おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson659 自分に告白しなさい 自分を表現できない、 それゆえ友だちができない。 そこを、どうブレイク・スルーしたらいいのだろう? アジアから来た留学生Mさんの、 この言葉に、 目が覚める想いだった。 「自分に告白しなさい!」 Mさんは、以前は、 人前で話しもできない、 自分から友だちをつくることができない女の子だった。 何人かでルームシェアをすることになったときも、 Mさんは、 自分からは話しかけない、 どう自分を出せばいいかもわからない、 だから、みんなの話を、 ただ黙って聞いてるだけの日々だった。 そんなMさんに、 「あなた、なんで何も話さないの?! もっと自分のこと、どんどん話さなきゃだめよ!」 と忠言したのは、 ルームメイトの中でもっとも社交的な女性だった。 彼女は、内気なMさんを何とか引き出そうと、 話しかけたり、 いろんな場に連れ出してくれたり、 人に会わせてくれたりした。 それでもMさんは、 ただ彼女に働きかけられるまま、 人前に出ても、彼女の影にかくれたまま、 自分をどう出していいのかわからないまま、 だった。 そんなMさんを、 社交的な女性は、意外な言葉で叱った。 彼女はMさんに、 「人に対して話をしろ」とは言わなかった。 真逆を言った。 「自分に告白しなさい! 他人には告(コク)れなくてもいい。 でも、自分で自分にコクらなきゃだめ!! “きょう、私は悪いことしました。” “私は本当はこうしたいんです。” そんなふうに、あなた、 自分で、自分に、告白しなさい!!!」 これは、ものすごい衝撃をもって Mさんに響いた。 いまやMさんは、 「私はどこへいっても、 だれのまえにいっても大丈夫! 自分から話しかけられるし、 いくらでも人と話せる!」 と自信を持って言う。 東日本大震災のときも、 Mさんは、 「外国人である自分になにができるのか」 不安を抱えながらも。 なにか役に立ちたくて いてもたってもおられず被災地に行った。 結果は、地元の人たちが、次々に Mさんの手を握って、涙をぽろぽろ流して 口々に「ありがとう」と。 Mさんの、だれにたいしても物おじせずに、 心ひらいて話しかけるチカラ、よく相手の話に、 心を傾けて聞くチカラが、通用したのだ! 大学の集中講義でも、 Mさんが、最初から、こころ全開! で、 おしみなく自分を表現するので、 他の学生たちもパワーをもらって 勇気を出して自分を表現し、いい連鎖が沸き起こった。 「リアクションがうすい人」 というのは、 あちこちにいて、 あそびにいこう! とだれかが声をあげても、 行くとも、行かないとも言わない。 せめて目でもキラッとさせてくれたらいいのだが、 表情も態度もまったく変えない。 まわりは、「嫌なのか」「具合が悪いのか」と 気をまわし、気をつかい、やがて疲れ、 遊びに行きたいという自分たちのパワーまで、 なぜか吸い取られるように、しぼんでしまう。 でも、よくよく聞いてみると、 「自分も遊びに行きたい」という。 こういう人に、 「はっきろしろ! 元気を出せ!」 というのはカンタン。 でも、 「リアクションしないのか? リアクションできないのか?」 先日、ふるさとに帰って仕事をしていたときに、 飛行機の時間が迫っていたので、 イラッとして、家族にキツイ態度をとってしまった。 日常生活のなかで、心を許した人に、 悪いことをして、悪かったとあやまる。 こんなカンタンなことが意外にできないものだ。 すると留学生のMさんの、 エネルギッシュな声と言葉が蘇った。 「自分で、自分にコクりなさい!」 はい。 私は今、飛行機の時間が迫って、焦って、 家族にあたってしまいました、 私は、わるいことをしました。 と私は、私自身に、心の中で告白をした。 すると、どうだろう、 家族に対して、すんなり、 「ごめんなさい。」 という言葉が出た。 自分でも意外なほどに、口をついて。 「まず自分と通じる!」 そこが出発点だと私は思う。 リアクションできないのは、決めないから。 決められないのは、自分がどうしたいかわからないから。 どうしたいかわからないのは、 自分と自分の話し合いができていないからだ。 自分にコクれるようになれば、 自分がどうしたいかわかる。 わかれば、決められる、リアクションできる。 そのリアクションに納得感があるから自信が出る。 自然と元気も出る。 「人に告白できなくてもいい! 自分で自分に告白しなきゃだめ!!!」 なんとなく元気のでないときには、 Mさんの言葉が蘇ってくる。 そうして私は、 勇気を出して自分にコクり、 自然とパワーをとり戻しているのだ。 最後に、「自分と通じ、前に進む」 読者のおたよりを2通 紹介して今日は終わりたい。 <覆いを取り除くことの大切さ> 先週のコラム、 勇気づけられ、希望をつなぎ、 読み終わったあとにジーンと伝わる熱いものを 自分の内に感じています。 僕もここ数カ月ほど、長い迷路に入ったようで、 なんとか、その壁を乗り越えたいと 模索しているところです。 でも、それはもっとも単純で身近な「表現」によって、 実に簡単に解決することなのかも、と 先週のコラムで思いました。 僕の場合、性格上か、道徳的にか、 人にあまり愚痴ったりしません。 ついつい「いいカッコ」してしまうのです。 あの人は、そういう人、と見られたいんでしょうね。 (仕事をいろいろ頼まれても 断れずに、引き受けて頑張ってしまいますから) しかし、それも溜まり溜まってくると、澱んでくるもので、 いつしか本心が隠れ、 何か暗い闇の中にいるような気持ちになる。 それが今の自分の状態かもしれません。 心の底は深く、どんな自分がいるか、何を思っているか、 底の底は なかなか見えないからこそ、 「表現」によって汲み上げていくのですが、 しかし、表層って大事ですね。 ウワズミがあっては、光が差し込んでいかない、 どうしても表層を覆っているものは取り除いてやらないと、 イヤなものはイヤだ、キライはキライ、 と、それは本心ではないかもしれないが、 でも、そういう感情が湧いたら、 それは素直に出してやらないと、 やっぱり前に進めない。 初歩的な「表現」の原点を思いました。 (イワタ) <1ミリに気づく力> ズーニーさんがコラムでよく使う、 「1ミリでも2ミリでも前へ」という言葉が とても好きです。 1ミリって単位は、ギリギリ肉眼で見えて、 ちゃんと定規で計れます。 とても小さい変化なのだけど、 定規で測ればちゃんとその違いが分かる。 大げさかも知れませんが、 僕はこの「1ミリ」の変化に気づく力こそ、 人が希望を見つけるために持つ力なのだと思います。 僕にとっての自己表現とは、「書き残すこと」です。 誰かに向けて表現したい、という想いはあまりなく、 未来の自分に向けて、今の自分を残しておく感覚。 とにかく、自分が良いな、と感じたことや、 重要だと感じたこと、 そこから自分で考えたこと、など、 とにかくメモするようにしています。 こうして書き溜めていたメモやノートを、 ふとしたときにめくってみると、今の自分の感じ方、 理解の深みとの違いが「見える」瞬間があります。 一方で、今の自分と全く変わらない自分と出会うことも あります。 前者では自分の変化を、後者では自分の軸を、 それぞれ確認できます。 自己表現とは、今の自分が感じていること、考えたことを 言葉にして書き留めておくことから始まる。 そこに書かれた言葉は、未来の自分が必ず受け取り、 そこには必ず1ミリの変化が見える。 この1ミリが、これからも自分が ちゃんと変化して行けることを僕に確信させてくれる。 この1ミリを見つける力が、僕の希望の源になっている。 1ミリの気づきをずっと重ねて来た結果、 いま確信をもってそう言えます。 (ひげおやじ) |
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2013-11-06-WED
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