おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson620 引き際の美しい人 別れに際して、 執着したり、恨んだり、 ズルズルいつまでも引きずる人と、 哀しんでも、潔く、清々しく、 次の一歩がさらに自分らしい人と、 どこが違うのだろう? 先日、「あ、そっか!」と 腑に落ちることがあった。 恋人との別れを経験した ある社会人男性の話を聞いたのだ。 プライバシーに抵触しないよう、仮に、 潔人さん(キヨトサン)とし、改変を加えて話そう。 潔人さんにとって、 ツラく、痛く、やるせない別れであったことは まちがいない。 相手の女性は、 人生でいちばん愛した人で、 相手も人生でいちばん愛してくれたという。 おたがい、心から好き同士の、 似合いの素敵なカップルだったのだろう。 潔人さんは、職場で理不尽な目にあっていた。 潔人さんはそれを誰にも言うことができず、 ひとり、棒を飲むようにして、ぐっと我慢した。 「自分さえ我慢すれば‥‥」 それで済むはず、だった。 ところが、我慢は、 最愛の女性に思うように優しくふるまえないというカタチで 無自覚に、不本意に出てしまう。 おたがい好きで大切だからこそ、 潔人さんも苦しかっただろうし、 相手もどれだけ傷ついただろう。 そんな日々が続いた果てに、 相手の方から別れを切り出され、 もちろん潔人さんは、愛しているし、 なんとかやりなおしたいと願った。 しかし、相手の顔からどうしようもなく、 もう後戻りできない、決断は決して揺らがない、 と見て取れた。 もともと、大好き同士の2人には ちっとも、なんの問題もなかったはずだ。 仕事という第三の存在から、玉突き事故のようにして 生じた別れ。 はために考えれば、 「いや、あれは本来の自分じゃなかったんだ」とか、 「職場のせいで、なんで俺だけこんな理不尽な目に」とか、 潔人さんは、悔やんだり、恨んだり、執着しても、 しきれないはずだ。 にもかかわらず、 「自分でも驚くほど引きずらなかった。」 と潔人さんは言う。 実際、その言葉、表情が清々しく澄んでいる。 理不尽な別れなのに、なぜ、 彼の引き際は美しいのか? 別れに際して、想いが充分に表現されたからだ。 別れに至った理由をよくよく考えれば、 職場での理不尽を溜め込み、飲み込み、 それで持ちきれないツケを、 無自覚に、最愛の人にシワ寄せする形で払わせてしまった。 別れに至った構造を充分に考え、解析したとき、 最後にどうしても伝えたい想いは、 シンプルなこの二つに濾過された。 「ありがとう」と「ごめんなさい」 そしてその想いを自分でも意外なほど充分に、 彼女に対して言い表すことができたという。 「よく表現された別れはひきずらない。」 「よく思考された失敗は繰り返さない。」 自分自身をふりかえっても、 毎回毎回、一瞬一瞬、 こうしたい、これを話したい、ということを 全力で表現できた人との別れは、 どんな急なものでも、どんなに痛みは強くても、 引きずらない。 その時々で、もう充分、表現されているからだ。 そして、潔人さんの次の一歩は、 職場の人の理不尽に対して、 「それはちがう」と、「いやだ」と、 自分の意志を言葉にして伝える、ということから始まった。 「思考」と「表現」。 ストーカーやDV、 別れに際して、執着どころか 犯罪行為をしてしまう人の存在があとを絶たない。 表現教育の現場でも、数年前から頻繁に 主題として取り上げられるようになった。 また反対に、別れのあとで 自分を強く責めてしまい。 自分自身を傷つけたり、いつまでも哀しみから 立ち直れない人もいる。 こうした人に教えなければならないのは、 モラルとか、強い気持ちとかではなく、 具体的に考え、自分の想いを充分に表す術(すべ)と、 そのトレーニングではないだろうか。 オリンピック選手が、 4年もかけて過酷な準備をし、 それでも、ここ一番で、靴が脱げてしまったり、 あまりに理不尽な敗退をするのを幾度か見て、 もちろん泣いたり悲しんだりするのだが、 どこかさっぱり、あっけらかんとしているのはなぜか? 4年分悔やんでも、引きずっても、おかしくないのに と思っていたけれど。 4年間の、1日1日の練習、1回1回の試合で、 自己ベストをつくし、 表現したいものは思考、体、行動で すべて出しきっているので、 清々しいのだとわかる。 オリンピックと言えば、 フィギュアスケートの金メダリスト エカテリーナ・ゴルデーワは、 オリンピックで勝つのは「メンタル」の強さ だと言い、しきりに「頭」を指さしていたのに驚いた。 「メンタル」と言えば、 「心=左胸」をさすと思っていたからだ。 ゴルデーワはすべて「ココ=頭」だと言い切る。 思考。 「考える」ことで、問題を充分に解析し、 その奥にある自分の想いと深く通じる。 さらに考えることで、想いは言葉になる。 外に表せる。 メンタルが強いとか、強い人間とか、 もともと生まれつきのものという先入観があった。 臆病で、弱く、小さい自分とはかけ離れた人のものかなと。 でも強いメンタルは、 危機に落ちたとき、どう考え、どういう言葉を発するか、 つまり、 「思考と言葉」 そのトレーニングで作っていける! 引き際の美しい人とは、 別れに際し、充分に想いを表現できる人。 その前提として、別れにいたった構造を、 自分の頭で、よく考える人だ。 考えて、表現していこう! |
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2013-01-16-WED
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