだ。 これを言っちゃいけない、 これをやっちゃいけない、 相手が離れていってしまう!」 とわかっていても、 まるで、自分の言動を、 リモコンで操作されているかのように、 自分で自分の言動がコントロールできない。 結局、いつものパターンを繰り返してしまう。 結果、愛する人を失ってしまう、 結局、自分が一番困っている。 後悔。 この文章には、ずいぶん共鳴し、 われとわが身をふりかえらずにはいられなかった。 ローリングストーンさんは言う、 「せめて、俺は、俺のリモコンに対して、 ファイティングポーズをとる。」 メールの返信をしようとしていた私は、 はっと、手を止め、思った。 まさに「私のリモコン」。 「このまま私は、リモコンにやられてしまうのか? それとも、リモコンに対して、 ファイティングポーズをとるか?」 「人は、一生、自分のパターンを繰り返し、 このループから逃れられない。」 という意味のことを 先日、小池龍之介さんの講演で聞いた。 私は、宗教はないし、 いかなる団体にも所属していないが、 長い歴史をもつ仏教の知恵の集積は、 私が文章表現指導を通して27年間見てきた、 人間観と重なる部分が大きかった。 「忘れるとは、記憶から抜き去ることではない。 そのことをバラバラに刻んで、 人間が認知できない情報に変換することだ。 つまり、そのことは、自分の外に出ていってはいない。 カタチを変え、自分のなかに、まだ、ある」と言う。 いわば、シュレッダーにかけて、ビリビリになって 読めなくなった「忘れたいこと」、 これが自分の中にまだあって、ときどき悪さをする。 例えば、ある人の言葉を聞いて、 自分のなかのシュレッダーでバラバラになったなにかが、 イライラ・ザラザラする。 でも、それはもう、自分では読めない情報になっており、 自分でその正体が何かわからない。 そこで、私たちは、 自分では何者かわからないものにつきうごかされて、 カッとなったり、相手にチクリと嫌なことを言ったり、 攻撃的な態度をとってしまう。 無自覚なだけに、自分ではどうすることもできない。 そこで、また傷をつくり、 それを忘れようとして記憶の底でシュレッダーにかけ、 またそこに次なる刺激=相手の言動などがはいってきて、 無意識がイライラ・ザラザラし、 また、攻撃的な言動をしてしまい‥‥、 このパターンを一生くりかえしてしまう。 小池さんは、このループから抜け出す唯一の道がある と言う。それは、 「自分のパターンを自覚すること」だ。 小池龍之介さんの話は、 文章表現教育と、とても符合する。 文章は、何を書くか、どう書くかよりも、 「書き手の根っこにある想い」が、強く表れ出てしまう。 例えば、心の根っこに「自慢」があれば、 何を書いてもどう書いても自慢たらしい。 しかし、本人は無自覚だから、コントロールできない。 相手には、自分の自慢が見え透いてしまう。 そこで、自分の心の根にある想いは何か? と、丁寧に問いを立てて、 心の底にある無意識のどろどろを、 言葉にして、すくいあげて、自覚化させる。 そのようにして、心の底とぴたっと符合した言葉は、 ささやかでも、かっこわるくても、うそがない。 人の心を打つ。 そこで、私は、私のパターンを言葉化してみることにした。 過去にもあった、同じような出来事をひっぱり出しながら、 「私は、どのような刺激が来たときに、 心の底がイライラ・ザラザラするか?」 「心の底のイライラ・ザラザラは何か?」 「心の底がザラついたとき、 私は、相手にどんな言動を返してしまうか?」 けっこう苦しい作業だったが、 ひとつひとつ言葉にしてみた。 私の心の底がザラザラするのは、 「相手からぞんざいに扱われたとき、 あるいは、相手が自分に無関心な態度をとったとき。」 その現場で、ではない。その場はやりすごしてしまい、 後日、その相手に会ったときや、 相手からメールがきたりしたとき、 妙に、相手の言動にザラザラしたり、 妙に、相手の言動にケチをつけたくなったりする。 心の底のイライラ・ザラザラは何か? 「相手から自分のことを、 かけがえない存在だと思って大切に扱って欲しい、 または、常に相手から興味・関心をもたれたい、 という心の表れ。」 好きな相手ほど、この気持ちは強くなる。 つまり、相手が好きだし、 相手と仲良くしたいという気持ちの表れ。 イライラ・ザラザラしたとき相手にどうするか? 「攻撃的になる。」 直接、私を大切にして、無関心はいやよ、 とは言えないからタチが悪い。 たとえば、相手が、ある本を面白かったといったら、 妙にケチをつけたくなって、 “あの本、こういう点が時代にあわないんだよね” というふうに、相手の言動をあげつらう。あげく、 “あなた、ああいう本が好きねー。 あなた時代錯誤のとこがあるよねー” というふうに、もっともらしさを装いながら、 チクリと相手を攻撃する。 自分が相手だったら、そうされるとどうか? うざい。キライになる。 興味がなくなる。離れたくなる。 自分は相手とどうなりたい? 仲良くしたい。 関心をもってもらいたい。 と、ここまで、自分の行動パターンを読んでいくうちに、 自分の心の底にあった、 無意識の荒ぶる塊が、 スーッと、解けてなくなっていくのを感じていた。 塊がなくなって、相手からのメールを読むと、 いつもどおりの優しい、愛すべきメールだったと気づいた。 私はいつもの自分らしい返信を返すことができた。 私はループの外へ出ていた。 なぜか攻撃的になるとき、 それは、ほんとうに相手がまちがっているのか? それとも、自分の無意識のザラザラが暴れているのか? 意識すれば、自分のリモコンから自由になれる。 あなたには、自分のループから抜け出し 自由になるチカラがある! |
山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。
2010-09-22-WED
戻る |