YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson535
    命が傷ついているー2.読者からのメール



先週のコラムには、
とてもたくさんの反響をいただいた。

あるものは、あるのだし。
大小関係なく、つらいことは、つらい。

しかし、私のように、
「つらいとおもっちゃいけない」「言っちゃいけない」と、
あるものを、ないようにしようと
飲み込もうとしていた人がたくさんいることを知った。

これはどうしても紹介しなければ
いけない気持ちにかられた。

あるものをあると、
弱いものを弱いと、
認めるために。
まず自分に。

だれもいままで経験したことのない、
そのため参考書も、手本もないテーマに、
読者が、ただただ自分の内面と対話し、
言葉にすることを試みている。

ささやかでも、
心からの、いや、もっと深いところからの
これは、「表現」である。

今回は、私のコメントはなく。
きたものをできるだけ多く、
できるだけ手をくわえずに読んでもらおうと思う。
(2011年4月4日 山田ズーニー)


●先週のコラムにいただいた読者のメール


ありがとうございました。

少し救われました。

被災者に比べると私は恵まれているからガンバラないと、
と思いながらも、日を追うごとに
より体調と心調が悪くなって行きました。
頭では分かっているのに、
悲しい現実に打ちのめされて行っていたんだと
気づきました。

とにかく、まずは自分で自分を元気付けないと‥‥。
(らら)



心理セラピストという仕事柄か
今回の地震では心も体もへとへとになっています。

東京に住んでいて、
阪神や新潟での地震ではこんなことがなかったのに
ズーニーさんと同じように
怒り、恐れ、罪悪感、無価値感などを感じていました。

そんな時に光のように救ってくれたのは、対話でした。

自分が出来事、感じていること、望んでいること、
これからしたいこと。
どんなことでもなんでも自由に話せる場が
心を軽くしてくれました。

体と心をゆるめるワークショップを昨日開催し、
自分自身との対話(体との対話)、人との対話、
未来との対話などをし、
さらにその人が持つこれからの復興への才能を
直感でシェアしあいました。

対話は言葉の対話だけでなく、
非言語の対話も活用しました。
絵を描いたり、体に触れ合ったり、
空間を感じたもしました。

今の自分でいいんだと心から思えました。
正直に表現する。これからも大事にしていこう。
(まあちゃん)



「命が傷ついている」を読んで、
ああ、そうだったんだと思いました。

私は、無事でいる事を「申し訳ない」と感じていました。
だから、節電、募金など、自分でできる事を
一生懸命しています。
それでも、まだまだ申し訳ないのです。
食事、お風呂、暖かい布団に幸せを感じてしまう時が。

「今日のダーリン」で紹介されていた
看護士さんのコラム
を読み、
恐怖、悲しさ、悔しさ、申し訳なさが、倍増しました。

今、被災地の方々が体験している辛い現状。
これから向かわなければならない、未来への不安。
私の持っている想像力では、想像し切れませんでした。

地震の2週間前に付き合っていた彼と別れました。
気持ちの整理をしている時に、地震がきました。
その後から、急に原因不明の病気になったり、
過去の病気が再発したりと、
体調不良が続くようになりました。

でも、自分にはプライバシーを保てる
1人暮らしの家がある。
ずっと続けていける仕事にも就いている。
すぐに病院にも行けた。
家族も友達も、みんな元気。
恋人を失った、体調が悪いぐらいで
文句を言ってはいけないと、
自分を叱咤し続けていました。

なのに夜、布団に入ってこっそり泣いていました。
本当は心の底で1人を寂しがり、
病気を辛がってる自分が情けなくて。
被災地の方々は、
冷たい床にダンボールを敷いて寝ているのに、と。

私も地震を疑似体験し、傷を負っていたのですね。
さらに、失恋や病気の傷を
いっしょくたにしていたようです。

今はまず、自分の手当てをしようと思いました。
寂しさを癒す優しさを探し、体を休めます。

そして元気になって、被災地の方々のために
心からできる事を見つけたいと思います。
(朋子)



ハワイにいて、
やっぱりCNNを一日中見ては涙を流しながら
11日から2日程送りました。
金曜日は子供達の学校が休みだった為、
何もせずにテレビに釘付けだったのです。
こんな平和な場所にいる事で、罪悪感を抱いております。
日本にいて、一緒に原発の心配や、
東北の再興を考えたりする事が出来ない自分に
苛立っています。
ズーニーさん、
私は神戸の大震災や、ニューオリンズの震災の際は
この様に感じませんでした。
今回はどうしてなのでしょう。
被災者の先行き、彼等のそれらに対する不安を考えると、
苦しいです。
本当に、こんな所で、呑気に暮らしている私が苦しんでも
何も解決しません。でも、苦しいのです。
早く、気休めでも何かのステップを
踏み始めないといけない。
愛する日本の為に。
(千加子)



今回の文章を読みまして、とても納得しました。
自分では文章に表すほど、
自分の中で整理できていなかったのですっきりしました。

私も最初の数日間、テレビをずっとみていました。
しかし、現在は震災関連の情報は
テレビから入手していません。
テレビの情報は本当に必要な情報以外が多くて、
誰かの思いというか、意図(?)が
入り込んでいるようにも感じました。
その代わりに新聞をすみからすみまでむさぼるように
読んでいます。
一瞬を切り取った写真から目が離せなくなり、
涙があふれます。
それだけでじゅうぶんに伝わりました。
そして「ほぼ日」さんに助けられて、
これまで過ごしてきました。
「ルートは違えど ゴールは一緒」
たくさんの人と共有できていると思って、
これからも過ごしていきたいです。
(もこ)



今朝起きるときに「私、なんだか傷ついている‥‥」
と思っていました。
理由は薄々気づいていましたが、
今日のコラムで「ああ、やっぱり」と思えました。
昨日、スピッツの草野さんが神経性ストレスで
公演延期という記事を読んだ時にも、
直接の被災者ではない多くの人が
同じ思いをしているかもと感じていました。
自分もそうですが、
震災とは全く関係のない日々の小さなストレスが、
今回のことをきっかけに傷を広げてしまったのかもと
感じています。
日常生活を普通に送っている自分が、
落ち込んでいるとか傷ついているとか何もしたくない
なんて言っては、被災者の人たちに申し訳ない
という罪悪感もぬぐえないのですが、
少し気持ちが楽なりました。
ありがとうございます。
(雅子)



今日のコラムに救われました。
私も震災後ツイッターなどで
多くの情報を収集していた結果、
気分が落ちこんでしまいました。

今まで遠かった「死」が
突然身近に迫ってきたことを受け止められず、
今後も突然「死」が訪れる可能性があるという中で
どのように前向きに生きればよいのか、
途方に暮れてしまいました。

そして東京という安全な場所にいながら
落ち込む自分に罪悪感さえ感じていました。
そんな気持ちを友人と共有することもできずにいました。

でも今日のコラムを見て、
単純に自分だけではなかったんだ、
ということにほっとしました。
そして、最後の詩「きみとぼく」を読んで
自然と涙が出ました。
とても心があたたかくなるような気持ちになりました。
自分が求めていた言葉だったのかもしれません。

ありがとうございました。
(彩子)



私は東京在住です。
自宅で一人でいるとき、あの地震を体験しました。
最初の揺れの直後にTVをつけ、
NHKにチャンネルを合わせ、そして
2度目の揺れあたりで、ヘリコプターから撮影された、
津波の実況生中継映像を見ました。
体中が震えました。

私もズーニーさんと同じように、
自分のことを「へたれ」だと思っていたんです。
東京は被災地とは言い難い。
なのに、私の心はよれよれになっていて
眠れない、頭が時々爆発しちゃいそう、急に泣きたくなる。
今でもTVニュースは見られないし、
ネットでの地震関連情報は
午後2時くらいまでで止めています。
(夜、見ると、眠れなくなっちゃうのです。)
香山リカさんのコラムを読んで
自分が「疑似体験」しちゃったんだ、と、
すごく納得できました。
ばなな日記、お友達の詩、ズーニーさんの言葉が
私を安心させてくれました。
「よかった、私だけじゃないんだ」って。
ありがとうございました。
(美代子)



Lesson534を読んで、
許された気持ちになりました。
私も、傷ついておりました。
私は海外にいて、
物資や電力や放射線の心配もないところで
ぬくぬくと暮らしているのに、
傷つくなんておこがましいと思っていました。
でも、ぼろぼろに疲れていました。

ここに暮らす多くの日本人同様、
今日本にいないことに罪悪感を抱き、
募金活動をするくらいしかできない自分に
無力感を覚えていました。
私は日本の情報が少しでも欲しくて、
毎日ずっとテレビやインターネットを
つけっぱなしにしていました。
海外での報道は、過激です。
遺体が大写しになったり、
原発の建屋爆発の映像が繰り返し放送されています。
焦土と化した祖国ばかりが映ります。
でも周りは日常が続いており、
遠い国日本に同情はしつつも、
ふだんどおりの業務があります。
誰とも励ましあえるわけでもありません。
日本にいる家族や友人達に、
不安を訴えるわけにもいきません。
彼らはもっと不安に思っているのですから。

そう思って耐えてきましたが、
家族が暮らす街の水道水が
放射線の影響を受けているという報道を知って、
心が折れてしまいました。
心配で心配で、つい、親しい友人だけが読むSNSに、
小さい子がいる人、だいじょうぶ?
と書きこんでしまいました。
それを読んだ友人に、
海外にいる奴が不安を煽るなと叱られました。
私は連日日本についての報道を見るうちに、
いつの間にか自分が日本人であることを強く認識しすぎて、
今日本に暮らす人々と同じ立場の仲間であるような
錯覚に陥っていたのだと気づきました。
しかし日本に暮らす友人からすれば、
私は海外の人であり、仲間ではないのです。
それを知って、ますます
自分が傷つくことに罪悪感を覚えていました。

友人には、海外で生活の心配のない者は日本に金を送れ、
と言われ、一切の楽しみを捨てて、
仕事をこなしながらひたすら義援金集めに
奔走しなければならない気がしていました。
でもそんな長続きしないような支援ではだめで、
私がしゃんとしていなければ
誰のことも応援することができない。
自分に水をやって、人に幸せを分けられるようにします。
大好きな祖国のために、自分ができることをします。
(MN)



私の夫は自衛官なので、
たとえすぐに被災地へ行かなくても、
職場から帰ってくることは無いのです。
子供を、家を守るのは自分しかいない。
しっかりしなくては!

我が家は群馬なので、ライフラインは大丈夫でした。
でも、余震が怖くて眠るときも、
子供にはヘルメットを持たせ、
懐中電灯、車の鍵をポケットに入れ
テレビを付けたまま寝ました。
寝ていても災害の事がずっと聞こえてきます。
緊急地震速報が携帯から、テレビから聞こえます。
そのたびに、防寒着を着て子供の側で身を硬くし、
避難の段取りなんかを考えていました。

そして、お風呂に入るときもご飯を食べるときも
ずっと子供たちに、ありがたいね‥‥って言っていました。
そしてまず様子がおかしくなったのが小四の次男。
緊急地震速報の音に怯えたりぐずぐずしたり‥‥
ほんと最近まで私も、泣いたり申し訳なく思ったり。

そんな気持ちを解したのが意外にも、
中学生になる長男のインフルエンザ。
日曜日からの高熱。うなされたり苦しんでいる姿に
私も、看病、次男にうつらないようバタバタしているうちに
いつものお母さんに戻ったのです。

そして、群馬の駐屯地で日々、待機や24時間勤務で
疲れて仮眠しに帰ってきている夫を労ることも出来ます。

元気をいただきました。
ありがとうございます。
(なう)



もとお医者様の女性の詩、
「きみとぼく」を読んで、思わず泣いてしまいました。
私は今年44歳になります(女です)。
結婚もせず(できず?)、
一人で気ままに仕事をして暮らしてきました。
今月に入って、胸のしこりに気がつき、
確信を持って乳ガン検診を受けたところ、
やはり初期だと思いますが乳ガンが見つかりました。
お医者様から告知も受け、転移の有無を調べてから
治療を始める段階です。
今まで健康だったのによりによって
乳ガンにかかるなんて‥‥
とやはりショック。
告知を受けてからは、一度だけ涙が出ましたが、
それ以外は割と平気でいつも通り暮らしてきました‥‥
そのつもりだった、かな。
でもこの「きみとぼく」を読んだ瞬間、
自分の体がとても愛おしくなり、涙が止まりません。
私という人間にとって、
唯一の相棒で私の全てを知っている奴。
私が泣いたり笑ったり、喜んだり痛がったり、
口には出さなくても心の中で思っていたり‥‥
そんなことを全部知っている大親友。
この世に「私」という人間が存在できる最大の理由。
この大切な友を、「まだ大丈夫」「平気」と
勝手に思いこんで、
実は傷つけていたんですね。
それを痛感してしまい、初めて自分のからだに対して
本当に申し訳ないと思いました。
何だか上手く書けませんが、私は私を傷つけて、
それによってまた傷ついているんだなぁと
初めてわかりました。
これから始まる少し長い闘病生活にあたり、
この詩をいつも胸にとどめていたいと思います。
「きみ」と「ぼく」はいつも一緒。
だから私は「ぼく」を大切にして、一生涯、
この鼓動が止まるまで大切にします。
(みずほ)



ズーニーさんとは逆に
TVで報道番組をまず確認、ネットは常にオンライン。
民放では大げさに表現される「お涙頂戴」エピソードや
日本を賞賛したり、著名人が日本のために行動した、
日本では報道しない被災地の惨状、
なんて海外のネットニュースを
自ら探すように見ています。
不謹慎極まりないのはわかっているのです。
でも「被災者たち」の状況と、
特に被害もなくすぐに日常を取り戻した自分に
ギャップを感じすぎ
「疑似体験」を自分が望んでいるような気がしています。
「被災地の人たちはもっと大変なのに...」と、
気をふさぐ人たちよりも情けない気分です。
(ゆかり)



「命が傷つく」という表現が、まさに
今の自分にしっくりときます。

震災から数日、自宅待機も解け、計画停電の中
あやふやな電車に乗り込み、一応普通の顔をして
日常業務をまわす日々。
なぜか夜になると甘いものがやたらと食べたいんです。
そして、やたらとキレイなものが見たいんです。
自分、どうしちゃったんだろう?と不思議でしたが、
ある日ふと気付きました。
ああ、辛かったんだ、怖かったんだ、と。

被災地ではないけれど、原発の問題、大規模停電、
続く余震、放射線‥‥毎日が重苦しい
ロシアンルーレットのような日々です。
次はこっちか? 次こそはこっちか? と。
辛くないわけないんですよ。
直接被災はしてなくとも、
命はしっかりと傷ついていたんですね。

でも被災地の方を思うと、
あまりおおっぴらにも‥‥という躊躇もあったのです。

ただ、これからしっかり復興するにあたっては、
被災していない私達はしっかりしなくてはならない。
そのためには、先に苦しさや辛さを吐き出すことも
必要なのでは?
どうか、あまり我慢せずに。
まずは自分の命をしっかりと癒すことも
大事なのではないか? と思います。
(カフェミク)



今日のズーニーさんの文章を読んでいて、
ここ数週間の自分の辛さ、しんどさの正体に
気づくことができました。

大地震が起きたその夜、
私は会社から帰れず、高層ビルのオフィスで
テレビを見ながら、眠れない一夜を過ごしました。
ひとりぼっちではなく、同僚も後輩もたくさん残っており、
中には守ってあげなくちゃいけない妊婦さんもいたので、
私は平静さをよそおい、みんなに
大丈夫大丈夫落ち着こうと言いながら、
テレビで目にする信じられないような映像に
心の底では震えていました。

その後も、
テレビやツイッターを目にするたび
重苦しくはりつめた空気を感じて、
心から笑えない自分を意識していました。

助けて助けて神様。
(私がしんどい時に心の中で唱える言葉です)

「想定外」「未曾有の」とメディアはいいつのります。
でも、私は原発のおそろしさを、
はるか昔にある本を読んで知ってから、
私たちの便利な生活が、どんなに不安定なお皿の上に
のっているのかをなんとなくわかっておりました。
わかっていながら、気づかないふりをしていました。
でも、とうとう
恐れていた日が来たことを悟りました。

助けて助けて神様。

被災地の方や、がれきの下から遺体を探している方や、
原発で命を張って事故に対処している方たちのことを
思えば、いつ停電になるかわからないことや、
ヨーグルトや水やトイレットペーパーが買えないことや、
電車が混んでることなんて、たいしたことじゃない。
今、自分のできることは節電と募金くらい。
そう自分に言い聞かせながら、
前向きになろうと頑張ってきました。
でも、もしかしたらそういったことすべてが、
自分の命を傷つけていたのかもしれません。

今、本当に必要なことは、
自分がこわいと思っていること。
命というか魂が
深く傷を負っているのかもしれないことを認めること。
そして、やはり自分の好きな音楽を聞いたり
好きな小説を読んだり、映画を見たり、
好きな人とおしゃべりしたりすることを
きちんとやっていこうと思いました。
自分が元気にならないと、
ほかの人も日本も元気にできないから。
(小春)



いま44歳、名古屋在住のわたし、
もう、山田さんとまったく同じ症状だったところに
この文章を読んで、
とてもとても救われました。

山田さんよりさらに330キロ離れるこの地で何を戯れを、
と思うかもしれませんが、
両親の住む実家は神奈川県川崎市にあり、
初めの地震後しばらく連絡がとれなかったこともあり、
私もテレビの情報を逐一確認していました。
さらに連絡がついたあとは、
停電で情報を得られない川崎へ
現状を伝えたりしていた為、
気づけばどっぷりと震災にはまっていたのでした。

どのチャンネルにしても、
ヘルメットをかぶったアナウンサーが
同じような情報を流す日々、
同じコマーシャルの連続‥‥‥。
気持ちがめげてめげて、
それでも自分は二人の子どもを「普通に」登校させて
「普通に」ご飯の食べられる日々を過ごし、
ボランティアに行くこともなく
「なにしてんだ?」という心との矛盾に
さいなまれる数日でした。

ことに、私は小学校2年から
ガールスカウトに入団していて、
いまもなお指導者として活動していることが
大きく作用していたようで、
「ひとの役に立つ」という責務、
「そなえよつねに」というモットー、
そして被災地にいる
同じ活動をするスカウトやリーダーのことを考えると、
ただ義援金や募金でしか協力できない自分が
腹立たしくもありました。

そんななか、我に帰るきっかけになったのは、
意外なことに「転居をする」という現実と、
そしてNHKの朝ドラ「てっぱん」の再開でした。

もともと転勤族でしたが急きょ転勤が発令され、
すわ一大事! あれこれ決めなくちゃ‥‥
という現実のカベにぶつかって、そして救われたのです。

「てっぱん」は、以前から
仕事に行く前に必ずみていたもので、
1週間の休止のあと再開されたことによって
「日常」を取り戻せた気がしたのでした。

そこへきて、山田さんの文章を読んで、
ばななさんのコトバやY.Yさんの詩を読んで、
もう、涙が出る出る。
「そうそう、そうなんすよ。」
自分も知らず知らずのうちに、
自分の体と心のバランスをとるべく
「楽な道」を模索していたなとあらためて感じて、
よかった、間違えていなかったと安堵したのでした。

4月に入って我が家も川崎市へ引っ越します。
計画停電や食材不足など、
名古屋よりシビアな現実が待っているかと思いますが
今ならたぶん、クリアして行けると感じています。
私もこれを書くことによって、
「真水で傷口を洗う」ように
また平静をとりもどしてがんばります。
(鈴木祐佳)



ありがとう。
すくわれました。
(みずき)



私も,直接被害を受けたわけではないですが,
震災直後からニュースを見続け,
親戚の安否にハラハラしていました。

4〜5日くらいしてからでしょうか。
自分がのうのうと生きていることに
罪悪感を覚えるようになりました。
食事を摂るのも布団で寝るのも申し訳なく思えて、
苦しくて仕方なくて。
けれど、テレビから目を逸らせてはいけないような
強迫観念に駆られていました。

けれども、
「元気に過ごさなくてはいけないはずの人間が
壊れてどうするよ!」と、
思い切ってテレビを消しました。
ひたすらフィクション小説を乱読し、
一時現実から逃避させてもらいました。

ようやく一週間前くらいから、
テレビ(といってもセンバツ高校野球がきっかけですが)を
観られるようになりましたが、
今でもACの広告は目を逸らせたくなります。

被災しているわけでもない人間がこんな気持ちになるなど、
許されることではないような気がして、
これまで誰にも言えませんでした。

けれど、ズーニーさんの文章を読んで、
「自分の心をだいじにするのは悪いことではないのだ」
と自分に言えるようになりました。
それを自分自身が心から信じられるには、
もう少しかかりそうですが。

そして、誰にも言えなかったこの気持ちを、
こうして文章にするだけでも軽くなるのだなあ、と、
今キーボードを打ちながら、しみじみと感じています。
(サリオ)



私がほぼ日にアクセスするのは、
自分が漠然と感じているものを理解するための
“言葉”を見つけることができるからだ。
微かだが確かに心の底に在るとても大切に思えるもの、
なんだかよくわからないがとりあえずしまっておけ‥‥。
きょうも“それ”に言葉が与えられ、
意識の表面に浮かび上がってきた。

そうか、やはり私は傷ついていたのだ。
私の命が、傷ついていたのだ。
戸惑っていた。今まで接したことのない自分に。
心に鉛が張りついたような感じ、
何をするにも意欲がわかない、気持ちが盛り上がらない。
泣きたい気持ちになるが、
わっとは泣けずに心に封じ込める。
自然の営み、政府や東電、社会に対し、
事の重大さを理解しているようなしていないような
隣人に対しても怒りや憤りを感じ、
それらは“乱反射”して、結局すべて自分に向かってきた。
自分の心がなぜこんなに痛いのかわからなかった。

わからないなりに、歩み出してはいた、
このままではいけないと。
その方向はどうやら間違いではなかった。
お茶を飲みに行くこと、
好きな料理の本を眺めること、
いつもの料理をきちんと作ってみること、
睡眠を長くとること。

自分の中に、まだ何者も踏み込んだことのない
領域があった。
新鮮な驚き。
相手の姿が見えてきた。少しほっとする。
どうつきあっていけばよいか、考えようがある。
しっかりと水分をやって、立ち向かえる力を蓄えよう。
(岡山県 杜乃すず)



震災、原発ととんでもない事態になり、
私は子ども(中1女)を疎開させました。
生まれ育ったところだし、
去年まで住んでいたところだから大丈夫!
子どものために母親として当然のこと、
そう信じて疑いませんでした。

なんのことはない、たった4日で
子どもからのギブアップメール&コール。
元の生活に戻りました。
帰ってきての第一声は「やったー!!」
続いて「やっぱダラダラできていいわ」
その晩布団のなかに入ってからも、喋ること、喋ること。
幼稚園児に戻ったみたいでした。
その時初めてわかったんです。
この子にとってよかれと思った疎開が、
どれほどこの子にとってキツイことだったのか。

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ
こんな風に生きていくことは、難しいかもしれないけれど
私も子どもも、ほんの少し休まなくちゃ。
夫にもおいしいご飯作ってあげよう!
こころとからだと少々のあたま、このバランスで
命はあるように思います。

昨日、採用通知が来ました。苦しい就活でした。
半年の契約ですが、キャリアカウンセラーとしていま
就活している人に接していく仕事です。
初出勤日まで、おいしいご飯と鼻歌と時代劇の再放送で
専業主婦を謳歌します。

くれぐれも働きすぎないでください。
(じゅんこ)



助かりました。もやもやが少し晴れました。
そう、そうなんだよ、と。

たぶん、影響を受けてるんだろうなとは思っていました。
でも、地震当日たかだか数時間歩いただけ、
家もあるし、水道も(時々切れるにしても)電気も、
ガスもある。
食べ物だってある。放射線の影響だって大したことはない。
会社がつぶれたわけでもない‥‥

けれども、元々元気いっぱいではない自分の体が、
ますます言うことを聞かなくなっている。
ほんとにすぐ泣けてくる。
寝付けない日が続き、結局仕事を休んでしまった。
被災者でもないのに、
被災者の方々や、被災地で今まさに必死に働く人たちは
あんなに頑張っているのに。
なんて情けないんだろう、と思いながら、
平日の家で布団にくるまって一日が終わる。

でも、友人と話したりする中で、私だけじゃなかった、
大なり小なり、これだけの大変な出来事に
影響されない人がいるわけがない。
これまで通り、自分にできる範囲で、
自分の出来る方法で、自分の生活を送っていくことしか
できないですもんね。
(ちろの姉)



私、被災地に住んでいる知人に
何かしたくて何かしなければと、いても立ってもいられず、
安否確認ができてホッとしたあとは、
食べ物を送ろうと決めて、
どうやったら送れるのか、調べたり、箱詰めしたり、
夢中でやっていました。

送ったあとも、メールで受け取りはこうしてああしてと、
向こうと連絡をしていました。

自分がその状況だったら‥‥と思っては、
切なくもどかしい気持ちを、
かたちに変えたくて夢中でした。

悲惨な被災地の知人を、そのまま見ていたのでなく、
大きな情報の目を通して見ていたんだと思います。

だから、荷物を送ったあと、まわりの人に得意げに
「荷物を送ったんだ」と話している自分に気がついて、
送られた方が「疎ましい」と思われているような感じ
になっていると、気がつきました。
(今、思えば、気がついたような気がしていたのだと
 思います。)

安否確認をメールでして、電話が通じている状況が
わからないままメールをやりとりしていたので、
知人の本当の姿を知ろうとしなかった。
情報の方を大きく受け取って、
本当を知るのが怖かったのかも知れません。
自分だけが「大変大変」と、思っていた。
いえ、本当に実際は大変なんだけど、
自分で自分を「大変」にしていたというか。

気遣いを忘れた大きなお世話の親切は、
知らんぷりより始末が悪い。

気づいたときの自分の落ち込みようは、
もう「苦しい」しかなかった。
自分の行為そのものが、悪で、イヤミで、上から目線。
そんなことが一番イヤだと普段から思っていたのに。
私はなんていやな人間なんだろう‥‥‥。
送った行為そのものも、自慢げに人に話している自分も、
最悪でした。

もう少しで、暗い地底に落ちるところだった。

一本の電話。

知人の声は、明るく「ありがとう」と。
「助かりました」と。
そして、久しぶりの20年ぶりの会話の弾んだこと。
相手の状況は、厳しいものでした。
でも、ここから頑張るからと、言ってくれました。
楽しい電話でした。
物を送ったことでなく、この声を聴いたことがうれしく、
晴れ晴れとした気持ちになりました。
この声が聴きたかったんだ。
泣きそうになりながら、電話で話したその晩は、
ぐっすり眠ることができました。

私ももしかしたら傷ついていたのかも知れないと
思いました。
たまたま知人がいて、私にしてはめずらしく
「行動」したけれど、
正しい情報を得ようともせず、夢中になってしまったのは、
この傷口がヒリヒリして
過剰に反応してしまったのではないか。
自分の傷口を見つけることなく、
単純に相手の気持ちを穿ったような感情を
持ってしまったのではないか。

役に立ちたいことが、自己満足ではないか‥‥と考え、
自分を許せなくなってしまったことを、
全部否定はしないけれど、
「喜んでくれたよ。いいんだよ。」って、
自分に優しくしていいんだと思いました。

普通に生きる。
それがとても大事なことだと思います。
それは一見関係ないような感じがするけれど、
普通に生きる事が、人が元気になって、人
に優しくできるんだって思います。
普通に生きることが、
自分に優しいことなんだと思いました。
私にとっての普通は、笑ったりしゃべったり、
好きなことをしたり、家族といることです。
(しぶしぶスヌーピー)



この痛みを一番知っている自分
その痛みを見ようとせず、我慢に走り
堪えてばかりいる
痛くなんかないっ
弱くなりたくないし 認めたくない
心の芯をいくら奮い立たせても
悔しくて泣けてくる
軽々しくも明日はいらないとか言い放つ
そしてすぐに‥‥
地道に一歩ずつ生きようなんて思う
やっぱり‥‥ぼくと一緒に私ももう少し生きたい
(Ns)



「命が傷ついている」、
とても共感できる部分が多くて、
こんな風に感じているのは自分だけじゃないということに
ホッとしました。

震災後の罪悪感についてですが
私も私なりにその正体について、ずっと考えていました。

「被災していない自分がへこんだり、
 傷ついたりしているのは申し訳がない」とか
「何もしてあげられることがない中、
 いつも通りの生活を享受するのは気が引ける」とか
「自分がテレビの前から離れることで、
 被災者のことを意識の外に置こうとするのは
 ズルのような気がする」とか
そういうのが私の罪悪感の正体だと漠然と思っていて、
それで私はテレビの前から
動けなくなっていたのだと思います。

そういう中、たまたま気分転換しようと
本棚にあった田口ランディさんの
「生きる意味を教えてください」という対談集を
読み始めたら
内田樹氏との対話の中に以下のような文章がありました。
田口さんが劇団の練習場の火事で仲間を失った時の話で
自分はその日たまたま練習に行かなかった
というエピソードの中で出てくる会話です。


田口:いちばん自分がダメなのは、この話をするときにものすごい罪悪感と同時にかすかに自分のなかに優越感があることがわかっちゃうのですよ。私は運良く生き残った、って。私は生き残ったぞ、って。自分だけ生き残って申し訳ないと口では言いながら、優越感もあるんですね。私って選ばれた人間みたいな。それが自分でわかってしまうので、そういう自分にまた自己嫌悪する‥‥‥‥。でも自己嫌悪しながら優越感もあり‥‥‥‥。すごく気分悪いんです。

内田:「選ばれた」という感覚はどこかにあって当然なんです。でも、それを「特権」だと考えると、自己嫌悪に陥ってしまう。「特権」ではなくより多くの「義務」を負うために選ばれたと言い換える以外に自己嫌悪から逃れる道はないのです。「生き残ってよかった」というために生き残ったのではないと。(中略)
生き残った理由はこれから自力で構築していくしかない。


あんなに大きな地震が起きて、
しかも広範囲で次々起きて、
大津波でたくさんの人が亡くなって
首都圏も停電して、
原発は危機的状況に陥って
そんな状況の中で、被災しなかった誰もが
「自分が被災者になってもおかしくなかったのだ」
と心から思ったことだと思います。

そして、今、被災地への祈りと
生きていることへの安堵とが同居する心持ちの中で、
被災された方々のために何か自分にもできないだろうかと
居ても立ってもいられない気持ちに駆られる理由の中には、
純粋な善意だけでなく、田口さんが言われているような
自己嫌悪と気分の悪さも入っているのだろうなと
思うのです。
それこそが私の罪悪感の正体なのかもしれない、
と思いました。

地震の後、数日して原発が危機的状況に陥った時に
夫がこんなことをつぶやきました。
「原発メインの報道になってるよなぁ。
 阪神大震災の後にオウムの事件があったやろ。
 あの時、被災地の支援に行ってた同僚が
 言ったことを思い出すわ。
 『これで被災地のことは忘れられてしまうやろな』って」

その言葉を聞いた時、私はなんだかとても腹が立って
「そんな適当なこと言わんとって。
 私ら視聴者はそんなアホとちゃうで。
 マスコミが取り上げへんかったら
 忘れるなんてことないよ!」
と声を荒げてしまったのです。
どうしてそんなに腹が立ったのか。
それはきっと田口さんが言ってるような気分の悪さが
(無自覚なまま)私の中にあって、
夫の言葉がそのスイッチに触れたからなんだろうな、
と本を読んで思いました。

こういう気分の悪さというのは、刻々と状況が変わり、
膨大な情報の渦に巻き込まれている時には、
なかなか自覚ができなくて
ある種の自家中毒のような状況を引き起こす
のだろうなと思います。
「大阪じゃなくてよかった」と思わなかったかと言えば
嘘になります。
私たちを駆り立てているものが
その気分の悪さだけだとすれば、
私たちはすぐに忘れてしまうことでしょう。
けれど、内田氏が言うように
私たちはこれから生き残った理由を
自力で構築していくのだ、
という風に考えると
復興までの期間限定の支援ではなくて、
これからもこのことをずっと胸に抱いて
生きていくということになります。

そういう風に自分目線(生き残った理由を
構築するための自力)を取り戻すためにも、
今は自身にも水をあげることが大切なんだと感じています。

最後に2008年の夏につくった詩を添付させていただきます。


世界のどこかで

今日も 傷ついている人がいる 世界のどこかで
今日も 泣いている人がいる 世界のどこかで

ぼくは聖人ではないし 神様でもないから
その傷を その涙を どうすることもできない

どうにかできると思うほどの 傲慢さと強さはなく
そのどうしようもない事実に傷つく弱さを
ただ静かに持て余している

テレビは今日も いのちのニュースを垂れ流す

世界のどこかのその傷
世界のどこかのその涙
知らずに済んだかもしれない バッドニュースに
ぼくらは今日も胸をいためる

その痛みは きっとぼくらがつながっている証拠なんだろう
その痛みに 時々ぼくはうずくまる
その痛みは ぼくに こころのありかを教えてくれている

ぼくという人間は 壊れていないのだ
ぼくという人間は 世界とつながっているのだ

その痛みを感じられる間は まだ

(上田 病院職員、40歳、女性)



岩手の内陸に住んでいます。

震災後、2日間は電気のない生活。
家族五人、外出できる服装で眠れぬ夜を過ごしました。

数日後、電気が通じてから、
突然6歳児が「ポニョ観る」というのです。
映画公開以来、DVDはあるものの観た事もなかったのに。
ニュースを見ても、怖がるわけでもなかった子でした。
でも、大画面のテレビからの情報に、
影響されないはずありませんよね。
表出方法がわからないだけなのでしょう。

怖かったことを「アニメなんだ」と受け止めなおして
消化しようとしているのかな、と思いました。
阪神淡路大震災のときも、
子どもは津波ごっこをしたといいますから。
映画『禁じられた遊び』もそうですよね。

わたしも、すぐに泣いたり、無気力になってしまいました。
内陸とはいえ、冬の冷え込みの中、
ガソリン・灯油・電気がない状態で
小・中・幼稚園の卒業行事が立て込みました。
お祝い会はすべて中止。

ガソリンを求めて2、3時間並ぶ。
アイドリングしないので寒いし、子どもは飽きる。
でも家においてばらばらになるのは怖い。
余震で眠れない。

我が家の転機は、暖炉でした。
もともと薪でお風呂を沸かしていた土地柄なので、
古い薪があり、備え付けの夫の趣味の
薪ストーブがあったのです。

いつもは粗大ごみ的あつかいだったストーブを、
灯油が不足する中、苦労して燃やしてみたら、
あったかいのなんの!
生の火の力強さ。

岩手にかつて居た、縄文の人々も
火の明るさと暖かさに助けられたんだろうな。
煮物をしたり、ゆれる炎を見つめたり。
子どももジーっと炎を見つめていることがあります。

太陽、月、火、水、森。
電気がない生活の中で、
アニミズムの必然性、根源性を体感しています。
土がゆれ、水が増す中で、弱い生き物の私達。

森林資源は手を加えないと折れたり、枯れたりします。
きこりをして、ホームセンターで3000円からある
薪ストーブを焚けば、熱源と光源を得られます。
大雪で折れた枝、刈払いや間伐をした枝、
環境整備にもなります。

椎名誠さんたちは焚き火同好会で
カタルシスを得ていたようですが、
私はサバイバル力をつける意味でも、
薪ストーブ推進を提唱します。

機密書類も、シュレッダー要らずですよ。
中3のわが子は、保管していたテストの答案用紙を
嬉々として焚付けにしていました。
「(どらえもんの)のびた君みたい」
なんていいながら。

土に根ざした生活に少しバックすれば、
みんなで文明をシェアできるような気がします。
そのほうが、元気も出るみたい。

これからは、原発が怖いです。
実効性のある代替案を、
反原発の方々からぜひご提案いただきたいです。
(いーはとーぶ岩手)



私は海外にいて、
今回の地震、津波、原発と
今までに見た事のない恐ろしい出来事が
日本で起こったことを遠くから見ています。
日本にいない分、家族や友達、
日本のこと自体がなおさら心配で、
地震の日から私も
ネットやニュースに釘付けの2日ほどを過ごしました。
津波の映像を見る度にさらさらと涙が出てしまう、
ということがそのあとも続いて、
私もメディアシャットダウンをしばらく強行しました。
私はアメリカでハリケーンカトリーナで被災し、
全てを失ったので、洪水が人ごとではない
というのもあるのかもしれません。
そんなこともあり、さらに映像やニュースの力で、
今回の地震を経験していないこんな私でも、
ズーニーさんの言うように「傷付いた」のかもしれません。

「好きなことをして栄養をとる」というお話ですが、
まさにそうだった、というようなことがありました。
私はアメリカはジョージア州アトランタと言うところで、
音楽活動をしているのですが、地震直後、
なにかできることはないかと考え、
ミュージシャン仲間と義援金を募るために
チャリティーCDを作り、コンサートも行いました。
自分にできる事とは、やっぱり音楽しかないと思え、
また、ただ座ってニュースを見て怯えるより、
レコーディングなどの作業に実際に救われた部分が
あったように思えます。

地震直後のこれらの感情を、
私は日本にいないので、
こんな気持ちになってはいけないような気がしていました。
ズーニーさんが書いてくれた事によって、
こういう気持ちもあるんだ、
と自分で受け入れる事ができた気がします。
(MO PLUS)



ありがとう。ありがとう。ありがとう!
(中村あい)

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2011-04-06-WED
YAMADA
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