YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson586  仕事の選択 12


仕事の持ち場を知りたいとき、
「ゴール」から考えてみる手もある。

きょうは、
文章表現教育のゴールについて、
私の考えを、お話したい。

この「おとなの小論文教室。」は、
学問のような正しい答えでもなく、
宗教のような絶対的な答えでもなく、

「自分に合った答え」

を引き出す場だ。
医療・福祉・教育それぞれのゴールを、

おなじ教育関係者にしても、
一人ひとり違うゴール観を、
引き出す「踏み台」になれば幸いだ。

さらにこれは、

「ありのままのあなたでよし! とは、
 だれに言われたら満足か?」

の問いに対する、私個人の答えでもある。

前回、
文章表現教育のスタートラインをお話ししたが、
では、ゴールは? と問われれば、
私には、まずこんなイメージがわく。

「外へ!」

先へ、
と言い替えてもいいかもしれない。

人は、生きている限り、
自分が経験し把握している範囲の、
外へ、先へ、と
希求し続ける生き物ではないかと思う。

高校生、大学生、社会人を問わず、
ある人の文章が、
ぐっとうまくなったというとき、
必ずといっていいほど、
「外へ」つながる芽が出ている。

逆に、
進歩しない文章は、
いっこうに外へ向かない、ひらけない
印象を受ける。

以前紹介したかもしれないが、
わかりやすいので、この例で説明しよう。

ある高校の総合的学習時間で、
聴導犬のことを調べて発表した
高校生たちがいた。

あてがわれたテーマでなく、
好きなテーマ・やりたいことを
自分たちで自由に選んでレポートするのだ。

高校生たちは、
いままで生きてきた自分たちの興味を、
正直に洗い出し、掘り下げ、
「聴導犬」という心が向く、
調べずにはおられないようなテーマに出逢う。

興味あるテーマだからこそ、
一心に追い、夢中で調べ、考えて、
会心作で、発表準備を整えた。

ところが、
発表会を目前にして、
はた、とゆきづまる。

「うちら聴導犬について調べた。
 レポートもすごくいいものになった。
 だから、なに?」

発表会には、親たちや地域の人も来る。

「来た人たちに、
 調べたことを調べたとおりに発表して、
 うちらは満足か?」

高校生たちは、急遽、募金箱を設置し、
発表のなかで呼びかけ、
集めたお金を、寄付する運びとなった。

高校生たちが、
「外へ!」と目をひらき、自分たちをつなげた
印象的な瞬間だった。

「外へ!」

大学半期の授業のゴールを
私はこのように伝えている。

「外・他者・社会に通じる」文章を書く。

文章表現のスタートラインは、
「まず自分と通じる」こと。

ありのままの自分=X(エックス)が何か、
多面的で奥深くて、一生かかっても
つかみきれなかったとしても、

少なくともXと握手をするような瞬間はある。

Xに対して正直な表現をしよう、
ベストをつくそうと、
努力を重ねるうちに、
自分と言葉が通じ合うときがくる。

そういうときに、
「ありのままの自分でよし!」と
自分からの声が聞こえてくるかのようだ。

自分と通じ、
スタートラインに立てたら、
人は、今度は自然に外を向くようになる。

第一歩は、身近な一人の相手へ。

たとえば、親とか、友達とか、
身近で顔の見える
まずは一人の相手に通じる文章を書く。

考えることで、深く自分と通じたように、
今度は、相手を理解し、相手を掘り下げる。

生徒さんの中には、
病気の妹さんの治ろうとする意欲を奮い立たせた
手紙を書いた人や、
お父さんに感謝の手紙を書いて、
生まれて初めて自分の前で涙を流す(嬉し泣き)
お父さんを見たという人もいる。

このとき、「よし!」は、
親や、家族、友達など、身近な人から
聞こえてくる。

難しいのは、この先。

良い意味での自己満足を迎えても、
身内からよし! と言われて満たされても、
人はそれでも、さらに「外」を目指す。

親でも、友達でもない、
その外の他人と、いかに通じ、
そこに、いかに自分をつなげていくか?

聴導犬の高校生チームが、
自己ベストの表現ができたからといって、
それが何? と立ち止まったようにだ。

高校生たちは、
まずは興味あるテーマを見つけるために、
「自分を掘り下げ、自分と通じた」と思う。

つぎに、取材対象へ。

聴導犬の訓練士や、利用者に向かい、
今度は、他者を理解し、その言葉を
まとめることに、言葉を砕いた。

さらには、聴導犬の歴史へ、
背景にある、今の社会へ、と目をむけていった果てに、
今度は、この社会というものを掘り下げ、
その根底にある声に耳を澄ます。

そんなふうに、
自分と通じ、そこに正直でベストをつくすことから
一歩も譲らず、
今度は、一人の他者へ、社会へ、と
通じ合う対象を広げていった結果、

「いま、自分たちが発しているこの言葉は、
 外に対して、なんの意味があるの?」

という問いにぶちあたり、ついには、
自分と外を、意味をもって
つなげることができたのだと思う。

その瞬間、「よし!」は、
親でも身内でもない、
「外」から響いてきたはずだ。

これはどれほど自信になったろう。

生徒が、
「まず自分と通じる」文章を書く
サポートから出発して、

つぎに、身近な一人の相手へ、

それから、他者へ、

さらに、社会へ、

と、外へ外へと通じ合い、
そこに自分から何かを与え、
自分をつないでいけるような
文章を書くように導くこと。

それが、目下のところ、
私の考える文章表現教育のゴールである。

ありのままの自分=Xに対して、
正直になることから出発して、
そこから一歩も後退せず、
いわば、

「自分らしく、かつ、
 世界に通用する文章を書く」

そこまで導くことができたら本望だ。

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2012-05-09-WED
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