YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson569 ひとつ


私には希望がある。

2011年は、
希望というよりかは、
「明らめ」の年だった。

まず、年開け。
昨年、夢を失った私には、
どんより喪失感にくれたものだった。

そこへ大地震。

わずか数分で、
世界は一変した。

2度と地震前の自分には戻れない。

自分の内面も、
見るものも、聞く言葉も、
地震前とは意味合いが変わった。

この東京で、

被災地とはくらべものにならない
被害のすくなさで、
それゆえ声高に言えないが、

東京の人も数多く傷ついていた。

それまでプライドを傷つけられることはあっても、
心を傷つけられることはあっても、
権利を傷つけられることはあっても、

命まで傷つけられたことはなかった

地震はその聖域にずかずかと踏み込んで、
引っかき傷をつくっていった。

震災からの日々は、
次の現実をまざまざと見せつけられ、
刻み込まれる日々だった。

「この東京で、自分は独りなんだ。」

それが今年最初に、自分が、
「明らめ」なければ、ならないことだった。

5月の連休、
実家に帰ったとき、
ガクゼンとするほど老いた「おかん」の姿を見た。

あんなに料理上手だったのに、
料理をつくれなくなってしまったおかんの姿があった。

「モンカフェ」という、
紙パックのコーヒーを、
コーヒーカップにセットしようとして、

眼と手先の老いで、
するするすべってセットできない。

私の目の前で、
まるでコントのように、
何度も何度も、モンカフェをすべらせる母の姿をみて、
心が悲鳴をあげた。

そのときの気持ちを表現した
「おかんの昼ごはん」には、
全国、そして在外日本人からも、
おどろくほどたくさんの、深く濃い表現のメールがきた。

読者の哀しみに包まれるようにして、
私はすこしづつ、「親の老い」を受け入れていった。

自分の命が、この先、
思ったよりもずっと短いこと。

その短い命さえ、
記憶や感情・忍耐などの知的な側面も、
脚力や、手先、目や耳など、体の面でも、
若いときの完全な形では過ごせないこと。

「老いる」。

つぎに私が「明らめた」ことだった。

最初に出した本『伝わる・揺さぶる!文章を書く』が、
コツコツと38刷の重版をむかえ、
『おとなの進路教室。』が韓国で出版され、
私の表現教育のワークショップを
正式な単位の出る授業として取り入れてくれた大学が、
慶應大学・静岡県立大学・東海大学の3大学になったのも
今年だった。

12年の地道な取り組みが実を結んだ。

講演・ワークショップの依頼がひっきりなしで、
人生でいちばん忙しかったのも今年だった。
震災後、
岩手や青森、山形にも行った。
日本横断のようなワークショップの旅もした。

自分の小さいキャパを上回って仕事をいただく
日々のなかで、

「仕事と健康維持だけに専念しよう。
 それ以外のすべてをあきらめよう。」

と決意した。
あいかわらず、孤独で、ともだちもほしかったが、
それよりも、ワークショップに参加する
学生や社会人の表現の素晴らしさが、まさった。

「この学生たちのために全てを捧げて惜しくない」
と思えた。

「仕事の山が去るまで」と、
ともだちとのつきあいや飲み会、
メーリングリストなど、
いっさいのたのしみを断った。

「働いて、寝るだけの日々。」

表現教育専念のために、
健康維持以外のいっさいを、
私は、期限つきで「明らめ」た。

青春期にありがちな、
夢や期待や憧れのような光を、
ひとつ、また、ひとつと消していくような年だった。

なのに、なぜだろう?

2011年の終わり、私には希望がある。

ふと、一年をふりかえると、
ふと、胸に手をあてると、

まるで金星のように、
小さくても、温かい、本物の光を放つ希望がある。

次々と明らめてきた一年のさいごに、なぜか、

ただひとつ、確かな希望が胸に輝いていた。

それをおもうだけで、
体中のすみずみからじわじわと
生きる力が湧いてくる。

未来が信じられる。

それは、「学生たちの表現」だ。

震災後の学生たちが、
いま、信じられないくらい素晴らしい表現をしている。

彼らは、自分をさらけ出すことに恐さを覚えるが、
ひるまず、さらけ出す勇気を出す。

私生活を、自分の弱さを、失敗を、
恵まれなかった境遇を、哀しみを、差し出す。

決して、自分の痛みを人にわかってほしいから
さらけ出すんじゃない。
いわゆるカミングアウトをしたいのでは決してない。

自分をさらけ出すというリスクを引き取っても、
うわまわる「表現したいもの」があるからだ。

「伝えたいこと」があるのだ。

それは、とてもひとまとめにできないし、
安易な、こんな言葉じゃくくれないほど、
痛みに満ちていたり、暗くもあるが、
それでも、それをひと言で言うと、

「希望」なのだ。

ある学生は、こどものころから
父親にひどい虐待を受けていた。
言葉による、尊厳も、未来も、
可能性も打ちのめすようなDVだ。

それは子供心に暗い影を落とし、
学校でいじめられる。

それでもいつも、あなたはきっと未来に素晴らしい人になる
と信じているお母さんの励ましの言葉があった。

ある日、お母さんが、
「お父さんから逃げるよ」といい。
避難所に身を寄せる。

彼はそこで勉強し、日本でもトップクラスの大学に入る。

かつて自分を否定し続けた父親に
合格のことを伝えようとしたときには、父親は
お酒に依存しすぎて肝臓を患い、死んでいた。

この学生に、
「DVをなくしたい」という意志が育つ。

彼は、その方法として、
民間の団体とか、ボランティアに行くのではなく、
厚生省に就職する道を選んだ。

なぜなら、「虐待を受けているこどもたちのなかで、
 いまの自分のような教育を受けられるところまで
 こられるのは、わずか数パーセントにすぎないからだ」
と。

その学生は、自分の受けた痛みについては
多くを語らす、実に淡々と表現するのだが、
わたしはなぜか、彼の表現の向こうに、
虐待されて亡くなったこどもや、今も苦しむこどもや、
学校にいけないこどもや、ましてや
彼のように高い教育を目指せなかった子供たちの、

「無念」を見た。

まるで、彼の表現から、
たくさんのこどもたちの哀しみが、
自分にしみこんでくるようだった。

彼は言う。

「この世からDVをなくしたい。
 たとえなくすことはできなくても、
 自分の手で劇的に減らしたい」と。

いわゆるきれいごととは一線を画する、
本物の美しさのある表現だった。

ひとりの学生が、
考えることで深く自分と通じ、
腹の底のほんとうの想いを表現することで、
えもいわれぬ解放が、講義室に満ちる。

感傷ではない、本物の感動がある。
批判や反発ではない、根源的な問いかけがある。
揺さぶられ、解放される。

他の学生にも連鎖し、また、次の学生が
自分にしかできないありようで、独創的な表現をし、

学生同士が、人生の深部で通じ合い、
響き合う。

私が、良い会社を辞め、
経済効率もすっとばし、フリーランスになって、
たくさんの非効率と、孤独を引き受けてまで、
なにをしたかったか、と問われると、

「この瞬間のためだ。」

と言いきれる。
それくらい、今年は、行く先々で、
人々が、信じられないくらい素晴らしい表現をした。

人がどんなに暗い状況にいても、
その内面を言葉にあらわし、人に通じさせたとき、
解放がおとずれる。

悲しみが深ければ深いほど、
深い解放がおとすれる!
それは自分はもちろん、聞く人をも解放する。

「表現」の可能性を信じている。

これは、今年、震災後の日本を横断するようにして、
たくさんたくさん、一般の人の表現に、
「言葉の産婆」として立ち会った私の真実である。

疑おうとしても、疑う余地のない
ちいさくても決して揺るがない、私の自信である。

2011年暮れ、私には希望がある。

日々の中で、あなたが自分の想いを言葉にすること、
小さくても勇気ある自分の表現をすること、
そこに希望がある。

あなたには表現する力がある。

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2011-12-21-WED
YAMADA
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