YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson531 情報を纏う人たち


先日、めずらしく母から電話があった。

「表参道の店で、
 バッグを買って送ってほしい、
 パッチワークの参考にしたい」

とのことだった。

私は興奮していた。
私が東京に出て16年間、
岡山の母がこんなふうにものを頼んだことがあるだろうか?

いやない。

娘にさえ気兼ねをする、あの母が、
物欲のない、あの母が
電話さえ私の邪魔になってはとかけてこない、あの母が、

ほしいっていうのは、
いったいどこのどんなバッグなんだ?

2日後、母から律儀に、
1万円札1まいと、バッグの載った新聞広告の切り抜き、
手紙が送られてきた。

新聞広告には、カラーで
見たこともないこったつくりの美しい
バッグが載っていた。

金髪美人の外人モデルがスタイリッシュに
ポーズを決めてバッグを持っていた。

バッグには布でつくった端正なバラが
何十個も隙間なくちりばめられている。

「その割に、値段がたった数千円‥‥?」

いやな予感がよぎったが、
かき消した。
「おかんの目に狂いはない」と。

いまこそ親孝行するチャンス!
どんなことでも、一番いいカタチで応えたい。
私は気負って親孝行に突撃して行った。

店に行って、一瞬で、夢はしぼんだ。

新聞で見るのと、手に取るのとでは大違い。
バッグはあまりにも粗雑なつくりだった。そう、

ちゃっちい。

新聞であれほど見事な美しいつくりに見えたバラは、
ただ布を切りっぱなし、
くるくるっと巻いて貼っつけただけ。

布の端をかがるなどの始末をしていないから、
布端がどんどんほつれて、バラバラと糸になっている。

それをお客さんが次々手にとっては、戻すから、
うっすら汚れさえついて、ボロボロな感さえ漂う。

「ちがう。」
ここは、母や私が来るところでない、と
一瞬にして悟っていた。

それでもなんとか、母のつつましい願いに、
どうにかして応えてやりたい。

店内びっしりバッグがあふれかえっている。

新聞広告に載っていたバッグそのものは、
すでに人気で売り切れていたが、
型ちがい、色ちがいが何十とある。

「これだけ型や色があれば、ひとつくらい‥‥」

私は、悲壮な決意で候補を10数個選び、
それを鏡の前に持っていって1個1個うつし、
母の立場になってみては、
消去法で、最後の1個まで選んでいった。
だが、最後の1つになると思う。

「私なら買わない。」

そこで、またいちから新たな観点で、
候補を選び出すところからやり直す。
でも結局最後のひとつになると
「いらない」という気持ちがつきあげ、
ゼロから選び出し‥‥、
この繰り返し、ラチがあかない。

ゆうに2時間は過ぎていた。

形勢を立て直すため、私はいったん、
家に帰ることにした。

道すがら、くらくらした。
消化できないことばかりだ。まず、

あの恐ろしいまでの写真うつりの良さはなんだ!?

ふつう、商品のつくりが荒ければ、
写真でもどっかボロが出そうなものだ。

ところが、実際手に取ると粗雑きわまりないバッグが、
写真では上質で手の込んだバッグに見える。

まるで写真に映すためだけに生まれてきたかのようだ。

ふだん母は、テレビ通販などのコマーシャリズムに、
いっさいひっかからない。
その母が、このバックには目をとめたのも無理はなかった。

母は、その広告をもって
パッチワーク教室に行って、
向学のために、みんなに見せたそうだ。

洋裁の腕のたつおばちゃんたちも、
これはただならぬ技術を使っているにちがいない、
やっぱり東京ってとこはすごいなあと、感嘆しあった。

母にとって、東京、
そして、表参道は、すっごくモダンで上質なところ、
昔ながらのあこがれのイメージのままだ。

次々と「ファストファッション」が台頭する
いまの東京を母は知らない。

消化できないのはもうひとつ。

なぜこの店は驚くほど繁盛しているのだろう?

私がいた2時間の間に、
次々と、吸い込まれるように、お客さんが来る。
飛ぶようにバッグが売れる。

客層も、10代もいれば、20代30代40代もいる、
それから50代も、60代も、
70代の母のような年齢もいる。

40代のお母さんと10代の娘が来て、
色違いでおそろいで買っていったり、
60代くらいの中年夫婦が来て、
だんなさんと奥さんが2人で相談して買っていったり。

えもいわれぬ活気がある。
楽しそうだ。
まるでお祭りだ。

反射的に、老舗のデパートが浮かんだ。
私のほかに1人の客もいない。
高級バッグはあっても、閑散と、寂しいフロア。

やっぱりこれだけ客が来るというのは、
時代にあってるし、尊敬に値するんだろう。

なにしろ、安い。

3000円くらいから買える。
4〜5000円だせば充分、流行の個性的なバッグが買える。

デザインがびっくりするほど豊富。

何百種類とある。
同じバラのバッグでも、
赤、オレンジ、紫、白、豹柄と色違いがあり、
肩掛け、ボストン、手さげと型ちがいがいっぱいあり、
さらに、リボンのついたもの、
ラインストーンのついたもの、
そのかけあわせで何百とちがうバリエーションがある。

でも、バリエーションを増やすのにムリをしていない?
とおもえるふしもある。

豹柄のバッグに、花がついて、
さらにそこに、赤・青・黄色いろとりどりの
ラインストーンまでついて、

でも、そんなゴテゴテしたバッグを
母くらいの世代の女性が、
ものともせず、楽しそうに買っていく。

いったん家に帰って私は決意した。

「これが東京、
 母にいまの東京を経験してもらおう。」

広告と実物の落差は、
いくら説明しても口では伝わらない。
またそれが、いまの東京の一端を表している。

見れば一発でわかる、母にバッグを送ろう。

私は店に戻り、また2時間くらい悩んで、
新聞広告に近いデザインのものを選んだ。

店頭にあるものは消耗しているため、
在庫からまっさらのを複数出してきてもらって、
そのなかから、なるたけほつれのないものを選びぬいた。

おつりとともに母に送った。
5千円としなかったバッグ、
ほんとは買ってあげたかったが、
「授業料を払って経験する」ことが契機に
母に大事と思った。

届いたと電話をかけてきた母は、
度肝を抜かれたようで、
電話のむこうで、あわあわ言っていた。

ネットや通販でものを買う習慣のない母には、
人生で初めて出くわす衝撃だったろう。

私はネットの通販の愛用者だ。
でも、商品が届き手にとったとき、

「あれ?」

一瞬にして「なにか」が違うと嗅ぎ取ることもある。
もちろん、通販に慣れた私だから、
事前にモノサシを持ち出して大きさも検討するし、
機能や、色や、カタチを
動画や写真などで、入念にチェックしてから買う。

でも、色もサイズも機能も、事前情報どおりでも、
「なにか」が決定的に違う。

ときには「これ店頭で見たら買っていなかったも」と
思うことさえ、
でもリクツで自分を言いくるめて使うことも多い。

でも「あれ?」と思った気持ちをごまかして使うことは、
何かとてもよくない、漠然とした
直感のようなものがある。

バッグは、もともとは、
ものが入って、持ち歩ければそれでよかった。

でもたぶん、私たちは、
自分の好きなものが選べるように、
バッグにイチゴの絵を描いたり
リボンをつけたりした。

どんどんバリエーションが増えて、
いくらでも選べるようになり、
逆に増えすぎて、選ぶのがしんどくなってくると、

こんどは情報に牛耳られるようになった。

「値段は3000円台で、
 私の好きなイチゴの模様で、
 色は私の大好きなピンクで、
 カタチは手さげにもショルダーにもなるもの」

こんなわがままを言っても、
ネットや、デザイン豊富で回転の速い、
ファストファッションを駆使すれば、
希望の品が手に入ってしまう。

でも、もし、商品全体として、
「あれ?」
とイメージのずれを感じることがあったとしたら、

自分の好きなものを身につけているのではない。

3990円・イチゴ柄・ピンク色・
手さげショルダー2WAYタイプという
「情報」をまとっている。

自分自身「情報をまとっているな」とおもうことがある。

色・柄・サイズ・機能、
すべての情報を満たしていても「あれ?」と思っている、
それはなんだろう。

値段手頃で、新聞広告と同じでも、
私と母が一瞬にして、これは違うとおもったものは
なんだろう?

本当に好きなものに
たどり着くにはどうしたらいいのだろうか?

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2011-03-09-WED
YAMADA
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