YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson643
   傷つけられても自由なポジションでいる
   −2.マイ・ルール&マイ・テーマ


「傷つけられても、自由でいなさい」

どんなに嫌な想いをさせられたとしても、
ツイッターやブログなどで、相手に対し、
いったんファイティング・ポーズをとってしまったら、
「敵対」のポジションに固定されてしまい、
なかなか抜け出すことができなくなる。

私は自由でいたい。

「静観」のポジションを取っていれば、
ユーモアで切り抜けるも、友好姿勢をとるも、
そこから自由。

だから私は、ネットの中で応戦しない、
という前回のコラムに、
読者からいいおたよりをいただいた。


<ネットの中のマイ・ルール>

「傷つけられても、自由でいなさい。」
これ、大変同感です。
私は、ネットで何か書き込むときは
たった一つ、明確なルールを決めています。

それは
「感情が昂ぶっているときは発言しない」
というもの。

これは、ブログでもツイッターでも、
匿名掲示板でも何でも同じです。

理由は、イカリを元に発言すると、
ろくな結果にならないからです。

それでも、世の中いろんな人がいますから
思わぬ方向からグサッときたり、
カッとしてしまうような発言に
当たることもあるのですが

そういうときは、何もせず
気持ちが鎮まるまで待ちます。

一旦PCの回線を切ってネットから離れ(←これ結構重要)
何か別のことをしたり、ゆっくり深呼吸をして
お茶を飲んだりあるいはそのまま寝てしまったり

そんなことをしながら
「私は何故こんなに腹が立っているのか
 (あるいは傷ついているのか)」
を考えます。

どれと同時に
「相手は何を言いたかったのか」
をゆっくり考えます。

大抵そういうときは、
自分の言いたかったことと、相手が思っていることに
何かしら食い違いがあるものなので
それがどこにあるのかを、わかるまでじっくり考えます。

そして、充分に時間をかけて

「私の言いたかったこと」
「相手の意見と自分の意見との食い違い点」
「相手の言いたいこと」

これらのポイントが明確に掴めたら
出来るだけ冷静に、相手の感情に配慮しながら
誤解なく正確に伝わる表現を探します。

これが頭の中で充分にまとまったら
できるだけ丁寧な言葉で
思いやりを持って(←これも結構重要)
謝る所は謝りつつ
しかし主張は明確に伝わるようきっぱりとした文章で
書き込みます。

これで、だいたいトラブルにならずに
解決している気がします。

この辺りが完璧にうまく行くと
誤解が解けたあとで、
その相手と意外に友好的な関係を築けたりして
嬉しい驚きもあったりしますが

つい我慢しきれずに
感情の鎮静化が途中のまま書き込んだりすると
これがまた上手く伝わらずに
今度は他の人が別の誤解をして変な感じに絡んで来たり
よけい泥沼化したりしますね。

イカリは相手のイカリに反応しちゃうので
感情 VS 感情 の対立になっちゃうんですよね
こうなると、当然ですが話し合いでの解決は
不可能ですよね。

「怒りは爆弾」

というのは言い得て妙です。
ネットの怖いところは、イカリが当人と相手だけじゃなくて
全然関係ない人まで反応しちゃって大きく広がるところ、
(炎上とはよく言ったものですよね)

そして、これは「文章」の怖いところですが
書かれてしばらく経ったあとにそれを見た人が
時間差で反応してしまうこともある、ってことでしょうか。

ネットの文章も、後に残りますからね‥‥
(というか、そもそも後に残すことが
 文章の存在意義ですしね)

結論としては
やはり人に見せる文章は、
感情に任せて書かないに限ります。
(扉)


<ネットの悪態は宇宙ゴミ>

インターネット上に書きこまれたものは
操作されない限り、ずっと残ると聞いたことがあります。

何年も何年も。そのことが時々頭をよぎるのです。

先日宇宙ごみが大量にあるということを
テレビで話していました。
それに良く似てる状況だなと思ったりします。

紙に手で書いて、「やっぱりやめた!」と
くしゃくしゃにしてゴミ箱へ、ということが
清々しく思えたりします。いまさらですが‥‥。
(なお)


<自分を客観視し、前に進む>

怒りをもった相手に対し、
静観という態度になるほどと思います。

上司や先輩から仕事のやり方や質で
毎日怒られてます。
仕事ができない場合は納得できますが、
責任を相手に押し付けようという場合は
なかなか納得できません。

理不尽な怒りに対して、我慢しないやり方はどうするのか。
あきらめでも、開き直りでもない自分のあり方。

静観という方法はヒントになります。
最近は、朝仕事に行くまえに坐禅をしてます。
呼吸に意識集中して、身体を鎮める。
仕事のストレスを相手や物に頼らず自分のあり方を変える。
理不尽な事が多い世界で、
相手から怒られない存在になるには難しいけれど、

自分自身のあり方を客観視する。

今は病気にならないように、
毎日少しだけ前に進もうと思ってます。
(T)



「マイ・ルールを持つ」、って
すごくいいな、と思う。

「感情が昂ったときは書き込まない」
「PCから離れる」

「ネットに書き込んだものは永久と心得る」

「自分を客観視する座禅を日課とする」

何かのマニュアルからとってきたものでなくて、
実体験の中から、自分に合ったルールを、
自分で考えて決めて課している点が素晴らしい。

私自身も、かなり前から、
「相手がたとえ10倍、100倍にして受け取っても
 大丈夫な返信しかしない」
というルールを課している。

表情も、身ぶり手ぶりも、いっさいのニュアンスを
そえられない、ネット上の活字は、
かわりに相手が、勝手なニュアンスを
かぶせて読んでしまうからだ。

軽い気持ちで、冗談で、親しみを込めて言った
「キライ」という言葉が、
10倍、100倍の深刻さで、
相手に刺さってしまうことがある。

「ありがとう」という言葉なら、
たとえ相手が好き勝手なニュアンスで受け取っても、
10倍、100倍に受け取られてしまっても、
相手を害することはない。

ツイッターなどで、嫌な想いをし、
よっぽど言い返したい、と思うシーンでも、
私は、自分が決めたこのルールによって、
言い返さないで、ここまできた。

ふりかえれば、
自分で決めたルールが、自分を守ってくれていた。

「ネットで発言するなら、マイ・ルールを持ちなさい」

人に決められるのでなく、
自分で決めることが大切だ。

それがその人の、文章を書く美学であり、
その人なりの美意識の表現になるからだ。

そして、もうひとつ、

「ネットで発言するなら、小さくても志を持ちなさい」

先週、ツイッターで嫌な想いをし、
グルグル、ザワザワと心をかき乱して
故郷に向かう飛行機に乗った。

父が脳梗塞で入院し、
まひした手で、
病院食についてきたオレンジ3切を、
ゆっくり、ゆっくり、食べる姿を見ていたら、

ツイッターの中で感じた不快など
どこかへ吹き飛んでしまった。

家族の大切さに比べたら、
ツイッターでグルグル、ザワザワしていた自分が
あまりに小っちゃく見えた。

いま自分が、心を削られ、消耗すべきではない部分に、
傷つき、消耗していたのだと気づき、
改めて思った、

「これは、小さくても志がいるな。」

ツイッターにしても、
ネット上で発言するにしても、
志がなければ、いたずらにふりまわされ、
目先の言葉に一喜一憂するだけだ。

いま目の前にある現実より、ちょっと先にある、
「こうなっていったら面白い」を描いてみる。

私の場合、
「自分の頭で考える」人が1人でも2人でも増え、
もっと「想いを表現できる」ようになったら、
世の中は、ちょっとおもしろいぞ、と思うから、

傷ついたり迷ったりするときは、
ちょっと目を遠くにやって、そこを見て、
自分らしい次の一歩を踏み出していこう。

志は、「マイ・テーマ」と言いかえてもいい。

最後に、読者のマイ・テーマを紹介して
きょうは終わりたい。

自分の「ルール」と「テーマ」、
ネットのなかで自由でいるために必要だと
私は思う。


<マイ・テーマ>

先週のコラム、とても心に染み入りました。
ここ何年かで
今まで全然知らない人と、
ネット上で知り合ったりすることが多くなりました。

ネット上では、立場を乗り越えて
直の感情みたいなものでつながったりするので
いろんなことが取っ払われて、急速に親しくなりますが

そこから実際に出会い、友人になるということは
はしょってはいけない事柄が沢山ある。

そういうことをここ半年位で
痛いほど経験しています。

「閉じないけれども、自由であること」

その在り方を自分なりにネット上で、
引いては実際に人と会うときも
考えて行くことが私の今のテーマです
(emiko)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2013-07-03-WED
YAMADA
戻る