おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson646 「誰かのせいで何かができない」と言わない自立 ー3.誰にも頼らず一人でできる、が自立? 東京の一人暮らしが、 18年にもなる私は、もはや、 お一人さまでレストランにもはいれるし、 ひっこしもできる。 フリーランス × 一人暮らし。 もともと甘えん坊で、 家族と離れ東京に出てきたときの 心細さといったら子供のようで、 だからこそ、 「一人で映画に行けた」、 「一人でパソコンを買ってこれた」など、 「誰にも頼らず一人でできる」 が増えていく自分を、素直に喜べた。 だが、その気になれば、 だいたいのことは一人でできてしまう自分 になってしまったころから、 この方向性、どうもちがうんじゃないか? と思い始めた。 誰にも頼らず一人でできる、が自立? 読者の36歳男性は言う。 <自立は多くの人に依存すること> 最近読んだ安冨歩さんの「生きる技法」という本に 「自立とは多くの人に依存することである」という (私にとっては衝撃の)命題がありました。 依存する相手を減らしていくと、 最終的に自立するのではなく 非常に少数の「見捨てられたら困る人」に 従属することになってしまう と著者は言っているのですが、 よーく考えたら、その通りでした。 人は親、国、性別、遺伝子、 初めて身につける言語など 選ぶことができないものを抱えて人生をスタートします。 しかし社会が近代化すると、 受ける教育や、職業、所属するコミュニティ 友人、結婚相手といったものが 選択の対象となるので 近代社会を生きる人は、 自分の力で人生を切り開く感覚を得ることができます。 好きな相手と結婚して家庭を築いたり 外国語を学んで海外に引っ越す事もできます。 職業も選べるし、リスクは伴いますが転職もできます。 親が嫌いなら、親に頼らなくてよい豊かな友人関係を築いて 親と疎遠になることもできます。 ズーニーさんのおっしゃる自立とは 選択できるものに目を向けていくことを言っています。 いつまでも 「選択できなかったもの」に目を向けている人は 親以外への、多くの人への依存関係を獲得する努力を 怠っているのではないでしょうか。 その結果、実は いつまでも親に従属しているのではないでしょうか。 自分が選んだわけではないものに依存した状態から抜け出し 自分がこれだと思うものへの依存を獲得しながら その依存のネットワークを築いていくこと。 これが自立だと私は思います。 またこうした自立を志向することが 生きる上でとても根本的で、 大事なことだと私は思っています。 (36歳男性) 先日のワークショップに、 こどものころ、 お父さまが自ら命を絶ち、 しばらくしてお母さまも亡くなり、 はやくに両親を亡くされた女性(Cさん)が 参加されていた。 Cさんは、 「なんとか一人で生きていかなきゃ」、と ひたすら仕事をがんばった。 仕事というものは本来厳しい。 がんばったからラクになるわけでもなく、 がんばれば、がんばるほどに、 新たな苦しみが生じ、 プレッシャーもきつくなる。 けれどもCさんは、 「一人で生きていくしかないんだから、 自立しなきゃ、自立しなきゃ‥‥」 と仕事をがんばって、 がんばって、がんばって‥‥ とうとう、30代なかばで、 何のために働いているか、 こんなに仕事をしてどうしたいのか、 まったくわからなくなってしまったという。 そんなころ、周りのすすめで、 ある男性を紹介された。 周りの人は、 Cさんのことをバリバリ仕事ができる 自立した強い女性とみていたのだろう、 それゆえ、地味でおとなしい感じの男性は、 Cさんのタイプではないかもしれないと 心配した。 だが、Cさんは、そこに誠実さを感じ、 三十代後半、自分でも全く思いもかけずに 結婚した。 結婚して、 ご家族の看病などもあって、 思いもよらず、 おだやかな時間の流れを経験して、 ふしぎなことに、 子供のころの自分のことが、 思い出されるようになったという。 自立しなきゃ、自立しなきゃ、と、 働きづめの人生では、 思い出されなかった子供のことが、 結婚して、人に添うてみて ひとつ、また、ひとつ、と蘇ってくる。 そして、ワークショップの日、 Cさんは、生まれて初めて、 この言葉を口にした。 「さみしかった」 子供のころを思い出して、 あの時も、あの時も、 やっぱりさみしかったと。 自分で生きるしかないと 働きづめの日々で、決して言わなかったし 思いもしなかったけど、 結婚や夫の存在があって、 今、初めて「さみしかった」と言えた、と。 「ともに生きる」 自立の新たなステージに、 Cさんは踏み出したように感じた。 必死で仕事をがんばって一人で生きてきたCさんも すばらしいが、 「さみしい」と素直に口にしたCさんが、 ひとまわり大きく見えた。 人とともに支え合って生きるのが自立。 人として、自分で立つことができなくて、 他人の人生におんぶにだっこじゃ、 もちろん自立とは呼べない。 私たちはみんな、そんな赤ん坊として この世に生まれる。 そこから、大人になるにつれ、 一人暮らしなどして、 親に頼らず、 できるだけ人の手を借りず、 一人立ちできるように目指す。 そして、一人立ちできるようになったら、 今度は、別の一人立ちしている人と、 支えられたり、支えたり、 頼られたり、頼ったりしながら、 家族をつくったり、 仕事のチームを築いたり、 楽しみを共有できる仲間のネットワークを 広げたり、温めたりもする。 一人で生きられないからではなく、 一人で生きるより、もっと面白く、もっと自由に この世を動き回るために。 Cさんも、 誰にも頼らず一人でいきてきたからこそ、 人間的な弱さをも見せ、預けられる人に 出逢えたのだろうなあ。 読者のおたよりを3通紹介して 今日は終わりたい。 来週もさらに自立を考える。 <自分で生きるのではなく> いい年して親のせいにしている場合じゃないだろう と気付いた時、 「自分を生きる」に軸足を変えたんだ ということに気づきました。 それは、大きな発見でもあります。 自立とは、「自分を生きる」ことなんだ。 私、今まで「自分で生きる」だと思っていました。 「自分を生きる」と「自分で生きる」は 大違いだと気付きました。 私は「自分で」生きなくちゃと、 旦那に食わせてもらって、 住まわせてもらっていることに ひけ目を感じて、 なんとか稼げる仕事をしなくちゃ、 稼ぎもないくせに偉そうなことは言えない、 それは、自分で生きてることにならない、 そう思って自分で自分を 追い詰めていたような気がする。 でも、ようやく気が付いた。 私は、母親の存在ってすごく大事だって思ってる。 人を育てるっていうのは、 その人がその人を生きることができるようにする、 とっても尊くて大変な仕事なんだ。 人としてその人らしく、その人を生きること、 私は2人の娘たちの姿を見て、 この子たちは小さいながらも自分を生きている、 そう感じられることがたくさんある。 (潔子) <他者と共存する> 結局は、自分だけでどうってのはできないのです。 では、どうするのか、 他人と共存する他ありません。 (さあこ) <働いて、結婚して、子を産んで> わたしも親子関係に悩んできました。 どんな風に解決するのか全く先が見えなかったのに、 ある時突然、自然に話ができるようになりました。 それは全く想像していなかったことで、 まさかこんな風に氷が溶けるみたいに、 凍えて身を縮めていたのにふと気付いたら 春風が吹いていたみたいに、 拍子抜けするように変わるなんて。 わだかまりを見つめるのをやめて、 仕事をし結婚し出産して、 そうしているうちに消えてなくなっていたんです。 過去がなくなったわけではありませんし、 まだ話せないこともあります。 でも、いつか話す時がくるかもしれませんし、 そのままかもしれません。 (サラセン) |
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2013-07-24-WED
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