おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson649 「誰かのせいで何かができない」と言わない自立 ー6.読者の3通のメール 「自立」について、 きょうは3人のおたよりをもとに考えていきたい。 まずこの2通から。 <自立を誤解した果てに> 「自立と依存」を考えるようになったきっかけは、 数か月間、在宅医療・介護の現場を 見学したことでした。 ヘルパーさんの仕事を見学していると、 非常に大変な家がよくあるんです。 家は散らかっていて おむつの交換を拒否するので常に悪臭が漂っていて 家の中で犬や猫を飼っていて糞だらけで 布団は湿っていて 家族や親戚との人間関係は残っていなくて 誰も世話をしてくれない。 という人達です。 こういう高齢者のほとんどは男性で 「俺は人の世話になんかならねぇ」と 思っている人たちなのです。 こういう高齢者に在宅サービスを提供するのは、 とても気を使います。 なぜなら非常にこだわりが強いのです。 ヘルパーさんのペースで、できないのです。 料理も掃除も洗濯も、 ヘルパーさんがお伺いを立てながら しなければならないのです。 他の利用者の何倍も大変なのです。 なぜこうなったのか 様々な個別の事情があるのでしょうけれども 概して、 「それは依存が下手だからだ」 と私は思っています。 もう少し依存が上手なら、 家族や親戚や友人といった人間関係が残っていて もう少し身の回りの世話をしてくれる人がいるでしょう。 ここまでヘルパーさんだけに 重荷が降りかかることはないだろうと思います。 この人達はどこかで根本的に誤解をしている と私は思いました。 その誤解とは 「自立とは誰にも頼らないことだ。」 「人に頼ることは恥だ。」 ということだと私は思います。 人に頼るまいとすることで、 逆に自立から遠のいているのです。 それゆえにヘルパーさんの負担がものすごいのです。 そうした高齢者をみて私は 「依存できる人が自立するのだ」 との結論に達しました。 (36歳男性) <他人の未来をも決めてしまう力> 「自立」シリーズ、 れんさんの文章がとりあげられ、 反響が広がって行くのを、 出張先のアフリカ・タンザニアで読みました。 日本に帰国して ずっと引っかかっていたことがあります。 「自分の努力とか、知恵とか、創造とかと、 まったく関係ないところで、 自分以外の人間が、勝手に 自分の未来を決めてしまうこと。」 それがれんさんが唯一恐れたことだった というくだりを読んで、 僕は正直言って「怖く」なりました。 それは、会社という一組織の管理職として 自分が持つ「力」に対する恐怖でした。 小さくても組織の長になっている、と言うことは、 一緒に働いている部下の評価をすることを 避けて通れません。 それは、ほんの一部かも知れませんが、 その人の未来を他人である僕が決めてしまう、 という事につながるのではないか? そう感じて、すごく怖くなったのです。 れんさんの文章の根底に流れる確かな「希望」。 あそこまで酷い環境にありながら、 本能的に自分の宝石に気付き、守り通した、 そこに無限大の可能性を感じます。 ・自分の中にも、宝石があること ・いま、見つからなくても、見つかると信じて欲しいこと ・見つけたら、守り抜いて、磨き続けて欲しいこと この3つを願いながら、 一方で、自分が 相手の未来を一部分でも決めてしまう力を 持っていることを強く意識する。 僕にとって、「自立」シリーズは、 自分自身に対する「自律」を考えるシリーズ だと思います。 (ひげおやじ) れんさんの文章を読んで、 私も、ひげおやじさんと同じところに 怖さを感じた。 「人事権。」 ただし私は、逆の立場で、 上の人に自分の未来を決められてしまう恐怖だ。 私はとても仕事がハードな企業に、 編集者として16年ちかく勤めた。 その間、 寝る時間がなくても、 部数が下がっても、 恐い先生に呼びつけられて叱られても、 自分の能力の限界を思い知らされても、 怖くなかった。 なんとかそこから立ち上がり、進んだ。 そんな私が、会社人生の中で もっとも怖かった一言が、 在職15年目にして初めて 人事異動の内示がきて、 新部署にあいさつにいったとき、 新部長が言った一言、 「山田さん、あなた、何年目?」 と言う言葉だ。 部長は私より年下、30代半ばだった。 人事から渡された私の経歴に 目を通していないことは一目瞭然だった。 しかも、人事が通達したポストを変更して、 新人がつく編集ポストに私をつかせたいのだという。 あの瞬間の、脱力、といったらない。 自分の仕事人生史上、いちばんツラかった瞬間だ。 当時、会社では、 部長の「マトリョーシカ現象」が進んでいた。 部長が、後任を選ぶときに、 自分より年下の、 自分のやり方を忠実に引きついでくれる人を選ぶ。 部長が40代なら、より年下へ、次は30代へ、 さらに次は年下へ‥‥、 その年は、史上最年少、33歳だったか34歳だったかの 部長が誕生した年だった。 この部長の名誉のために言っておくが、 もちろん私は、その後、自分の経歴や実績を伝え、 部長もそれを理解して、 最終的には、私が条件を飲めば、 当初、人事が予定したポストにつかせると言った。 だけど、私の心は決まっていた。 「自分の仕事の、この先の未来を、 自分以外の誰かに決めてもらう限界がきた。」 自分なりに限界突破して「読者」という存在をつかみ、 編集者として自立していた。 自分の能力が足りないとか、 自分のつくるものが面白くないとか、 そういうことで、嫌なポストにいかされるんなら 全然かまわない。 だけど、自分の努力や、能力や、創意や工夫と まったくカンケイないところで、 いや、この先、 そうした背景をまったく知らない、だれかの一存で、 自分の未来を決められてしまっては、たまらない。 自分以外に、編集者である自分の仕事の未来を 決められる人間がいるとすれば、 少なくともそれは、私にとって、 「読者」だけだ。 そして私は会社をやめ、 フリーランスになってから13年間、 ただただ、一人立ちすることを願い どうにかこうにか自立してきた。 会社にいたころ、 どれだけ自分が他の課や、他のメンバーに 依存してきたか、気づいたのは、 辞めてからだった。 組織が大きいあまり、 自分が何にどう依存しているのかも、 そもそも依存していることすら 気づきもしなかった。 たった一人で歩けるようになった私の新たな課題は、 読者の「36歳男性」さんの言うように、 良い意味で、仕事を任せたり、頼ったり、 支え合える関係を築くことだ。 自分の未来をあずけ、 育て、導いてもらった会社を出て、 ひとりで立って、歩いて、 さらに未来に、 自分の意志のもとに、 やりたい仕事を、任せたり預けたりできるチームを持つ、 いま私は、その途上にいる。 最後にこのおたよりを紹介して今日は終わろう。 <夢で逢った母の一言> 社会人3年目の男性です。 「自立」「依存」というテーマで、 とても不思議な体験をしました。 私は小学生の時に母親を病気で亡くしました。 末期の癌でした。 死の直後は 末っ子でわがままに育った私は 幼いながらに、 「自分がわがままで苦労かけたから、 母は病気を悪化させたんだ」 と自分を責める時期もありました。 中学生の時は 「自分は生かされている。 それを命がけで母親は教えてくれたんだ。」 と考え、毎日を必死に、楽しく生きていました。 それが、一番の恩返しだと思っていました。 高校生なってからは 小中の友達とも別れて、 高校の新しい友人とは仲良くするけれど、 「きっとどこか自分とは違う人」 と勝手に一線を引いていました。 今思うと この頃の私は、 どこか窮屈で苦しかったと思います。 おそらく 「母親を早く亡くした自分」という幻想に 振り回されていました。 幼心で感じていた 「母の分まで、生きる」という想い。 いつの間にかそれが義務になり、 一方でそれがなくなることを恐れていました。 それが晴れたのは、大学に入ってからです。 信じていただけないかもしれませんが、 そのきっかけは「夢」でした。 夢の中では、 実は母親が生きていて、 当時私が住んでいた団地のそばにいる、と。 猛ダッシュで走って会いに行く自分。 絞り出した言葉は、 一言。 「産んでくれて、ありがとうございました」 私は、 深々と、礼をしていました。 それに間髪いれずに 母の言った一言は、 「これからも頑張ってください。」 目を覚ました私は、 何がなんだか分からず、 深夜に一人、泣き続けました。 それからです。 少し肩の荷が降りたというか、 変に力まずに毎日を過ごせるようになったのは。 あの不思議な夢は、 2つの意味があったように思えます。 1つは、ずっと伝えたかった言葉を伝えられたこと。 もう1つは、 別れの言葉を聞けたこと。 しかも、母親にしては距離のある「敬語」で。 きっと私は、 ずっと亡くなった母親に依存して生きていたんだ と思います。 母親の分まで頑張るんだ、 良い姿を見せられるようにするんだ、と。 そうじゃなくて、 あの夢から、やっと 「自分のために」生き始めた気がするのです。 自分が生きる理由を誰かのためじゃなく、 素直に「自分のために」シフトすることができた。 自分の足で立って、歩く。 文字にするとこんなに簡単なことを、 ずっと私はできてなかったんだと思います。 自立って何のためにするんでしょうか。 自立って何なんでしょうか。 私は、誰のためでもなく、誰のせいでもなく、 自分のために一歩ずつ進むことなのかな、 と今思います。 (社会人3年目男性) |
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2013-08-21-WED
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