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Lesson528 「ひらく」とはどうすることか? ーーー 3.山田ズーニーの場合 「ひらくとはどうすることか?」 「ひらいた先になにがある?」 きょうは、この問いに、私の経験から答えてみたい。 世間一般の定義とは大きくずれるが、 “ひらく”は、人生もっとも葛藤した時期、 このコラムの読者からもらった かけがえのない言葉だ。 このシリーズにはいま、読者から、 続々とすばらしいメールが届いているが、 来週、愉しみに紹介したい。 会社で編集者をしていたときのことだ。 多彩な人物と出逢い、 いろんなところへ行き、 いままで知らなかったことを知り、 世界がひらける! とわくわくしていた私は、 それを、とうとうと、 友人・家族に話して聞かせた。 「ねぇねぇ! このまえ私、仕事でね! ものすごい先生に会ったの! いままで思いもよらなかった、 まったく新しい、ずっごい考え方を学んだの!!! それはね‥‥、」 友人・家族は反応がにぶく、 でも最後まで聞いてくれ、 そして、きまってこういった。 「あんた、 むかしも、おんなじようなこと、 言ってたよ。」 自分で世界がひらけると思っているとき、 実は「ひらいて」はいない。 先週、読者の「熊本の青い人」さんがこう言った。 狭いムラ社会の歴史をもつ私たち日本人は、 未知の人に出くわしても、 「結局この人、うちの村の人間? それともヨソモノ?」 で仕分けてしまい、 同じ村の人間のみ認知すると。 私はまさに、 「同じ村の人間が見つかったー!」 と喜んでいただけなのだ。 いまから思えば、 「自分はあのとき“ひらいていた”のではないか?」 そう思える経験が人生に2度だけある。 その渦中にいるときは、 自分ではひらいているなどと、よぎりもしなかったが。 2度の経験に共通する条件は、 1.居場所を追われる。 2.言葉が通じない。 3.それでもがんばり限界にぶちあたる。 4.アイデンティティの瀕死。 5.新しいことをコツコツやり続け限界突破。 居場所を追われた。 1度目は33歳、 岡山から東京に転勤になったとき。 東京は、同じ会社とはとても思えない外国だった。 会議をしても、日々のやりとりも、 岡山勢と東京勢とは、まったく言葉が通じない。 教材の編集といえば、 入試問題をよく研究すれば良いものができる と思っていた岡山勢は、 東京勢のように「売る」ことをまったく考えなかった。 東京勢は、発達したマーケティングに基づき、 こどもが教材を、どんなシーンで、 どれくらいの時間をかけて、どう使うか、 どんなシステムにすれば金を払ってでもほしいと思うか、 「商品力」をとぎすませていた。 岡山の小さなムラ社会で、 編集ができるといい気になっていた私は、 悲嘆に暮れ、灯りのついていないアパートに帰った。 家族と離れ、東京での一人暮らしも始まっていた。 職場も、家も、ぬくぬくした居場所を追われた。 2度目は、会社を辞めたとき。 どの出版社も企画部門を出したがらないため、 フリーの編集者がほぼ成立しない現実を、 辞めて初めて知った。 天職と信じた編集を奪われ、 再び社会にどうやって入っていいかわからない。 38歳、完全に居場所をなくし、社会から干される。 以前は名刺1まいで通じた世界、 それが、説明に心を砕けば砕くほど、 世界は私をうさんくさがるようになった。 そんな状況で、人はがんばる。 わたしも生命が維持できる睡眠時間ぎりぎり、 知のぎりぎり、精神力のぎりぎりまで。 しかし、そこでは、自分が自分でなく、 言葉は空回りし、 努力は砂に杭を打つように虚しい。 出口を見つけた! と思ってひた走っては、 運命に首根っこをつかまれて、 スタート地点に引きずり戻されてしまう。 限界。 33歳のときは、出社拒否寸前まで追い詰められ。 38歳のときは、毎日夕日を見て途方にくれ続けた。 「死」が近づく。 生命の死ではない。 経験の死。 個性の死。 意志の死。 社会的死。 アイデンティティの死。 自分がいままでやってきたことは、 意味が無かったのだろうか? 自分は何者なのか? 瀕死=崖っぷち。 自分がいままでやったことがない新しいことを、 ほっといたらそんなにモチベーションもわかないし、 それゆえよくわからないし、 よくできもしないことを、 それでも必死でやろうとするのはそんなときだ。 私も、新しいことをコツコツやり始めた。 33歳のときは、 マーケティングと称して、 読者である「高校生」を知り、理解することを。 38歳のときは、「書く」ことを。 全身全霊で、 人が見て狂ってるんじゃないかと心配になるほど、 命をかけて、コツコツコツコツやりつづけた。 いずれも、ほっといたら、 そこにモチベーションはわかなかっただろう。 でも、いままでやってきたことが通じない。 自分の限界に達してしまった。 崖っぷちなので下がったら死ぬ。 生きるために、やるしかない! 生まれて初めての本は、 そんな崖っぷちで書いた。 編集者として、 人に文章を書かせるのが仕事であった私は、 「自分が書くこと」など、とうのむかしに、 やりたいことの選択肢から消えていた。 そんな自分に、 編集ではなく、書く仕事がくること、 会社を辞めるとき卒業したとおもっていた 文章術を依頼されたこと、 人生もっともトホホの、 「自分が何者か?」も グラグラとわからなくなっているときに依頼されたこと。 すべて自分の主観では、妙な感じ、だった。 その妙なことに自分を全賭けした。 「気がつくと、もう3週間、人と口を聞いていない」 ということもザラだった。 毎日三度三度、たったひとりでごはんを食べる。 寝る食べる以外は書いた。 浅い眠りの間も、本のことを考えていた。 初めてのことはなんだって苦しい。 書くことは孤独だ。 言いたいことが言葉にならず、 書けては、自分の才能にへこみ。 居場所を追われてよかった。 あったかい自分の居場所がほかにあったら、 私は、慣れない、苦しい書くことを 続けていけなかっただろう。 心が孤独に悲鳴をあげるとき、 自転車で駅に人を見に行った。 しばし、人の温もりを感じ、 帰ってまた独り書く。 本の最後の言葉は、どうしても書けなかった。 とうとうその日に書かないと 出版予定日に出せないという日まで、 私は、たった数行を、書いては消し、書いて消し、 気がつくと夕日が差し込んでいた。 なんとか数行、メールで送ったものの、まだ足りない。 案の定、編集者さんも腑に落ちないようで、 電話でこう言った。 「最後にたった一言でいい、読者に言葉をかけてあげて」 「読者」という言葉を聞いた瞬間、 マグマのように熱い想いが湧き出た。 「あなたには書く力がある!」 わたしはずっとずっと、読者である「あなた」に これを言いたかった。 あなたがいたからこそ、 あなたにこれを伝えたかったからこそ、 私は孤独な書くことを続けてこれた。 次の瞬間、「あっ、これ私だ!」と気づいた。 肩書きがなかろうが、所属が無かろうが、 「向かう一人の表現力を生かす」それが私! 以前編集者をしたときも、いまも、これからも。 私の居場所はここにある! なにも恐くなかった。 無限の勇気が湧いてくる。 涙があとからあとから溢れた。 不思議だった。 会社を辞め、天職とはぐれたときから、 何一つ思い通りにならず、 不本意なことに、まるで身投げするように、 全身全霊で飛び込み続けた。 なのに気づいてみると、最もやりたい 「読者の表現力を生かす」ということをやっている。 「不本意な道が、 いつのまにか本望につながっていたのはなぜだろう?」 このコラムでそう呼びかけたところ、 当時、大学5年生就職をひかえた読者がこう言った。 山田さんが <「思い通り」に選べなかった道が、 まっすぐに「本望」に通じている。> と仰ったのは、逆に思い通りでなかったからこそ、 世界に対して自分が“開かれた”状態になって、 そこに感動が生まれたのではないかと思います。 (読者 上野さんからのメール) 人生たった2回の「ひらいた」経験、 その先に見たもの」は、次の2つの言葉に象徴される。 33歳のとき1度目は、 「読者がいた。」 そして2度目は、 「あなたには書く力がある!」 2度目の言葉に、自分がいる。あなたがいる。 自分とあなたがつながっている。 そして、1度目にも2度目にも、 「読者」がいる。 仕事を通してかかわる他者、 読者である「あなた」がいたと、 いま、やっと気づいた。 「ひらいた先になにがある?」 私には、驚くことに、「あなた」がいた。 |
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2011-02-16-WED
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