YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson554
      仕事の死 ー 2.読者からのメール



「仕事の死」は、
その人がそれまでの仕事において、
「何を一番大事にしてきたか」に
ふさわしい形でおとずれる。

その人を生かしてきたものが、
その人の終わりの鐘を鳴らす。

先週のコラムに、
読者からおたよりをいただいた。
きょうはそれを紹介しよう。


<流されるだけでは、だめなんだ>

「仕事の死」を読ませていただきました。
今回の島田紳助さんの事件には、ぼくも驚きました。
それはいち一般人としてというより、
ファンとしてのほうが大きかったです。

紳助さん自身も、たしか武田鉄也さんの言葉でしたが
「山はてっぺんまで登ったら、
 ゆっくり下山しなければならない。
 上にいたままではそれは遭難だ。」
とおっしゃっていました。

仕事の終わりは自然と訪れるものかと思っていましたが、
そうでもないんですね。

実際自分自身でどこかで区切りをつけるのか、
それとも一生続けるのか自問自答しながら
仕事に向き合う必要があるとおもいました。
問いかけもせず、周囲に流されてるだけでは
やはりだめなんだな、と。

自分は現在大学生で、
現在就職先を探してる途中なのですが、
この文章を読んで仕事の探し方、
というか仕事に対する考え方が少し変わりました。
(就職先を探す途中の大学生)


<「仕事の死」について回答>

昨年、私は20年勤めた「会社」を退職し、
模索の日々を送っている。
会社員、仕事生命を絶ってまで守りたかったもの、
それは「目に見えないもの」としか言いようがない。

多くの人は、地位、名誉、財産等を優先し、
魂の誇り、人としての尊厳、命や健康、大切な人を
犠牲にしてまで目指す道を行く。
それを批判する気はない。

みな、それを「正しい」と思い、
「やりたい」と願って進んでいるからだ。
 
私はある意味で多くの人と逆の面があったため
このような選択をした。
今でもこの選択を重苦しく思っているが、
後悔はしていない。
事実、退職時点で己の体も危険域に入っていた。
(昨年素晴らしい方々に出会えて、命拾いした)

しかし、退職に当たってこれといった実績や特技がないまま
40を超えての選択だったため、
その後の進路が未だに定まらない。
私のような者は、尊厳などと言わずに
そのまま残れば良かったかと

己に問うても「否」である。

特技を持っておくべきだったかとも思うが、
5人中3人が死亡し、残り2名も通院、
療養状態であるのをフォローし続けた生活では、
やはり難しかったとも言える。
それに問題はこれだけではない。
もっと長く、根深い問題を数多く抱えている。
これらとずっと戦い続け、
現在の暮らしにも大きく影響している。

私は会社から出るときに
「この仕組みから出たい」と願った。

そのため、履歴書を書き、
面接で弁舌し「従業員」となることに進めない。
己の一挙手から生命そのものに自由がない生活を
どうしても受け入れることが出来ないでいる。

経済的必要性は高くなっている。
このままこれに押されて従業員になるか、
何らかの茨の道を歩いて報酬が得られるまで歩くか、
その前にそんな道を歩く力が己にあるのか
甚だ疑問の日々が続いている。

退職から数年の時を経て、独立して活躍している
ズーニーさんを眩しく思う。
どれほど強固な意志があればそんな事が可能なのかと。
また、そんな素晴らしい才能は自分にはない。

それでも、無名でいいから人に役に立つ
何らかの仕事に就きたいと思っている。
願わくば道の開かれんことを。
今はじっくりと歩もうと思う。
(You)



ここに、私が「なぜ会社を辞めたのか」、
適確にとらえた文章がある。

このコラムでも何度か引用させてもらったが、
私が会社を辞めると知った日、
後輩がネットに書いた日記である。


●後輩の日記

驚いたのは先輩が異動を期に辞められるってこと。

小論文の編集担当で、
その人の作り出す教材は、
入試向けとは思えないほどの奥深いもので、
生命・倫理・科学・文学‥‥と
さまざまなジャンルにおよび、
示唆に満ちた刺激的な読み物となっていたのです。

表層的なテクニックではなく、
深く考え、深く表すことをモットーとしていた
この教材は、たしかに、

この人以外には作れないし、
他のだれにも真似ができない

のですが、そのこと自体が、
会社ではネックになるってのは皮肉なもんです。



最初の、大学生さんのメール、
就職先を探すという入り口にいながら、
すでに出口に目が配れているのは鋭いと思った。

私たちも仕事を決めるとき、ほんのちょっとだけ、
「仕事の寿命」みたいなものを考えてもいい。

たとえば、私の好きな、表現力ある大島優子さんも、
どう考えても、40歳になったとき、
AKB48にいるとは思えない。

一方、怪我や謹慎処分などいろいろあった海老蔵さんだが、
そのお父さんを見れば、50歳、60歳といわず、
死ぬまで歌舞伎を続けていくだろうと想像できる。

若さと、かわいらしさを大事にするから、
それが無くなったとき、仕事をさらねばならない。

かといって、
アイドルの仕事生命が儚いか、というと、
ぜんぜんそんなことはなく。

たとえば、
キャンディーズをスパッと辞めて
芸能界を去ったあと、
女優として社会復帰した田中好子さんや、

シブがき隊を辞め、ジャニーズ事務所を辞め、
世界に通用する俳優となった本木雅弘さんのように、

「二毛作」のような仕事人生もある。

ピンクレディーに至っては、
一度解散してからの、50歳を越えてからの再スタート。

こちらは、バージョンアップした「二期作」だ。

スーちゃんも、もっくんも、ミーちゃんも、ケイちゃんも、
あまりにもはやく、23歳ぐらいで「一度目の終わり」を
迎えている。

「若さ」がものを言う仕事だからこそ、
早すぎる終わりが来て、
しかし、だからこそ、
二期作・二毛作への充分な「若さ」が与えられる。

私は、と言えば、

「他のだれにも真似ができない、
 この人以外には作れない」
と言われるような教材を作ったことが、
編集者生命を生かし、充実させ、
でも、38歳という早い死も招いた。

私のいたような大企業では「マニュアル化」「標準化」
が進んでいる。

何十万もの読者を抱える、回転のはやい企業で、
「山田さん」というたった一人の人間がいなくなったら、
がくん! と質が落ちる、
というような仕事のやり方をしてはまずい。

1年目、2年目の社員が担当しても、
途中で急に、人がさし変わっても、
一定の質の教材ができる仕組みが重要だ。

異動先の上司は、いままでのやり方を全部捨て、
「マニュアル」に頭までなびかせ、
だれでもできる、再現性の高いやり方で
編集をしろと言った。

私には、どうしても、それができず、
自らの仕事生命を自ら絶った。

読者のYOUさんのように、
わたしも、まさに、「会社というシステムの外へ」、
飛び出したわけだから、
他の会社を受けなおすことをしたくなかった。

YOUさんのように会社を辞めて半年も
つらかった。

不安のなかで、なんども疑った。
会社を辞めた自分の選択はまちがっていたのかと。

しかし、そのたび、
丁寧に思考の道筋をたどると、
会社を辞めたこと、それだけは間違っていない。
ここから先はあっても、一歩も後戻りはなかった。
ここが、肝心かな、と思う。

3年目が、どうにも、こうにも、いてもたっても
いられないほどつらく、とうとう絶望した私は、

「おかあちゃん、会社を受けなおす」

と、たまたまそのとき、田舎から上京していた
母の背中に宣言した。

それは、会社を辞めてもまだ生きていた
私の「なにか」の敗北宣言だった。

母は、私が泣いているのを悟って、
ふりかえらず、
「会社におつとめして、そこで、体力を養って
 またがんばりゃあ、ええが」と言ってくれた。

宣言したその日、
会社を辞めて丸3年たったとき、
最初の本が、「日本語文章がわかる50冊」の
上位に選定されたことを知り、
思いとどまり、現在に至る。

丸3年、コツコツと書き続けていたことが、
いつしか道をひらいていた。

書き続ける契機となった、この「ほぼ日」を、
はじめたきっかけは何かとよく聞かれる。

それは、会社を辞めるとき、
私の後輩がネットに書いた、まさにあの日記なのだ。


驚いたのは先輩が異動を期に辞められるってこと。
その人の作り出す教材は、
その人以外には作れない。
でもそのことが、会社でネックになるとは皮肉なもんです。



この日記が、たまたまネットサーフィンをしていた
糸井さんの目にとまった。

自分が、ずっとずっと仕事で大事にしてきたこと、
いわば、「オリジナリティ」が、
マニュアル化が進む会社ではネックとなり、
早すぎる仕事の死を招いた。

しかし、「オリジナリティ」を捨てなかったことが
後輩の印象に残り、フリーランスの生命線となり、
次の仕事に命をつないだ。

松本人志の映画『さや侍』の主人公、
「さや侍」は、

もはや刀をもっていない。
さやだけ腰にさしている。
でも武士をやめてもいない。

「刀を持って闘わない侍など、侍ではない。」

と幼い娘に言われっぱなし、
しかし、ラストにその生き方で、
さや侍は武士であることを娘に知らせる。

刀を腰にささずとも、切り合いをしなくても、
さや侍は武士である。
くわしくは映画を観てほしい。

お笑い芸人が、漫才も、コントもしなくなっても、
お笑い芸人はお笑い芸人である。

あの日、会社こそ辞め、
編集媒体も、編集スタッフも、読者も、
すべてなくしたが、
それでも私は編集長だったと思う。

教材から人生へ編集先を変え、
やっぱりオリジナリティを大事にする編集長。

あなたは仕事で何を大事にしているだろう?

それが仕事の道をひらき、
ときにあだとなって終わりをつれてくる。
でも、やっぱり次の道をひらくのも、
自分が大事にしてきたものなんだと私は思う。

さいごにこのメールを紹介して終わりたい。


<生きるほうへ>

ポイントは「生きていること」だと思いました。

ズーニーさんは、
死にそうになりながらも生きていた
生きていたから、このままでは死ねないと思った
生きていたから、仕事の死を選択することができた

間に合ったんだ

そう思いました。
死にそうな時にはまだ、
生きたいという自分を感じることができます。
生きるために選択することもできます。

しかし、死にそうを通り越してしまうと、
自分は生きていると思い込んだまま、
音もなく、死んでいってしまうように思います。

私は、とにかく生きていようと思います。
いつでも生きるための選択ができるように。
(Sarah)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2011-09-07-WED
YAMADA
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