おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson621 引き際の美しい人 − 2.読者の引き際 「よく表現された別れは、引きずらない。」 別れるときに、 何か「ひと表現」できた人は、 悲しんでも潔い、 と先週、私は書いた。 実際の読者の別れはどうだったのだろう? まずはこの読者メールから。 <言わせてくれ!> 先週の記事を読んで、 以前、付き合っていた方から 別れを切り出されたときを、思い出しました。 メールで、「俺たち、別れようか」と 非常に簡潔な文章をもらったのです。 彼が別れたがっていることは、 ずいぶん前から気付いていて、 そのときは、きっぱり別れよう、という心づもりを していたにも関わらず、 「うん、そうだね。そうしよう」とだけサラッと言って 別れることはできませんでした。 無性に、 「言わせてくれ!」 と思ったんですね。 「彼のどんなところを、どういう風に好きだったのか」 「今まで、してもらったことの中で嬉しかったこと」 「それをとても感謝してるということ」 「私が思う彼のいいところ」 「私が彼に望んでいたこと」 「もっとこうしておけばよかった、と反省していること」 「これから幸せになって欲しいと思っていること」 こんな感じのことを、簡潔にまとめてメールで送り、 それを最後に別れました。 本当は、会って伝えたかったのですけどね‥‥ 私は、「別れ」にはきちんとケジメをつけたい方なので、 メールでのお別れというのは好きじゃないのですが、 彼はそれを望んでいないようでしたので。 これらは本当は、 付き合っているときに言いたかったこと、 言うべきことだった。 そして、このまま別れてしまったら、 彼は私が彼に対してこのように思っていたことを、 知らないまま別れることになる、それは嫌だ、 それが、 「言わせてくれ!」 に繋がったんでしょうね。 結果。別れはとても悲しく、 最初のうちは涙が止まらなくて、 一か月くらいは気持ちが沈みましたが、 三か月経って、 彼の姿を見かけたんです。 全然、何とも思いませんでした。 別に、何かを話したいとも思いません。 特別、胸がざわつくこともなく 悲しみを思い出すこともなく まだ好きだとか、寄りを戻したいとかいうような気持ちも、 起こりませんでした。 完全に、「ただの知り合い」に出会ったときの 心の動きしかなくて そのことに驚いたくらいでした。 「伝えておきたかったこと」を、 胸に残したままにしておくよりは、 いい別れ方が出来たんじゃないかな? という気はしています。 DV、ストーカー化 別れた後も付き纏っちゃったり、 気持ちを引きずりすぎたり‥‥ 思いを残してしまったときに、起こるものなんでしょうか。 確かにこういう人は、気持ちの表現がとても下手な方です。 気持ちを言葉で表現するのは、とても難しいですね。 テクニックだけでなく、感情のコントロールも 必要でしょうから。 感情に飲み込まれているときって、 言葉をうまく扱えません。 だからこそ、感情をうまく言葉で表現できたとき、 その「感情」からも、自由になることが できるんだと思います。 (扉) <チラシの裏に書いた想い> 最近、失恋しました。 その人とは、ひょんなことから仲良くなって 言葉を交わさなくても、 一緒の風景を見て、同じ音楽を聴いて、 ずーっと一緒に居たいと初めて思った人でした。 でも、恋は成就しませんでした。 きちんと自分の気持ちを「伝えたい」と思ったけれど、 私の想いに気付いた相手の方に、 面と向かって話をすることすら拒まれてしまいました。 雪の中で何時間か待ったけれど会うことすら許されず、 結局、チラシの裏紙で手紙を書きました。 まだ少しつらいですが、 あの時手紙ででも、「伝えられたこと」が 今自分が前に向けている根拠になっています。 (ゆうこ) 人が念を残すのは、 成仏できない想いがあるからなのだな。 逆に、その想いが、言葉なり、行動なり、 カタチになって外へ出せたとき、 人は、哀しんでも、どこか、せいせいする。 「別れ際に、ひと表現。」 できるといいなあ。 あるいは、こんな方向もある。 <想いをカタチにしない甘え> 年明けのコラムに 「あなたに本物の愛をくれた人は、 愛を育む、どんな方程式を持っていますか?」 という問いがありましたが、 私に愛をくれたのは、夫です。 3歳の時に父親を事故で亡くした夫には、 “突然の別れ”というものが刷り込まれているようです。 少し前に観たドラマの台詞で 「今日が最後の日だと思って、精一杯愛そう」 というのがあったのですが それに似た何かが彼のベースにしっかりとあって、 惜しみなく愛を注いでくれている気がします。 人が誰かに冷たくあたったり、 気恥ずかしさから声掛けをためらってしまったり、 誤解を解かないままでいたりするのは、 「明日もまた会える」、「別の機会がある」と、 “時間”と“相手”に甘えている ということなのかもしれません。 (U) <人は変わる、だからこそ!> ずっと前に流れていたCMの、このフレーズが、 自分の中に消えないでいつも残ってます。 20年近く生きて真実といえるのは この言葉だけだったように思います。 「一生はムリね。人は変わるもの」 人間関係にしろ、価値観にしろ、友達との約束にしろ、 ずっとこれが続くだろうと思っても、 時間が経てばどんなものでも変わっていきます。 変化していきます。 自分にはどうにもその事が悲しくて仕方がなかったのです。 おそらくそういう感情が、 自分の意見を表に出さず、 相手の意見を先回りして、 それに合わせて行動し、 現状を維持することを最優先する態度を 生み出していたのだと思います。 付き合い始めた彼女とうまくいかなくて、 どうしたらいいかわからなくて、そのヒントが欲しくて 『おとなの小論文教室。』を読みました。 読んだ後、ふと、 「一生はムリね。人は変わるもの」というフレーズが 頭に浮かびました。そして、急に 「だからこそ、今この瞬間を大事にしないとダメなんだ」 という事に気が付きました。 それはホントにごく自然に気が付いたんです。 一生続くものがないなら、今を大事にするしかない。 当たり前のことなんですが、 自分にとっては価値観の大転換です。 素直に今の自分の気持ちを表現することができるか まだ自信はありません。 むしろ、怖いし、びびっています。 でも、これまでのままでは上手くいかないんです。 事実を素直に認め、受け入れたうえで、 自分の気持ちを表現していきたいと思います。 (あげお) 一回一回、 自分らしい服を着て、 話したいことを話し、 いっしょに行きたいところに行き、 食べさせてあげたい料理を用意し‥‥と、 コツコツ、今自分がその状況でできるベスト を尽くしていれば、 別れ際にあえて言う言葉などなにもないかもしれない。 一瞬一瞬、想いを形にし、伝え、 大切な人とかかわっていこう! 引き際の美しい人には、ときに、 こんなご褒美もあるかも? 最後にこのメールを紹介して今日はおわろう。 <潔く手放したあとに> 引き際の話を読んで、 20年も前のことを思い出しました。 私は、就職して、同僚の男子を好きになりました。 大学の同級生でもあり、 よく知っていたので、 返って、告白するのは、勇気がいりました。 しかし、暑い夏の日、 手紙をだしました。 数日たって相手から手紙が届きました。 それには、 「間違ってもあなたとつきあうことはない。」 と、厳しい内容が書かれていました。 それを読み、大泣きした私でした。 しかし、大泣きしたあと、しばらくすると、 「よし、彼より、いい男を探すぞ」 となぜか、前向きになりました。 同僚ということで 顔を合わせることも最初は、嫌でしたが、 そのうち、いつものように話せるようになりました。 しばらくして、上司が、お見合いの話を持ってきました。 私に見合い話があることは、職場の人たちも なんとなく気づいていたようでした。 お見合い相手と会う日。 どれ、でかけようかと思ったとき、 電話がなりました。 あの同僚の男子からでした。 「ぼくと、今から会いませんか」と誘いの電話でした。 好きだとか一言もありませんでしたが、 即、お見合い相手と会うのはやめて 同僚と会うことにしました。 そして、今、その同僚は、夫になりました。 一度振られた相手でしたが、 今思うに、たまたま、 私の引き際が少し、良かったからかもしれません。 引き際を美しくするのは、 幸せを運んでくれるのかもしれません。 (ブーちゃん) |
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2013-01-23-WED
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