YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson579  仕事の選択 5


集中講義も最終日を迎えたある日、

ひとりの学生が、
はでに遅刻して午後から来た。

ふだん私は遅刻者に冷たい。

ついムッとし、顔がひきつってしまう。

そうなると、せっかくそれまでつくりあげてきた
授業のよい雰囲気までこわれてしまうので、

「もうちょっと柔らかにできないものかなあ、
 せっかく遅れずに来ている学生たちのためにも」
と自分でも思っていたが直せずにいた。

想ったことがすぐ顔に出てしまうのだ、私は。

ところがその日、自分でもびっくりするぐらい
自然に優しい声が出ていた。

温かく、でも、毅然と、
さっと遅刻者を招きいれ、
それまでの授業のいい流れを壊さないどころか、
維持して、さらに盛りあげることができた。

「さっきの優しい声、どの口が言った?」

とっさに、自然に、顔を出した優しさが、
自分でも信じられなかった。

「性格改造とか、努力とか、全然やってない。
 なのに、なぜ、あんな自然な優しさが出たんだろう?」

奇跡はまだ続いて、

通常私は、
ワークショップ中にイレギュラーに
声をかけられるのが苦手だ。
全体の雰囲気を察知し、次の流れを組み立てと、
けっこう、いっぱいいっぱいなのだ。

イレギュラーに話しかけられると
段取りが飛んでしまいそうで恐くて、
つい、コワイ顔をしてしまう。

でも、学生がワーク中に不明な点をたずねるのは
ムリもないことだ。
もっと柔らかに対応できないものかと、
いつも思い、でも、わかっちゃいるけど、
キャパが小さく、どうにもならずにいた。

ところが、その日は、やっぱり、
込み入ったところで学生に声をかけられても、
自分でも信じられないくらい、
自然にさっと、優しい声が出て、
適確に、迅速に、対応して、もとの流れに戻れた。

「え?
 いつものキャパの小さい私と全然ちがうじゃん?
 なんか、これって、できた人間みたいじゃん?」

と自分でも信じられなかった。

「決して、つくったり、意図したり
 こびたりしているんじゃない。
 あくまでも自然なのだ、心から出てきている。
 どうしたんだろう?」

と考えて、はっとした。

「やりたいことが、優しさを引き出した。」

私には、やりたいことがあった。

私は、その日の最後に行われる発表会を、
なんとしても、ある水準にもっていきたかった。

2011年は、震災後の学生たちが、
信じられないくらい素晴らしい表現をし、
私の、28年の教育人生において、
過去最高水準の教育的感動を見た年だった。

だから、そのレベルまで、

学生が存分に表現し、
場にいる学生たちと、響き合い、通じ合い、
えもいわれぬ解放を味わう域までいきたい!

やりたいことのビジョンがはっきりあった。

だから、そのために、必要な一切が、
ついつい、自然に、心から、体から、引き出されてくる。

気がついたら、
昼休みに、会場に掃除機をかけたり、
ぞうきんがけまでしていた。
自分の部屋のそうじさえ、ロクにできない私が。

それもこれも、
表現の場を愛しみ、
達成したい達成したい世界観があるから、自然に出てくる。

優しくなりたいとか、
強くなりたいとか、

「今の自分が嫌だから、変わりたい」

という人が、いま、とてもたくさんいる。

でも、かりに私が、
優しくなるために優しくなろうとし、
意図して学生に優しくしたとしたら、
それは、けっきょく、
エゴじゃないかなあ。

自分を鏡に映して、
気に入らないところを切ったり、足したり、
自己完結で直そうとしても、

本を読んだり、学校に行ったり、
インプットで変えようとしても、

たいして変わらないんじゃないかと私は思う。

「自分の潜在力を引き出したいなら、働くことだ。」

貨幣をやりとりする仕事だけではない。
ボランティアとか、家事も含めてだ。

必要なのは2つ、
「やりたいこと」と、「他者」の存在だ。

ある社会人の女性は、

自分がいやで、変わりたくて、
クラスの輝く友達のマネをすることで、
素敵な自分になろうとした。

でも、人マネをすればするほど、
どんどん自分は不自然になっていき、
輝く友達をまねて、笑顔でいようとするも、
その笑顔は、まるで顔にはりついた仮面のよう。

努力すればするほど仮面は厚くなっていった。

あるとき、その女性は、ボランティアに出た。

そこで出逢った親子をなんとか力づけたいと、
無我夢中で奮闘した。
そのはてに、その親子から、
思いもよらない言葉を言われる。

「あなたの笑顔は自然で太陽みたいですね。」

「他者」=親子との関わりのなかで
「やりたいこと」=力づけるを達成していく過程で、

もともとこの女性がもっていた潜在力、
太陽のような笑顔が自然に引き出された。

潜在力というのは、
自己完結ではなかなか引き出されないもので、
他者との関わりのなかでこそ
引き出されると私は思う。

けれど、それは、人間関係がゴールになってはいけない。

人間関係がゴールになると、
どうしても、相手に合わせようとか、
相手からよく思われたいと、意図して頑張るので、
そこでは、笑顔をつくってもつくっても、仮面のような、
つまり本来自分にないものを纏う不自然が生じやすい。

別のゴール。

医者であれば、病気を根治したい。

教師であれば、数学的な思考力を伸ばしてやりたい。

歌手であれば、リスナーの心を明るくしたい。

などのゴールを達成していく中で、
強さ・優しさ・賢さ・ひらめき・魅力などの
潜在力は引き出されていくのではないか。

それらは、魅力的になるための魅力ではなく、
強くなるための強さではなく、

目標達成のために、意図せず引き出されたからこそ、
自然・天然なのだ。

たとえば、看護師さんにいつも私は感動する。
母の病気でお世話になり、
ほんとうに強くて、
ベタベタしない毅然とした優しさがあって、
すごい! すごい! と驚くけれど、

もともとすごい人ばかりが
看護師さんになれたわけではなく、

もとは、どこにもいるような、
弱く、自分が可愛く、優しくなりたいけどなれない、
自己嫌悪もたくさんもった人間だったのではないかと、
私は思う。

それが、「患者さん=他者」に、引き出され、
「命を助けたい=やりたいこと」に向かって
ひた走るうちに、
強さや優しさが、引き出されていったのだと。

仕事には、
教師にとっての生徒、
看護師にとっての患者さん、
歌手にとってのリスナーなど、

「他者」が明確で、
日々、現実に、他者としっかり関わっていく仕事と、

直接、他者に目の前で関わりあうことのない仕事がある。

私自身、
編集者をしていたときは、他者は「読者」、
大学で授業するときは、他者は「学生」、
ものをかくときは、他者は「読者」だ。

うたがいようなく、他者が明確な仕事をやってきている。

でも、その中でも、距離感は違う。

出版物を通して、間接的に他者と関わる編集者と、
ライブで、その場ですぐ、他者に影響を与え、
他者の反応もすぐ帰ってくる講師とでは、
他者との距離は、ずいぶん違う。

これも、どういう選択がよい悪いではない。

たとえば、お客さんと日々、
じかに接して、じかに反応を浴びる仕事は、
実感や手ごたえをじかに感じる歓びもあるけれど、

マイナスの反応もじかに浴び、
ゴールに導けない無力さを
じかに受け取るという痛みもある。

お客さんが近すぎて、
その反応に振り回されやすいという悩みもある。

一方で、お客さんとはじかに接することはないし、
その反応も、じかに受け取ることはない、という仕事では、

たしかに、自分の役立ち感ややりがいを、
お客さんを通して生で得られないという痛みはある。

でも一方で、目先の客の反応にふりまわされることなく、
長い目で、普遍的なところを見て、
自分の仕事を高めていけるという歓びがある。

仕事の選択において、
他者というモノサシから見てみることも
ひとつのヒントにあると思う。

あなたの仕事を通して関わる「他者」とはだれか?

他者とはどんな「距離感」か?

最後に仕事の選択にかかわる
読者のお便りを一気に紹介して今日は終わりたい。


<崖っぷちには邪念がない>

私も「崖っぷちにいるときこそチャンス」と
考える人間です。

今までピンチのときにこそ転機があった。
「もうだめだ」と思ったときにしか、
道は現れていない気すらします。

追いつめられていないときは、邪念が多い。

邪念が増えすぎると逆に
それらにがんじがらめにされてしまいます。
その割にやりたいことは達成できていない。
結果苦しくなって、どれかを選ばざるを得なくなる。
(ぽぽ)


<絶対負けるもんか>

このままでは終わらないぞ〜〜! という意地、
そして新しい自分に飛び込む勇気と冒険心は持っていたい。

だって、安定を求めると、
変化にいつも怯えなくてはならない。

家庭を持つために公務員を辞めたんだから、
私は家族中心。
フリーで仕事を頂く。
子供が帰ってくる時間までの仕事は、
なんでも声がかかればやる。
子供の負担になる仕事はできるだけ断る。

誰がなんと言おうと、私の生活を守れるのは私だけ。
わがままですけど、だからこそそれなりの準備も
心がけています。

仕事の継続の中に専門性や実績が生まれるのだと
思っています。

仕事を辞めるって、本当に大きな決断です。
失うものも多い。
でも、「絶対負けるもんか」で、
荒れ狂う波に呑まれないように。
(人それぞれ)


<選んだ道に吹く風>

私は昨年仕事を辞め、
今、以前の仕事とは全然関係の無いお店を開く準備も
最終段階に入り、4月にはオープンできそうです。

噂を聞いた人たちは、
すごいね! とかよく決断したな。など言ってくれます。

でも本当は全然凄くないんです。

弱い僕は前の仕事では自分の尊厳は守れなかった。
それは能力の問題や性格の問題があったのかもしれません。
でも、そこではどうしても長く働く気になれなかった。

思えば、ずっと決断をする事を怖がってきた気がします。
このままでいいのだろうか?とか
この仕事をずっと続けたいか?
などと考えては、
その仕事を一生の仕事にする事から逃げてきた気がします。

仕事を辞めて、追い詰められて、追い詰められて、
そして、決断する事ができました。
自分の尊厳も守れる仕事。
全てをかけて挑戦したい仕事をすることを。

順調に成功しているから見える景色があります。
そしてまた順調じゃないからこそ見える景色もあります。

全部は経験できません。
どちらが良いも悪いも無いと思います。

でも、自分で選んだ道には、
さわやかな風が吹いている気がします。
どんな逆風も少しさわやかなんです。
(グッドラックの男)


<最後に決めるのは>

私は高校で不登校となり、
人より遅れて社会人となりました。

希望していた企業の、希望職。
「ようやく社会人になれた、ようやく土俵に出れた」
と必死になっていました。

しかし、2年たったある日、
突然会社へ行けなくなってしまい、
うつ病と診断され、休職となりました。

どうしてどうしてと、自分を責める日々でした。
自分は何かやり遂げることのできない、
社会に適応できない、
いらない人間ではないか。
そんな考えが頭から消えず、自分を何一つ認められず、
苦しい思いでした。

休職中、幾度となく、
復帰できるのか、復帰したいのかを
自問自答していました。

決めたい、でも決められない。ヒントがほしい。
誰かに話を聞いてほしい。
何が正しいのか、教えてほしい。

でも、今までの経験の中で、わかっていました。
最後は自分で決めるしかない。

長い時間をかけて、辞めることを決断し、
またこの決断を土台にしてがんばっていこうと決めました。

先日のマンゴスティンさんのメールにあった、
「日々削られていた自分自身を救ったという実感は
 あるのです。」という言葉に勇気づけられています。
(ピー)


<苦しかった、けど自由だった転職活動>

私は4月に新卒で2年勤めた職場を辞め、転職します。

私は学生時代はいわゆる優等生で、大きな挫折もなく
親や学校に守られながら生きてきました。

進路選択でも何も考えず、
親や周りの意見に流されるように就職を決めました。

そこに自分の意志など何一つありませんでした。

医療系の資格を取れば職には困らなさそう
公的機関なら、安定していそうだし、聞こえもいい

そのツケはすぐにやってきました。

仕事に全くやりがいを見出せない、
何をしてもやる気が出ない。
新人はとにかく怒られたり注意されたりしながら
仕事を覚えるものですが、選んだ理由が上記のような
本当に薄い動機だったため、
耐えることができなかったのです。

私は本当はどうしたいのか?

その頃「働きたくないというあなたへ」を書店で見かけ
このコラムの存在を知りました。

「自分の進路を、自分で考えて決める。」

当たり前なのに私には衝撃的な内容で
すぐに本を買って帰り、
一言一句食い入るように読みました。
何度読み返したかわかりません。

自分ではちゃんと「自分で決めた」と思っていたけれど、
それは、世間の目や、周りの意見に無意識に支配され
限定された選択肢の中から無難なものを選んだだけだった。
本当の答えはもっと外にあったのに、
向き合うのが怖くて逃げてきたことに気づかされました。

そこから地道に転職活動を続け、
時間はかかったけれど
自分で納得できる職場に巡り会えました。
断言できるのは、
自分の意志を掴むことができたからです。

2年間毎日、誰にも相談できず悩み続けるのは
本当に孤独で苦しいものでしたが、
すごく自由だったなあと、振り返るとそう思います。
自分の行きたいところに行っていいんだって。
答えは初めから自分の中にあったんですね。

最初の就職で痛い目に遭って追いつめられたからこそ
自分と向き合わざるをえなくなったのだと思います。

安定した将来も、
お給料も、親の安心も、
優等生だったプライドも、

すべて失うとしても、でもこれだけは手放したくないと
必死で守った意志が、
私の人生の道しるべとなり
私をあるべきところへ導いてくれた。

4月から、またゼロからのスタートです。
(群馬県民 GK70)


<ブランドに縋りついていた>

私は一昨年、仕事を辞めた。
権力によって職場を失った。

その職場には4年9か月働いた。
医局という特殊な世界。医師の裏側を見せつけられた。

「医者以外人間じゃねぇ」
「明日から来るんじゃねぇ」
ここに書ききれないくらいの誹謗・中傷を受けた。
「ラフランス(用なし)」とも言われた。

寝耳に水なことを私のせいにし、
私が全く身に覚えがなく知らないと言ったら、
「だったらお前が犯人捜せ」とも言われた。

誹謗・中傷を言う医者は
日本の都心の中心にある病院の院長
そして理事をしている方の息子。

他人を中傷したくて書いているのではありません。

この医師を通して学んだことは、
代々続く医師の家系でも本人が望まずして仕事を選び、
権力を与えると人間は途轍もなく愚かになるということ。
肩書きがある人間が意外に人に守られているということ。

また、私は何故5年近くも働いたのか。

大学の医局というブランドに
縋りついていたことに気付いた。

しかし、辞めざるを得なくなって、
はじめて自分がどんな職に就きたいのか考え、
今の会社が採用してくれ、
失敗もあるが私を受け入れてくれて
本当に毎日が充実している。

肩書きや会社のブランドでは活き活き働くことはできない。
仕事の選択は本当に人生の選択だと私は実感している。
(さしすせすーさん)


<まわりの悲しみに心がゆらぎ>

先週は私のメールを載せていただき
ありがとうございました。
あの日、私は老人ホームを辞めることを
スタッフに話す日でした。

悲しいことに皆が大好きな
98歳のおばあちゃんが天国に旅立った日でした。

思っていた何倍もスタッフ皆が
ショックを受けてしまったことに
私自身が誰よりもショックを受けました。

泣くと思っていなかった人が泣いてくれ、
心がシクシクと痛み
私の選択が間違っていたのではないかとさえ
思っていました。

ご家族さんも自分の大切な親の最期を
私を信じて託したのにという気持ちもあるのでしょう。
呆然とされている方も多く
こちらもかなり胸が張り裂けそうでした。

私もズーニーさんが書かれていたように
決して強いからではなくて
弱いから選択して辞めていくのです。

もっと強ければ会社の中で
どれだけ組織が変わって大きくなっても
何を求められたとしても
どんな場所でも居場所を見つけられたでしょう。

このままでは息が出来ない、という
ギリギリの選択でもありました。

何の約束もないのに
両肩に背負っているものだけはいっぱいで
これからどうして生きていく気かと
いろんな人に心配されているけど
何も決めていない。

それでも「よし」と腹をくくった選択のつもりが
自分が大切にしてきた
スタッフさん達の涙や喪失感が伝わり
崩れそうな瞬間でした。

でも、先週
“ほぼ日”に私のメールを載せてくれていることを
知り、もう揺らぎませんでした。

私のメールを見て
知らない誰かの気持ちが
揺れたかも知れないし
何らか感じてもらえたかもしれない。
そんな人がいると信じて
もう一度気合を入れ直して
腹をくくっていきたいと思います。

ここに載る皆さんのメール、どれも素敵ですね。

もがき、苦しみながらも
自分らしく生きようとしている姿に
信じて立ち上がろうとする姿勢に
何度も何度も心を揺さぶられて
考えさせられることが多いです。
その中に自分も入れていただけたことも
心から純粋に嬉しく思います。

そう思うと、
まわりの人たちが悲しんでくれているのは
私が今まで与えてきたものが
少しは何らかあるからなのでしょう。

今までがんばってきた自分への
最高の退職金みたいなもの。

そう思ってもう少しの間、
大好きな人たちと
大切な時間を過ごしていきたいと思います。
(れん)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2012-03-14-WED
YAMADA
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