YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson664
   意志が産まれるとき−2読者の意志


人が、やりたいことに気づき、
話す、あるいは書くなどして、
初めて人前で自分の意志を表現するとき、つまり

「意志が産まれるとき」

心から喜ばしいのに、
一抹の「切なさ」を感じ取るのは、
それまでの世界となにがしかの決別があるからだ、
という前回のコラムに、

ほんとうの赤ん坊の出産を介助する助産師さんをはじめ、
多数の声をいただいた。
今週は久々に読者メールを紹介したい。

まずは人間の出産現場から。


<看護師→助産師、さらに教員へ>

「助産師」の免許を持つ者です。

前回のコラムの「言葉の産婆」ということが
心に響きメールしました。

助産師になる前、
私は、「看護師」として、
未熟児室で勤務していました。

亡くなる子どもをタオルでくるみ、
一人霊安室へ行く。
道すがら、「ゆりかご」を歌う私。
母親に抱かれることもなく、死への旅路へ。

そんな経験から、
妊娠中から、未熟児を産まないために関われる
「助産師」になりました。

初めて分娩介助したのは30年ほど前、
無我夢中でした。

産婦さんが母親になる瞬間、そして、
胎児から新生児になる瞬間。

自分の手から、「おめでとうございます」と
赤ちゃんを取り上げたこと、
今でも、鮮やかに蘇ります。

女性が一番美しくなる一瞬に立ち会える喜び。
私が助産師冥利につきる一瞬でもある。

前回のコラムにこうありました。

「助産師として、ほんとうの赤ん坊の出産に
 立ち会っている人はどうなのだろう。
 産声の、喜ばしさの中に、
 ほのかな“切なさ”は受け取らないのだろうか。」

実際に分娩介助をしていて、
生まれてくる瞬間は、とても緊張します。

まず、呼吸ができるかどうか。

呼吸ができなければ、この世の中では生きていきません。
産声は、とても重要なのです。

泣くことが、この社会で生きていくことの第一歩です。

ほのかな「切なさ」について考えました。

胎盤を介して母親から栄養をもらい、
成長して、出生に至る過程。
母親からの栄養を運んでいた臍の緒を切って、
一人の人間として生きる。
これから、どんな人生になるのだろう。
いろいろな体験をするのだろう。

母親からの切断、それが「切なさ」か?

「産婆」には、
二人の生命を預かるという使命があります。

母親側からみたら「分娩・出産」、
胎児・新生児側からは「出生」

今年4月から、助産師養成の教員として、
助産の現場に立っています。
助産学生が、助産師として羽ばたく日を
楽しみにしながら。
(まや)


<ただいま受験中です>

医学部に落ちて薬学部に行きました。
体調は4年で破綻し、
自分としては価値を感じることができない薬局に就職し
まわりからは「いい仕事でいいじゃん」と見られることが
とても不満でした。

今でも医師に、という気持ちはあるけど
体力学力金銭の問題をクリアできず
只今看護学校受験中です。

一番辛い時期に追い打ちをかけた身内を許す気もないし、
これまで私を笑い者にしてきた知人が
これから態度を翻してもシラけます。

やりたい事を大事に生きている人はよい人生と思います。
私はそうはなれなかったし今後も多分無理だと思います。

ひとつ幸せなことは、医師は誤診その他で
助けようとして人を殺してしまうことがある。
能力がなくて医師になれなかったから
それは私の身にはおこらないし、
それで悩まなくてすみます。

ついでに私を愚弄する人達が
その行動を止めて欲しい。
でも多分続けるのだろうし、
彼らにとって楽しいことなんだろうと思います。

私にとって他人とはそういうもの。
看護師になって、
そういう人達の幸せに貢献していきます。
(ミエ)


<それまでの自分と離別する痛みと歓びと>

両親の方針と、私自身のおとなしい性格が相まって、
私は人の前に一歩出て自分を主張するという事が
大学の2年生になるまでずっと苦手でした。

強い主張には逆らえず、自分を押し殺して従うか、
黙ってスッといなくなるだけ。
心に苦いものを感じつつも、
「人の迷惑にならない事」を第一に考えていました。

まして、自分のやりたいことを
表に出して貫いていくなんて‥‥
映画かテレビか漫画の中でしかありえないだろ!
と思っていました。

ですが、大学のカリキュラムで
1年間カナダに留学をした時、
世界がガラッと変わりました。

世界各国から留学に来ている生徒たちは
皆それぞれやりたい事が明確で、
それでいて悲壮に頑張っている感じもなく、
本当に楽しそうに
やりたい事に向かって努力を重ねていました。

中には、自分より年下なのに
インドから「将来カナダに住む為に」
留学をしに来ている生徒もいました。
遊びに溺れるわけでもなく、
知識の吸収と自分の成長を心から楽しんでいる様でした。

「自分は、大学に入って何をしていたんだ‥‥
 何の為に大学に入ったんだ‥‥
 何の為に生きてるんだ‥‥」

ともすればありがちなこの問いが、
痛切に胸に響きました。

実際に自分を大切に貫いている人達を見たこの時から、
自分もこうなりたい! と思う様になりました。
それから、ビクビクしながらも
自分のやりたくない事はなるべくやらず、
自分の主張を言う様にしていきました。

そのおかげで、留学が終わる頃には
周りの人ほぼ皆から
「うわ、すっごい明るくなったね!」
と言われる位、自分を出していく事が
出来る様になりました。
とても嬉しい体験でした。

ただ、その一面として、
どうしても避けられない面倒や衝突というのも
ありました。

夏休みに一人旅をした時、
生まれて初めて自分で
移動手段や泊まる場所を確保しなければならない事、
自分と合わない人に、思いきって
「話したくない」という態度をとる事。
今となっては「何て子どもだったんだろう」とも
思いますが、
周囲に流されていた時に感じていた、
責任のないある種の安心感との離別を、
この時初めて経験致しました。

だからこその楽しみもあるのですが、
今まで長年感じてきたものからの脱却で感じたものは、
やはり寂しさや切なさといったものであると
今は思います。

自分を貫く事は、切なさや、
時に多少の痛みを伴うのは事実だと感じます。
ですがそれ以上に、

自分のやりたい事をやっていけるのは、
楽しい事なんだよ!

と、心から叫びたいです。
日本では、その楽しさを味わう機会を
自ら放棄している人が多いですから。
(山口)


<動詞で考える>

いま、仕事でケニアに来ています。
こちらは雨期で、赤道直下なので、
1800メートルの高地とは言え、
かなり蒸し暑いです。

前回のコラムで紹介された、
学生のこの言葉を読んで、

「考え続けて気づいたのは、
 自分の根本に、人を救いたい、
 という想いがあることです。」

僕は改めて
「動詞で考える」ことに大切さを感じました。

「誰に」がイメージできてなくても良い。

まず、自分が「どう動きたいか?」を考える出発点に
することが大事なんだと思います。

自分がどう動きたいのか?が見えてくれば、
自ずと「誰に?」が見えてくる。

職業名、という名詞で考えるのではなく、
「誰のために、自分はどう動きたいのか?」と動詞で
自分に問いかける。

そのための、「場」は、意外と世の中に
沢山あるんじゃないかな?

機会があれば、学生さんにそんな風に話をしてみたい、
と感じました。
(ひげおやじ)


<産んでもらっただけでは、まだ足りず>

産んでもらい、
名付けられただけでは足りなくて、
自分で「自分」を見つけて、
それを現実に受け入れる。
ひとが本当の意味で「生きる」ためには、
そのプロセスが必要なのかもしれないですね。

より明示的な、より能動的な、
より『その人自身』である人たちのことが、
自分は、好きなんだと思います。
自分も、そう、生きていきたいと思います。
(白井哲夫)


「呼吸ができなければ、
 この世の中では生きていきません。
 産声は、とても重要なのです。
 泣くことが、この社会で生きていくことの第一歩です」

という助産師さんの言葉に、
私は先週このコラムで紹介した、

芸術系の大学で3年生まで進んできたけれど、
どうしようもなく、「看護師になりたい」と、
はっきり文章で表明しながら、
少し泣いておられた、女子学生を思いだした。

涙しながら意志を産みあげ、
私や、まわりで聞いている学生たちや
キャリア支援の職員の心の共鳴と、
拍手を浴びて、
彼女は生き生きしていた。

切ないんだけど、息づいている。

人は泣くことで、人間としての呼吸ができるようになる。
吐いて、吸えて、外界と自分とがつながって生きられる。

けれども、読者の白井さんの言うように、
ただ、息を吸って、吐いて、
だけで足りて生きていけるか、というと、

自分の中に、
バクゼンとでも、ささやかでも、なにか、

「私は、こうする」

というものが育ち始めたときから、
だんだん息苦しくなる。

「私は、こうする」

を、ただ自分で持っているだけでは苦しい。
自分ひとりのだれにも見せない日記に書いても、
匿名で、見知らぬ誰かにつぶやいても、
まだ、窮屈な感じはぬぐえない。

「私は、こうする」

を、言葉か、何かのカタチにして、
はっきりと、自分として人前で出せたとき、
今度は、存在として、自分を取り巻く世界の中で
生き生きと呼吸できるようになる。

「私は、こうする」

を表現できたとき、人は息づく。

表現の現場で
私は心からそう思う。

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2013-12-11-WED
YAMADA
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