おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson525 おかんのお年玉 ――― 3.読者メールつづき 「Lesson523 おかんのお年玉」には、 とても1回では紹介しきれない反響をいただいた。 ひきつづき、 読者からのおたよりを、 今回は「居薬」に絞って紹介したい。 まず、一気にお読みください。 <居るだけでいい> 「居薬」 いい言葉ですね。 その人の存在、そのものが薬になるってことでしょうか。 私は、こういう人と人の関係、あり方が、いいな、 と思います。 その人がどんな人でも、丸ごと受け入れている その人の存在を認めているような、 居るだけでいい。それで満足、という関係。 愛に包まれているような気がします。 (いわた) <いつまでも心が温かくなる光景> 「居薬」って言葉に目頭が熱くなってしまいました。 51歳の男です。 昨年はじめて母を飛行機に乗せて 旅行に連れて行くことが出来ました。 それからは 100kmほど離れているのは近所なんだと思うようになり、 ちょくちょく食事に行けるようになりました。 その都度、お勘定を払わせてくれたことが 一度もありません。 離れて暮らすようになった10年前ほどの頃には、 奢らせてくれないと不満を感じていました。 いまは母と一緒にいるだけで良いのです。 自分もそんなに会話が達者な方ではないですが、 あれこれ自分のメニューまで食べさせようとする笑顔の母と 同じ空間にいるだけで嬉しい。 そんな年になったというより、 大切な人との離別が必ずやって来る。 それへの備えが始まってきたのだと気づきました。 今年は義理の母が正月やってきてくれたこともあり、 二人の母が正月の雑踏を手をつないで歩いている姿に、 後ろから付いていけたのが最高の思い出になりました。 いまでも心が温かくなり、 こみ上げてくる思いを止めることができない光景です。 今年はどれくらい「居薬」を用意できるかな。 嬉しい年明けのひとときを本当にありがとうございます。 (51歳男) <大切な人たちに会ってこよう> 正月に帰省できなかったので、 来月実家に帰ることを先週決めました。 福岡にいる、大切なひとたちに会ってきます。 両親は、私が実家に帰ってきたことが嬉しかったんですね。 1週間前に帰省すると急に言ったり、 他の用事があって1日しか実家にいないときもありました。 それでも、少しでも一緒にいられることが 嬉しかったのかなあ、 と考えると涙が止まりません。 大した親孝行はできないけれど、 「居薬」くらいは渡せたらなあと思います。 ありがとうございました。 (ゆう) <基本は一緒にいることなんです> 私もお年玉もらいました。私は40歳です。 父と母それぞれから。 二人とも、お互いには内緒よという形で。 父は、帰省のたびにお金を渡します。 特に飲みにでることもなく、 家で細々と商売をしている父にとって、 母に内緒のお金を作ることはとても大変です。 それでも、せっせとためて、 帰ってきたら渡せるようにと用意していてくれます。 母ももう仕事を辞め、 年金と父の収入でやりくりしています。 今まで、子供たちのために体が弱いのに懸命に働き、 やっと独立したはずなのに、まだお年玉をくれます。 私も同じように、申し訳ないような、 なんとも言えない気持ちでいました。 恥ずかしさも感じていました。 だから、誰にも言ってませんでした。 でも、少し気持ちがすとんとしました。 「居薬」。すてきな言葉ですね。 とても分かりやすく、 実行するのはほんとは難しくないのに、 ついつい、まいっかとしないままにしてしまう。 私は今、精神に病を抱えながら 懸命に生きている人たちの支援をしています。 支援といっても、することは一緒にいることなんです。 話があれば話を聞く、話したくないときは、 そのままそこに一緒にいる。 なにもしてないじゃないか! と言われたらそうなんですけれど、 「ただそこに一緒にいる」ことが必要なんだと 強く感じています。 何かしなければいけないときはします。 けれど、基本は一緒にいることなんです。 返せば一緒にいることができなければ、 何もできないんです。 それを表す言葉がなかなかありませんでした。 それが、この「居薬」という言葉をみて、 ああ、これだ、とふわっとしました。 この言葉、これから使わせてもらいます。 (やまちえ) <くれるものはもらってあげてほしい> 自分の手元にあるお金を誰かに渡したい年配の方を 案外見かけます。 あの感覚はある程度高齢にならないと わからないものなのかもしれません。 もちろん、 お金をもらうなんて不甲斐ないという気持ちは大切です。 もらいっぱなしではいけませんものね。 けれど、お金を受け取らないことによって 寂しい思いをさせることは本当にあります。 現在私は、高齢の父からお小遣いをいただくとともに、 何かで返さなくてはと思いますが、 もらったぶんだけの金額の物を返しても全然喜ばれません。 それでも何かで返さなくてはと思い、 父の実家の農家のお手伝いに行っています。 そうしたら、どんな高価なものを渡すよりも 喜ばれています。 せびるのは良くないけれど、 くれるものはもらってあげてほしい。 強くそう思いましたのでメールいたしました。 (にり) <本物のサンタが胸に> おかんのお年玉を感慨深く読みました。 子供を持つ親の一人としてお母様の気持ちが 理解できるような気がします。 我が家の子供は小さいので、 普通にお年玉やクリスマスのプレゼントをあげています。 親として子供が喜ぶ顔ももちろんうれしいですが、 「何をあげたら喜ぶだろう」 「もらったらどんな顔をするのかな?」 と想像しながら準備する段階もとても幸せなものです。 子供が指折り数えてお年玉やプレゼントを待っているなら、 親も指折り数えて子供にあげる日を待っています。 誰の言葉かは忘れましたが、 大人になってサンタさんは来なくなったけど、 子供にプレゼントするようになって、 本物のサンタクロースが 私の心にやってきたと感じています。 プレゼントやお年玉はもらうよりも、 あげる方が何倍もうれしく、幸せになるんだと。 (長野在住 テツ) <与えて、与えられて> 居薬。 今年は家族や、友達や、会社の人や、 愛する人に、 たくさんの元気を届けられますように! そしてたくさんの温かさを感じ、 その温かさをみんなに伝えられますように! (マコスタ) <社会的な死> 母への思いを書こうとすると、 胸がいっぱいになってなかなか言葉に出来ません。 でも、やっぱり、 一緒にいてくれることが一番嬉しいんだと、 私も思います。 老人ホームに入居し、 子どもたちに何もしてあげることが 出来なくなった母にとって、 唯一子どもにしてあげられることは お金をあげることかもしれません。 母は、何かしてあげることで、 自分の存在価値を確認していたような人ですから‥‥ 恨んだり許したり、 感謝したり、疎ましく思ったり、 いろんな気持ちが湧いては治まり また湧きだす、そんなことの繰り返しです。 今日、「死の哲学」の アルフォンス・デーケン氏の講演を聞きました。 死には4つの側面があり、 その一つに「社会的な死」があげられていました。 もう治る見込みのない年寄りの入院患者を 見舞いに来る人がいない、 これは「社会的な死」であると。 理由を聞くと「仕事が忙しい」という。 もう生きられる時間が限られている人に対し、 「忙しい」が来ない理由になるのか? 社会的な死があってはならない、と話されました。 母はしょっちゅう電話をしてきます。 何度も死にかけながら生き続ける母を 疎ましく思ってしまうことがある自分に 「非道な奴だ」とおもうこともあり、 それを責めることもあるのだけれど、 責めることなく、認め、自分に優しくなったところで 少し母に向き合えばいいのかなと思いました。 最後にデーケン氏の言われたのは、 ユーモアを忘れないこと。 自分の失敗は、 認めて許したうえでユーモアに変えなさいと。 生真面目はいいけれど、 それと同時にユーモアを持つことを忘れなさんなと。 ユーモアを持って母に接すれば、 お金をもらうことも、 しょっちゅう電話をかけてくることも、 その電話に出られないことも 自分を責めずにいられるのかなと思いました。 喜んでくれる母の気持ちをそのまま受け止められることが、 また何よりの親孝行かなと思ってます。 (福) 「居薬」という言葉には、 ふたつ効き目があるんだなあ、と 読者メールから気づかされた。 ひとつは、大切な人と一緒に居ようと 行動する効き目。 もうひとつは、 自分を許して認める効き目。 自分の存在を「薬」と呼ぶ以上、 受け入れて肯定せざるをえなくなる。 先日、たったひとりで、寿司屋に行った。 東京での独り暮らしは、もう16年にもなる。 もはや、ひとりで店に入っていても、 たった一人、晩ごはんを食べても、 もう寂しいとか、恥ずかしいとか、 まったく、思わなくなった。 それでも、その店は、たった一度、 母と来たことがある店で、 きらきら光を放つ、イキのよいお寿司を ほおばっていると、 「おかんに食べさせたい。」 おさえきれない想いがわいた。 ちょうどそのとき、 混んだ店のカウンターの、私の隣に、 母の年頃の女性が、 たった一人、お寿司を食べに来て、座った。 私たちは、隣り合って、 ながいあいだ、 それぞれ、もくもくとお寿司を食べていた。 人見知りで、めったに自分から、 見知らぬ人に話しかけない私だが、 なんとも絶妙なタイミングで、 母と同じ年頃の女性が、ひとり、隣に座ったので、 母は寂しくしてないだろうか、 私も姉も家から巣立って、 こんなふうに、ひとり、ごはんを食べることも あるのだろうか、とか、 いてもたっても、いられず、 勇気をもって、その女性に話しかけた。 母より3つ年下の、その女性は、 いまも現役で働いていた。 だんなさんをはやくに亡くし、 一人娘も、都内に嫁いで行って、 こうして独り、ときどき、お寿司を食べにくるのだと。 「私みたいな年寄りに声をかけてくださって」 と女性が言ったときに、 その気遣いがなんとも、やるせなく、せつない気がしたが、 「若い人と話ができて嬉しい」 と、ほんとにその女性は、 嬉しそうに話してくれ、 さして若くはないがと思いつつも、 「私も、ちょうど母を思い出していたときだったので」、 と話がはずみ、 孤独が引き合わせてくれたのか、 それとも、母に食べさせたいという願いを お寿司の神さんが聞き届けたのか、 「東京のおかん」 という気がした。 大切に思っていても、距離が遠くて、はなればなれ、 一緒にごはんを食べたくても、 声をかけたくても、 ままならない人もいる。 私が、この人を、東京のおかん、と思って 声をかけたように、 岡山でも、大切な人と、さまざまな理由で はなればなれの人が、 母を「岡山のおかん」と思って 声かけてくれないかな。 そんなふうにして、 だれかとだれかが、優しさを響き合わせたら、 離れて暮らす人たちも、あったかいのになあ、 と思った。 女性と私は、 こんどきっと、一緒にごはんを食べに行こうと、 連絡先を交換し合って別れた。 ほんとは私が寂しいから、 孤独を癒してもらったのは、私なのに。 東京のおかんは、 「若いお友達ができてうれしい」「うれしい」と 品の良く、何度も、言っていた。 こんな自分にも、 「居薬」はあるんかなあ。 それは、ふるさとから、 何百キロ、何千キロと離れた この東京でも、効き目があるんだろうか。 あなたもきっと「居薬」を持っている。 あなたの存在が、 人を元気にする「薬」なのだ。 |
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2011-01-26-WED
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