おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson608 人の品 − 5.そばにある品 人の品というものは、 たとえばこんな小さい日常のシーンでも 試される。 いや、小さいからこそ、あらわになるのかもしれない。 <お菓子屋さんの番号札> 今から二年前、 バレーボールの全国大会で 東京にやってきました。 大阪地区大会で優勝し、 実業団でもないのに 会社のお金で東京に行かせてもらったことに 私を含む8人は舞い上がりました。 試合が終わって関西へ戻る時 興奮も手伝って、品川駅で迷う人がいたり 切符を落とす人もいたり。 かなりバタバタして 何とか無事に新幹線に乗り込み 差し入れにといただいたお金で買った シュークリームを食べようと思いました。 その時、私のポケットから 一枚の番号札が出てきました。 それは混んでいるお店で シュークリームを箱に入れてもらう間に 渡されたものでした。 新幹線はとっくに走り出していたし その時は番号札を持ち帰ったことも 私自身、皆で笑っていました。 楽しい思い出がたくさん詰まった バレーボール大会でしたが 他人のものを持って帰った後ろめたさが 私の中にしっかり残っていました。 それから半年近くが経ち 東京に行った時に 私はこの番号札をお店に返しに行きました。 こんな番号札くらいでどうなのかと思ったり 何度も捨てようかと思いもしました。 シュークリームを買ったお店を見つけて 事情を話して番号札を出しました。 その瞬間、 店員さんは顔を見合わせて 「見つかった!!」 とばかりに 手を取り合って小さくジャンプされたのが見えました。 きっとそのお店にとっては 大切なもので、探されていたのでしょう。 その姿を見た時、 捨てなくて良かった、 もっと早く返せたら良かった。 いや、遅くなっても返せて良かったと心底思いました。 高齢者に関わる仕事をする時に 「ごみやガラクタに見えるものでも 高齢者にとっては宝物かも知れない。 相手の持物を大切にするってことは 相手を大切に思っていることに繋がる」 ということを教えてもらったことがあります。 どんな状況でも誰かを思える気持ちも 一つの品かなと思います。 (れん) <誰かが少し助かる何か> 「今ここで自分が労力を割いても 何も得なことはない、 むしろ損だ」 という思いが、行動しなくてもいい言い訳になっている。 自分がやらなくても何も責められることはないけれど、 やれば、誰かが少し、 助かったり嬉しく思えたりするようなこと。 思慮深く、成熟した人というのは、 一見、損だと思えるようなことを、 誰も見ていないところで、 損だと思わずに、 何の躊躇もなく、実行できる人なのだと思います。 そういう人に、品がそなわっていくのだと思います。 (プリムラ) <一本道でかち合ったとき何を譲るか> 中学時代から一緒だった人と結婚して間もなく、 その主人が病気になりました。 大きな病いで、私は受け止めることが精一杯。 にもかかわらず、周囲から聞こえてくる心ない声。 どうしてそんなことを言うのか、 25歳の私は耐えられなくて、 だんだん心が闇でいっぱいになりました。 その時母が、「負けて勝ちなさい」と言いました。 母は幼い頃、 親戚に預けられて育ちました。 私は、何不自由なく育てられてきた。 これが初めての不遇、自分の力だけでは どうしようもできない経験だったのです。 「負けて勝つ」 私には優しい人の本性のように思えます。 一本道でばったり出くわした人に道を譲るような感覚。 相手を思いやり、自分をぐっと押さえ 内に秘めることができる人は優しく強い、 品のある人なんじゃないでしょうか。 そのなかでも「自分」だけは譲らない。 (はじめての試練) <人を人として> 実家から車で10分のところに住んでいます。 昔は、わが町も小さいながらも商店街があり、 歩いていけるところに魚屋さん八百屋さんがありました。 しかし、いつの間にか個人商店は少なくなり、 最近は、高齢な母を、大型スーパーへ誘って車でいきます。 はじめて大型スーパーへ行ったとき、 母は、レジの人に 「品物がたくさんあってよいお店ですね。 それに、店員さんの笑顔は素敵ですね。‥‥」 と長々話だしたのです。 私は、後ろにたくさん人が並んでいるのをみて 母を前に促し、帰りの車で、 「おかあさん、大型スーパーでは、レジの人と あまり話さないものだよ。」 「みんなレジで会計を待ってる人は急いでいるから、 さっと通った方がよいよ」と言いました。 それに、 「店員さんの笑顔は営業スマイルだよ」と。 しかし母は、大型スーパーへ行くたびに 店員さんと一言二言、笑顔であいさつしていました。 そんなあるとき、母が腰を悪くして 2か月くらいスーパーへ行けなくなり、 私だけ通っていました。 すると、レジの店員さんが、 「お母さん、最近こないけど何かあったの」 と聞かれました。 「お母さんが来るとなんか元気がでるんだよね。 いいお母さんだね」 と言ってもくれました。 母がお金をだすのが遅くてもじっと待ってくれて、 店員さんには、いつも悪いと思っていました。 でも母が、いかに店員さんに愛されていたかを 思いしらされました。 母は、中学を卒業しただけで、 学問は、あまりしてこなかった母ですが、 人の気持ちを読むのは得意です。 読んでその人の良いところをほめるのが 最高に上手な人です。 無学な母ですが、さりげなく 店員さんの品も引き出したような気がしました。 (福島県 ブーちゃん) 母の辞書にないのが、 「自分探し」という言葉だ。 「自分を生きることが許されなかった」と言っても、 言い過ぎではない母の世代の女性たち。 母は中学で首席だったが高校には行かせてもらえてない。 にも関わらず、母から、 「本当の自分はいまここではないどこかにいる」 というような考えをいっさい聞いたことがない。 それどころか、 どこにいても、母は、自分として「いる」。 田舎に住んでもその田舎が、 スーパーに買い物に行けばスーパーが、 入院すれば相部屋の病室が、 たちまち母の居場所と化し、 母はまぎれもなくそこで、「自分を生きて」いる。 「人の品」の1話に登場した女性は、 自分を生きることが許されない逆境から、 自分に投資し、教育というハシゴを登りつめ、 よい仕事を得て、「自分を生きる」を手にした。 同じく1話に登場する友人は、 「自分を生きる」ことから降りてしまった。 ならば、貧しいために教育も受けられず、 見合い結婚をおしつけられ、 自分を生きるために自己投資しようにも、 そもそもハシゴが存在しない環境に生きた母が、 自分の人生を、登るの、降りるの、言わないばかりか、 常におかれた環境で、自分として「いる」のは、 なぜなのか? 「人を尊ぶという自己表現」 読者のれんさんが、 お菓子屋さんのちいさなジャンプをみたとき、 自分らしいとまではいかずとも、 そこに人間らしいと感じる歓びがあったはずだ。 まさにそんなささやかな歓びが、 母を母として、その場に生かしている。 自分にフォーカスし、自分に投資し、 自分を磨いて、自ら階段を上りつめていく生き方と、 母は真逆にいる。 一本道で人とかち合ったら、 母は常に、どうぞどうぞと道をゆずり続けて生きてきた。 譲った相手が、小さくジャンプし、 そこにちいさな芽が出て、そこに水をやり、花を咲かせ、 母はそうして自分のまわりを、 常にうるおい、花の咲く状態に持っていく。 このシリーズで私は、品をわけるものは、 「自分を生きる」を手放すかどうかだと考えた。 そこから降りた友人や、 大変な努力でそれを手にした女性を思うと 並々ならぬことのように思う。 しかし、母を見ていると、 「自分を生きる」とは高邁なことではなく、 決してたやすくはないけれども、 すぐそこらへんにありふれている、 すぐ手の届くそばにあるものだと思う。 |
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2012-10-17-WED
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