おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson660 自分の聡明さを どう表現していいかわからないあなたへ この夏、 ある高校から依頼を受け、 小論文のワークショップに おうかがいすることになったとき、 「直感」が来た。 経験からくる直感としか言いようがない。 私は、高校生にはとうてい難しい 難度3のワークショップを どうしてもやりたいという強い想いにかられた。 ワークショップにはレベル6まである。 レベル1は、「自分の想いを表現する」。 自分の想いを、 自分の納得感ある言葉で 表現する(話す、あるいは書く)。 テーマは、最も身近な「自分」であるから ネタには事欠かない。 ゴールは、自分の納得感だ。 これなら高校生もたのしく取り組めるので、 初めて行く高校では、 必ずこのレベル1からやる。 レベル2は、「相手に伝わるように書く」。 母親や友人、かつての恩師など、 現実の相手を1人決め、 相手に伝わるように、文章を書く。 自分ではない相手を理解する能力や、 「自分」と「相手」の関係を発見する能力が問われ、 ぐっと難しくなる。 だから、初めていく高校で いきなりこれをやることはない。 レベル1できちんと自己表現できてこそ進めるワークだ。 レベル3は、「外・他者・社会に通じるように書く」。 「実感」と「社会的説得力」を 兼ね備えた表現力が問われる。 考え方の異なる不特定多数人々に通じる文章を書くには、 共通の基盤である現代社会背景への認識が 適確であることが問われる。 とはいっても、知識だけでは、 自分の実感と離れた。 そらぞらしいきれいごとになってしまう。 「テーマ」と「自分」、その背景である「社会」の 3つの要素を関係づけなければならない。 異なる複数の要素の関係づけ、 という最も難度が高い表現をする、 そのためには、問いに対して、 「なぜ」「なぜ」‥‥とより深く掘り下げていく 考察力が求められる。 私はこのレベル3を、 初めて行く高校でやろうとした。 しかも、高校生にとって まだぜんぜんリアルではない 「仕事」をテーマに。 初めて行く高校で、 「こんにちは山田ズーニーです」、「表現とは?」 からはじまって、 「自己」と「仕事」と「社会」について 高校生が、それぞれ理解し、3つの関係発見をし、 3つを関係づけて、実感と説得力を持って表現する、 ところまでを、3時間半でやる。 いくらなんでもむずかしすぎる‥‥。 私もそうおもったし、 実際、担当の先生も、 「うちはバリバリの進学校というわけではないし ついていけないかも‥‥」 と、たいへん難色をしめしておられた。 にもかかわらず、 私がどうしてもやろうと思ったのは、 対象が、260名の高校2年生だったからだ。 私が、企業の編集者をしていた16年の間に、 最も濃くかかわったのが高校2年生だ。 読者の高2生のことは、だれよりも理解に努めてきた。 16年×365日、毎日毎日 高2生のことを想いに想い、考えに考えた日々は、 だてではない! やる以上、絶対に失敗は許されない。 下手をすると、 リクツをこねくりまわしただけの、 表現する方も、聞く方も苦痛な表現になってしまう。 万一そうなると、高2生は、以降、 表現することや、社会に関心をもつことや、 仕事に対する興味を、とざしてしまうことにも なりかねない。 やるからには、ベストなアウトプットへ導かねば! 最近ではいちばん緊張するワークショップだった。 ギリギリまで資料や説明を工夫改良した。 はたして結果は? 高2生が見事な表現をした。 やれると信じてやったけど、 あそこまでやれるとは思ってもみなかった。 私や、先生たちの予想を裏切って、 素晴らしい表現をした。 「社会」や「仕事」という 大人や大学生でも手こずる題材を扱っているというのに、 自分の実感と離れた口先だけことを言う生徒など 1人もいなかった。 みな、いままで生きてきた17年間の「自分」の人生と、 まだやったこともない「仕事」と「社会」を、 実感をもってイキイキとつなげていた。 仕事が他者貢献・社会貢献であることも、 高校生たちは、みごとに解釈し消化して 自分なりの仕事観を打ち出してきた。 しかも、将来やりたい仕事が 警察官なら警察官で、3人いたとして、 3人が3様の仕事の解釈をしている。 オリジナリティがあるのだ。 高校生が1人表現するたびに、 その高校生が、将来その仕事をやったときに、 歓ぶお客さんが見え、その業界が活性化するのが見え、 地域が栄える様子が浮かび、 人々や社会が良くなっていくビジョンが見えた。 そこに純粋で根のある「想い」がこもっていて 胸を打つ。 まさに実感と社会的説得力を兼ね備えた表現。 複数の先生が、日ごろ見ている生徒たちの、 意外で素晴らしい表現に、驚き、涙を流しておられた。 すべての表現を聞き終わったときに、 私の中に残った高校生たちの印象は、 「聡明」。 さらに印象的だったのが、 高校生たちが、「たのしい! たのしい!」と 顔を輝かせて、難度の高い考察と表現をやったことだ。 つい先日も、別の高校で、 高2生280名にこのレベル3のワークをやった。 その高校では、去年1年生のとき、 レベル1をやったのだが、 同じ高校生たちが、今年は、 自己・社会・仕事の3つの要素を関係づけるレベル3を、 レベル1のときより、あきらかに楽しんでやったことに 驚いた。 もしかすると、日ごろ取り組んでいる課題は、 高校生たちにとっては、もの足りない?! 「自分の聡明さをどうだしていいかわからない。」 そんな高校生が多いのだと私は感じた。 高校生たちが、 現代文の教科書で読み解いている評論文は、 そうとうに難度が高く、抽象度が高い。 あんな文章を高校生たちは毎日毎日、読解している。 その理解の集積だけでも、そうとう賢い。 そして、とくに震災後の東日本では、 社会と自分のつながりや、 他者貢献としての仕事の意味を、 多感な高校生として、 感じたり考えたりしないわけがない。 高校生たちは、皆、 何かしら、社会についても、仕事についても 想っている。 ただ、出し方がわからないだけで。 このレベル3は、表現の内容はまったく高校生が 自由に考えていくしかないのだが、 「出し方」、つまり、「文章構成」だけは、 こちらで決めてしまっていた。 型にはめられるのを高校生はいやがるかとおもいきや、 その逆で、 プロの「出す構成」を借りて、 自分なりの想いが外にどんどん言い表せ、出せることを 「たのしい!」「たのしい!」と歓んでいた。 それだけ高2生の中身がある、 出すだけのものがある、ということだ。 このところ、高校にしても、大学生についても、 社会人に向けてワークショップをしても、 表現の最前線で感じるのは、人々の 「聡明さ」だ。 でも、この聡明さをどう表現していいかわからない そのために、本人も、まわりも、 気がついていないことも多いのではと思う。 聡明さは、 インプットよりは、アウトプット、 つまり、暗記学力ではなくて (それもとっても大事だけれど)、 表現することで、前に出てくると私は思う。 単純な課題よりは、 複数の異なる要素を関係づけたり、 関係づけて自分の考えをアウトプットするときに、 より発揮されると思う。 自己完結よりは、人に向けて、 少数よりは、より多くの人に向けて発表するといい。 また、ときには、とうてい歯が立たないような、 複雑で、難度の高い課題に挑戦するときに発揮される。 聡明さにまだ気づいていない人へ、 自分にたかをくくらないで、 挑戦し続けてほしいと私は思う。 |
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2013-11-13-WED
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