おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson642 傷つけられても自由なポジションでいる ツイッターや、サイトのカキコミなど インターネットで「名指し」で人を悪く言う行為、 これをどう考え、どうふるまえばいいのだろう? ここのところ、 芸能人が、 一般人のカキコミで店を批判され、 「言い返したつもり」が、 かえって、多くの人から「その言い返しは傲慢」と、 批判される結果になったり、 一般人が経営する店で、 嫌な応対をされた芸能人が、 「世間のみんなは分かってくれるはず」と、 店の実名をあげてつぶやいたところ、 「名指しであげつらうのはどうか」と かえって、多くの反発を受けたり、 かなり前には、 ツイッターで、女性芸能人が、 元夫の不倫疑惑について、 相手の女性を名指しした結果、 本人も、相手も、元夫も、 バッシングを受けることになったり。 共通しているのは、 「名指し攻撃」は、だれ一人、得をしない。 したほうも、されたほうも、 一般人も、芸能人も、容赦なく、 自分を損なっている。 私が、まず思ったのは、 「これはイカリだな」ということだ。 このコラムでは、以前、 「小さな怒りにふりまわされて 大きく自分を損なうこと」について、 自戒のもとに、 何週にもわたって考えた。 その「イカリシリーズ」で、 読者がこんな名言を言った。 「怒りはピストルではなく爆弾。」 壊したいものだけ壊すわけにはいかず、 四方八方飛び散って何を壊すかわからない。 関係ないものまで壊す。 そして「自爆」の可能性が高い。 ある時ある場所で、 どんなに正論を言ったとしても、怒りを爆発させた後、 その場所に行けなくなってしまうのは当人だ。 人に向けた怒りは、自分に戻ってきて自分を害する。 たとえそれが、怒るべき相手にモロに向けたものでなく、 第三者に対して、愚痴のように、あてこすりのように、 思わずもらしてしまった怒りだったとしても、 必ず自分に跳ね返ってきて自分を害する。 私も小さな怒りにふりまわされたくさんの失敗をしてきた。 いつも、このコラムは、 自戒で痛い痛いと思いながら書いている。 このところの芸能人のツイッターなどによる いざこざも、「イカリ」に根をなしている。 ツイッターやブログなど、ネットで、 網目のように人とつながる、 だれが見るかわからない、 予想外にたくさんの人が見るところに、 ささやかでも、 「名指し」という爆弾を投下してしまったら、 予想をこえて広範囲に爆域が広がり、 全く予想しなかったものまで壊す可能性がある。 自分もちっちゃい人間、 いつ何時、自分にふりかかってくるかわからない。 ちょっと怖い物言いだけど、 まず自分に言い聞かせておきたい戒めは、 「ネットで名指しで人を悪く言うなら、 墓穴は2つ掘っておきなさい。」 日本には昔から、 「人を呪わば、穴二つ」という諺がある。 相手を攻撃すれば、自分が攻撃され、 相手をつまはじきにしようとすれば、自分がはじかれ、 相手を葬り去ろうとすれば、自分も葬られる。 だから人に害を及ぼすなら、墓の穴は、 あらかじめ相手の分と自分のと 2つ用意しておけという戒めだ。 もしも将来、名指ししたくなったら、 「相手を害そうとする分だけ、 自分も害すが、それでもよいか?」 と自分に問い、冷静になりたい。 わりにあわないのだ。 自分を犠牲にしてそれでも、 ネットで相手を悪く言いたいというなら、 少し考えてみたほうがいい。 嫌いの反対は、好きではない。 愛情の反対は、無関心だからだ。 自分も墓穴に入るとわかってもなお、 それでも嫌いだ嫌いだとつぶやかずにおれない人は、 「なぜ、その人に対して無関心でいられないのか」 自分の胸に問うてみたほうがいい。 「自分は一般人だから、 自分のつぶやきなどだれも見てないだろうから、 相手は強大な芸能人だから、 だから弱い自分が名指ししたってかまわない」 と言う人がいる。 でも、名前検索やリツイート、 芸能人本人や、そのファン、関係者、 予想さえしなかった多数の人が見る可能性があり、 公範囲のものを壊す可能性がある。 顔を合わせて言えば、 表情や、しぐさで、なんてことはないことでも、 ネットの中の活字は、すべてのニュアンスが振り落されて 凶器になりうる。 人はだれでも、 1つの人格できれいに統一された存在ではなく、 強い部分や、弱い部分、 りっぱな部分や、卑怯な部分、 自分の中に矛盾するさまざまなキャラクターを抱えている。 いわば自分の中に、 100人の違うキャラクターの社員を抱えた 「自分株式会社」のようなものだ。 どんなに強い・素敵・立派と思っている芸能人の中にも、 激昂しやすい社員、弱い社員の1人や2人、いる。 ごく一般の人の、ささやかなつぶやきであっても、 いっさいのニュアンスをはぎとった むき出しの凶器のような言葉が、 強大と思える相手の、弱い部分に刺さってしまい、 とんでもない傷つけ方をして、 思わぬ返り血をあびてしまうこともある。 私が、今後のために自分に戒めとして 言い聞かせておきたい、もう一つはこの言葉だ。 「傷つけられても、自由でいなさい。」 私は、敵意を向ける人に 言い返さないし、戦わないでこれまできた。 だから、「逃げるのか」とか、 「言い返せ」と言う人もいる。 正解はないし、 あるとしても、一人一人自分にあった答えを みつけるべきだし、 ぴしっと言い返して、それが決まる人がいていいと思う。 でも、少なくとも私自身について言えば、 自分に敵意を向ける人に対して、 敵対姿勢をとるのは嫌だ。 いったんファイティングポーズをとってしまったら、 そのポジションに固定されてしまい、 なかなか抜けられない。 「静観」のポジションをとっていれば、 笑いとばすも、とりあわないも、友好姿勢も自由。 売られた喧嘩は買わない。 自由な体勢でいたい。 現実は、厳しい。 ツイッター、フェイスブック、ライン、 次々に新しいコミュニケーションツールができてきて、 いろんな人とつながれると思って歓んでいたら、 思わぬ嫌な想いをし、 かつてなかった傷つき方をしてしまうこともある。 私も日々、ささいな、嫌な想いにさらされている。 けれど、その現実から始めるしかない。 と言うか、「ここから始まる」んだ。 戦うのでもなく、逃げるのでもなく、 ましてや弱らず、 自分を変節しようなどと決して思わず。 創意と工夫で、ちょっと面白く、 現実の流れは変えていけるんだ! と私は思う。 |
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2013-06-26-WED
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