YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson638 書き方をつくる

「書きたいものはどこにある?」

自分とテーマと読者の
つながりの中に、見つけていくしかない、

と私は思う。

ある時、ある書き方で、成功したとしても、
次に「あの時成功したあのやり方で」などとやると
もう自己模倣に陥って文章の生命力はなえる。

書き方を決めない。
一回一回考えて、「書き方をつくる」のが
自分の流儀だ。

今回、生まれて初めて
「音楽」について、正式な出版物に
書かせていただく機会があり、

すごーく考えて書いた。

考えて、考え抜いて、あざとくなって、
それでうまくいかないこともある。

でも今回、出版社も大変歓んでくださり、
自分でもひとつ、「こつん!」と手ごたえがあったので、
私が考えたことをお伝えしようと思う。

決して「こう書け」という指南ではなく、
あなたが、自分の書き方をつくっていくうえで、
叩いて踏んで、手がかりにしてもらえば幸いだ。

仕事の依頼は、
「14歳に向けて、
 自分の好きな音楽を1つあげ、
 経験も含めて魅力を伝える文章を書く。」

でも、私がすぐ感じたことは、

「ただ自分の一番好きな1曲をあげて、
 ただファンとして、のろけて、
 中学生に、ここが好き、あそこが好きと
 絶賛しても、面白くないな」ということだ。

理由は2つ。
「メディア力」と、「のりしろ」だ。

その本は、26人の共著だ。

角田光代、町田康、みうらじゅんといった
作家、音楽に詳しい人、
中学生も漫画を読んでいる浦沢直樹、
お笑いユニット、ピースの又吉直樹
AKB48の松井咲子、
中学生の支持も厚い乙武洋匡…
などなどなど、ここにはとてもあげきれない26人の中で、

山田ズーニーを知らない中学生のほうが多い、
っていうか、
私が読者だったら、

「山田ズーニーって、だれ?」

好きなスターや、リスペクトする作家だったら、
その人がどんな音楽が好きか、興味が湧く。

でも知らない人物が、知らない曲について語っても、
読むモチベーションが読者の中学生には、無い。

「固有名詞」は、「のりしろ」がすっごく狭い。

「音楽」という大きなくくりで話しているうちは、
老若男女、たくさんの人が話題にのれる。

「クラシック」とか、「ロック」とか、
ジャンルで話しているうちも、
まだ、たくさんの人が会話に入ってこられる。

だけど、具体的なミュージシャンの名前なり、
特定の曲名なり、「固有名詞」をだしたとたん、

「好きな人は、好き」
「嫌いな曲は、嫌い」
「知らないものは、知らない」

で、さっと引かれてしまうのだ。

「固有名詞を早々に出せば、間口を狭めすぎてしまう。
 できるだけ最後のほうに持って来よう」

「中学生にとって、知らない大人である私が、
 固有名詞を語るのはやめよう」

「固有名詞を、でなく、
 固有名詞で、書こう」

というところは、自分の中ですぐに決まった。

有名人の中に入って、同じ土俵で仕事をするとき、
自分が一番知られていなかったり、
自分が一番ぺーぺーだったり、
という状況が、私は苦ではない。

「ここからはじまる!」

と創意がふつふつ湧いてくる。
失うものが無い、思いっきり挑める感じが好きだ。

固有名詞を語ることをやめ、
つまり好きなミュージシャンなり、好きな1曲について
言いたいことを言う、という路線をやめて、

中学生に、音楽について、
私が最も伝えたい「何か」を伝える。
その手段として、
好きなミュージシャンなり、好きな曲なりを
引き合いに出す。

ここまでは決まったが、ここから苦戦した。

考えて、考えて、結果、書き始めるまで4日かかった。

「読者が動かない。」

私は、音楽はくわしくないが、
確実に自分の人生を運び、変えたものとして
リスペクトがある。

だから中学生に伝えたいものはある。

じゃあ、その伝えたいものを伝えきろう、
としたものの、もう一つ、おもしろくない。

「私が、ある時、ある音楽と出逢い、
 人生がこう変わりました。
 私を変えた音楽の素晴らしさはこれこれです。
 だから、これを読んでいるあなたも、
 音楽と素晴らしい出逢いをしてほしい」

と書いたとして、

「ズーニーさんは、
 そういう出逢いがあってヨカッタネ、
 自分には、まだ無い」

で読者は終わってしまう。
経験、そのままでは、まだ、その人固有のものだ。

仮に、
「ズーニーさんの出逢いに共感する、
 自分にもそういう音楽との出逢いがある」
とわかってくれる読者がいたとして、

人生ン十年先輩の経験が響くような人は、
14年の人生のなかで切実に音楽に出逢っている。
自分よりずっと音楽との絆は強いかもしれない。
そんな人に、いまさらわざわざ、
音楽と素晴らしい出逢いをしてほしいなどと
伝える必要もない。

結局、私が書いた文章を読む、まずは1人の中学生が、
読む前と、読む後で、なにか1ミリでもいい、
変わらなければ、
中学生が憧れのスターでもない、
音楽のエキスパートでもない、
知らないおばさんの原稿を読む価値はないのだ。

最終的に伝わるものは1つ。

たった1つ、中学生にどうなってほしい?

自分の人生をかけて音楽について中学生に
伝えられることは?

と考えて、
考えて、
考えて、
とてもシンプルだけど、

「ライブに行ってほしい」

と突き上げてきた。
「なーんだ、ただそんなこと」と
自分でもツッコミを入れた。
もっと感動的なとか、もっと芸術的なとか
いろいろあるだろうと。

でも私が中学時代を過ごしたふるさとには、
ライブはこなかったし、
好きなミュージシャンのライブに行くためには、
親の説得や、新幹線代や、すごく大変だった。

たとえ都市部で、すぐライブに行ける環境があっても、
なにか、まっすぐ、好きなものに向かうことに
ためらいのある人も多いと思う。

ライブは、音楽を受け取るだけの場ではなく、
聞き手もシンクロして、自分の中から何かを出している。
自己を表現し、解放する糸口として、
多感な十代のうちに、一度でいいから、
ぜひ、音楽に生で接してほしい。

そうおもったとたん、
頭の中で、

読者が動いた。

ワッと、
タイトルが浮かんだ。

「骨になれ、音に身投げしろ!」

シンプルで、地に足のついた、
たった1つのメッセージではあったものの、

実際に、その原稿を読んだ1人の中学生が、
「ライブに行こう」と思い、具体的な行動に出る、
そのためにどうするか?
私にはハードルの高い難しいことだった。

でも、その後の執筆は、苦しくても、
自分の行きたいゴールにたどり着くための苦しさ、
なんとも意欲が湧き、歓びがあった。

「書きたいものはどこにある?」

自分とテーマと読者の
つながりのなかに見つけていくしかない、
と私は思う。

つながりのつけかたにはいろいろあるし、
いろいろあっていい。

関係性とか、ねらいとか、
もうお構いなしに、直感のもと
自分の中を掘って掘って、無心に掘っていったら
読者と地下水でつながっていた、
ということもあるし、

あざといと言われようがなんだろうが、
関係性を考え抜いて、
おとしどころとか、
自分ならこれを金を払って読みたいか? とか、
金を払うだけの価値をどのように生み出し
提供するか? とか、
とくに「読者」のことを
自分がなくなるくらい、想いに想い、考えに考えて、
テーマと読者と自分が、ドンピシャ! とつながった
ということもあるだろう。

私も一回一回あらたに悩んで
書き方をつくっていくしかないのだが、

ただひとつ言えるのは、

中途半端に読者におもねっただけのもの、
自分に酔っぱらった、だだの吐露では、
自分と読者がつながらない。

読者と自分がつながらないものは、
つまらない。

「読者が動く」

というのが、
「つながり」を見つけたときのサイン。

動くまで考えよう
と私は思う。

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2013-05-29-WED
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