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Lesson553 仕事の死 島田紳助が芸能界を辞めるという会見を、 わけもわからず聞きはじめた瞬間、 頭をよぎったのが、 松本人志の映画『さや侍』だった。 「これは切腹だな。」 と直感した。 「仕事の死をどのように迎えるか?」 紳助も、松本も、 自分の美学に基づいて選んだ幕引きは、 「切腹」だった。 いつ終わるか? どんなカタチで終わるか? 「仕事の死」について、 みんなどう考えているんだろう? 「私なんて、いつ終わるか、 そればっかり考えているわよ。」 と、同い年の友人に言われ、びっくりした。 彼女は、会社員ではなく、フリーランスなのだ。 手に職があり、才能もある。まだまだ、バリバリ、 このままやっていくものと、私は決め込んでいた。 しかし、彼女がいるのはテレビ業界。 会社員のように定年のない、フリーランスであっても、 死ぬまで働くというわけにはいかない厳しい世界なのだ。 会社員のように、他から強制されない分、 自分の仕事の死は、自分で面倒をみなければならない。 いつ終えるか? どんなカタチで終わるか? 自分で決めなくてはならない。 私自身の願いは、 「たったひとつ」と言われたら、 「生涯現役」だ。 自分で、それに気づいたときは、 「仕事かよ!」とあきれたが、 ほんとにそうなのだからしかたがない。 恥ずかしながら、死ぬまで仕事をしていたい。 だから「引退」などは、よぎりもしなかった。 そんな私に、その友人が、 「ズーニーは、1度、死んでるでしょ、 だからそうなのよ。 私なんて、まだ1度も終わりを迎えていなんだもの。」 と言う。 なんのことかと思ったら、確かに、私は、 38歳のとき、1度、「仕事の終わり」を迎えている。 単に、16年近く勤めた会社を辞めただけではない。 私の場合、編集者生命の死であり、 それがイコール「社会的死」であり、 次の仕事のあては、いっさいなく辞め、 以降、社会に干され、 結果、基礎づくりに3年、軌道に乗るまで5年間、 再び社会とつながるまでは、 仕事的には、「あの世」の人だった。 でも、あそこで1度「仕事の死」を迎えたからこそ、 仕事の構造をガラリと変えざるをえなかったからこそ、 いま、「生涯現役」なんて夢を持っていられる、 不思議なことだ。 淘汰のはやい大企業に、 もしも、あのまま残っていたら、 今ごろは、その終わり方について 真剣に考える日々だったろう。 「仕事の死」、 先日、バレエダンサーの熊川哲也がテレビで、 「踊れなくなったら、自分は無になる。 だから、常に死をつきつけられている。」 と言っていた。 まだ30代で、常に死をつきつけられているとは、 バレエ・ダンサーの仕事生命はなんて短いんだろう。 一緒に出演していた歌舞伎俳優、市川亀治郎は、 同じ30代でも、70代、80代が闊歩する歌舞伎界で、 まだ「若造」と呼ばれていた。 不公平を感じずにはおられない。 アスリートや、ダンサー、 若い肉体がものを言う仕事は、あまりに寿命が短い。 仕事を選ぶとき、人は、その寿命を考えるのだろうか? 若く、才能があり、それに全てをかけてきた人ほど、 「仕事の死」は、生木を裂くように、本人もまわりも辛い。 でも、「仕事の死」を迎えるのが若ければ若いほど、 再生への体力・年月も与えられる。 わたしも、38歳で「仕事の死」を選んだからこそ、 やり直しもきいた。2毛作のような仕事人生、まさか、 その2毛作目が本望になるとは、思ってもみなかった。 いま活躍している人も、 1度、「仕事の死」をくぐりぬけた人も多いんじゃないか。 テレビの司会で天才的な手腕を発揮していた久米宏が、 引退すると言ったとき、「こんなにキレがあるのに」と、 当時なぜなのかわからなかったが、いまはわかる。 テレビで、スターを食うほうどに、天才的な司会をする人は、 オリンピックのアスリート並みの神経というか、 コミュニケーションの筋肉を駆使する。 トップを走り続けるからこそ、寿命も短い。 紳助も驚くほどのスピード感と緻密さを発揮する オリンピックアスリート並みのコミュニケーション力だ。 紳助も29歳で、1度「仕事の死」、 漫才の幕引きをしている。 ダウンタウンの漫才を見て、 「これには勝てない」と、 「自分たちの時代は終わった」と、 自らの漫才生命に幕を引いた。 それからは、「司会者」を 本業として強く志すようになった。 黒柳徹子さんも、引退こそしていないけれど、 「ザ・ベストテン」や「紅白」の司会で、 テレビに出ずっぱりの時期を経て、 あるときから、「自分の好きなことだけ」をのぞいて、 それ以外は、すっぱり手を引いた。 紅白の司会も自分で辞めた。 そこで1度、手放したからこそ、 いま、芸能界で長く生き残っている。 タモリは、 いい意味で、現役でありながら、 「あの世」の人のような感覚を持った人だと思う。 天下をとろうとせず、自己実現を追わず、 キャリアアップを図ろうとせず、賞もねらわず、 紳助でいう「紳助ファミリー」や、 たけしでいう「たけし軍団」のようなものも持とうとせず、 現役でありながら、「あの世」の人のように執着なく、 手放しているからこそ、 紳助や久米にはない、息の長さを感じる。 「仕事の死」は、その人のそれまでの働き方に ふさわしい形でおとずれる。 言い換えると、その人がそれまでの仕事において、 「何を一番大事にしてきたか」に ふさわしいカタチでおとずれる。 松本人志の映画『さや侍』は、 タイトルから、衝撃的な問題提起をしていると私は思う。 「サムライが、刀を持って闘わなくなったら、 それは、サムライと言えるのか?」 『さや侍』の主人公は、 もはや刀を腰にさしてもいない、 かといって、武士をやめたわけでもない、 刀のない「さや」だけを腰にさして生き延びている。 そんな父の姿を、幼い娘は、「恥ずかしい」と、 「死んでいるも同然」だと、 「父上には、武士の誇りはないのか」と、 「武士なら武士らしく、せめて潔く自害なさいませ」 とつめよる。 「さや侍」。 例えば、 小説家が、一字も小説を書かなくなったら、 それは小説家と言えるのか? ミュージシャンが、一曲もつくらず、ライブもせず、 バラエティに出るだけになったとしたら、 それはミュージシャンと言えるのか? 芸人が、 漫才も、コントも、しなくなったら、 それは芸人と言えるのか? 芸人の誇りはないのか? 芸人が芸人らしく誇りをもって、 その仕事生命を終える美学とは? 私が、一度目の「仕事の死」を迎えたとき、 自分の手で、自分の仕事生命を絶つ、 という道を選んだ。 会社に残る、という道は当然あった。 でも、たぶん、私の性格的に、あのまま会社に残ったら、 「さや侍」のように、情けない姿になっていたろうと思う。 会社員生命は延命できても、 異動先では、意に沿わぬ仕事を、 意に沿わぬスタイルで、やらなければならなかったろう。 「志」という刀をなくし、 ただカタチだけの編集技術という「さや」を腰にさし、 「おまえには編集者としてのプライドはないのか?」と 自分に問い続ける日々になっていたと思う。 「さや侍」になって、会社に残るという選択が 私にはどうしてもできなかった。 びびりな私が、 自分で自分の仕事生命を絶ってまでも、 大事にしたかったものはなんだろう? 実際、会社員生命はそこで終わり、 結果的に、編集者としての生命もそこで終わったけれど、 わたしはいま、こうして、社会の循環のなかに 生かされている。 今考えると、あのとき、苦渋の選択のなかで、 会社員生命、編集者生命、死に至らせてでも、 「生かしたもの」がある。 それがなにか、 プライドというか、志というか、 言葉にすると「魂」というのがいちばん近いのだけれど、 言葉にすると薄っぺらくて、うまく言えない。 けれども、そのとき、 仕事生命を捨てて、生かした「なにか」、 その「なにか」が、独立してからの12年間、 ずっと自分を生かし続けているし、 ずっと道を開き続けているのは確かだ。 それくらい私にとっては「死に方」が大切だった。 それ間違えると、 いまは全然違ったカタチになっていたと思う。 「仕事の死」。 いつ終えるか? どんなカタチで終わるか? たとえ、自らの仕事生命を自らで絶ってでも、 あなたが大事にしたいものはなんですか? |
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2011-08-31-WED
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