おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson675 まほうの帽子 家族から帽子をもらった。 ふしぎなことに、 その帽子をかぶって外に出ると、 よく話しかけられ、 人に親切にしてもらえる。 なぜだろう? これは、まほうの帽子なのか? 去年の誕生日、 この帽子をもらったとき、 言葉につまってしまった。 ハデな蛍光オレンジの大きなぼんぼんが、 てっぺんについた、とんがり三角帽子。 お世辞にも、自分の趣味に合うとは言えない。 いや、もうそういう次元じゃなくて、 「こんなもん、 いまどき、だれがかぶって外に出れるか‥‥、 私は小学生か‥‥」 もうしわけないが、 間髪入れず、心は正直に叫んでいた。 でもそういう、不器用な愛情ほど、 温かく、愛おしい。 むげにはしたくない。 「なんとか、被りこなせないものか?」 全体をシックな色味でコーディネートして、 刺し色に、チラ見せするくらいに、 ぼんぼんと同じ蛍光オレンジを効かせたら、 なんとかなるかも。 この帽子をかぶるためだけに、 シャツとパンツを新調し、 なんとか外を歩けるかっこうにはなった。 だが、いっこうに自分ではない。 「こんな帽子、自分からは絶対被らない。」 なんか、自分らしさとか、 そういうの、ええい! と放り出す感覚で、 私は、帽子を被って外に出た。 最初、銀行に行った。 窓口で待つ間、 銀行員のお姉さんが、 すごーーーく! フレンドリーに話しかけてきた。 タメ口とまではいかないものの、 ふだんお堅い銀行口調とは打って変わって、 距離近く、きさくな口調で。 私たちは待ってる間、 アクセサリ―の話とか、 半沢直樹みたいな人は銀行にいないよねぇ、とか、 そんな友だちみたなおしゃべりをして あっという間に時間が過ぎた。 その足で、カフェにいくと、 また、カフェのお姉さんが、いつになく 話しかけてくる。 ふだんはとっつきにくいと言われる私。 眉間にしわをよせて、困り顔、 もっと言えばコワイ顔をしているらしいのだ。 だからいつもは声をかけられること皆無だ。 近所を友人と散歩していても、 地元である私のほうに、だれも道を尋ねず、 わざわざ、はるばる遠くからやってきた友だちのほうに 道を尋ねる。 「この帽子を被ると、 なぜみんな、親しげに話しかけてくるんだろう?」 みな、一様に、まっすぐ私の目を見る。 笑顔である。 人間距離が近い、気さくな口調である。 それからも、 帽子を被って出ると話しかけられ、 帽子を被ってないと話しかけられない、 ということが、 繰り返し、繰り返し、おこっていき、 そのたび、相手の目線や言動を観察し、 なぜ、なぜ、なぜ‥‥と考えて、 ようやくわかったことがある。 「ちょっと馬鹿に見えるんだ、私」 語弊があったら、ごめんなさい。 言いかえると、 ちょこっとだけかわいく「マヌケ」感がある。 これも語弊があるか、 いいかんじに「アホ」に見える。 これも語弊があるか、 まわりを明るくするちょっとした「能天気」、 とりつく「すき」がある感じに映る。 だから相手は、 すこーしだけ優位な目線から、 余裕をもって、私に接しているんだなと。 どうして私が、 かわいくいいカンジのアホに見えると、 相手は声をかけやすいのか、 「人が恐い」というバリアが取り去られるからだ。 私たちは、他人に対して、 「なんとなくコワイ」という感覚をもっている。 これがコミュニケーションを硬直させる。 何か話しかけてバカにされたらどうしよう、 相手の気分を害したらどうしよう、 傷つくのが恐い。 だから話しかけるのを躊躇するし、 ガードで固めたやりとりになりやすい。 「方言」で話すときもそうだ。 電話でオペレーターの人と話す時、 機械と話しているような硬直を感じる時がある。 そういうときは、たぶん、オペレーターが お客さんをコワイと思っている。 まちがったことを言って クレームをつけられたらどうしよう、 という恐れが、電話のやりとりを硬直させる。 以前、硬直したやり取りで、 私は焦って、つい、岡山弁が出てしまったことがある。 どうしてか、それからオペレーターさんが、 余裕を持って、なごやかに 私に接してくれるようになった。 綺麗な標準語を使いこなす客より、 方言で話す客のほうが、 オペレーターは優位にたてるのか。 「ちょっと私のことを下に見てんだな。」 オレンジのぼんぼんのついた帽子も、 自分にしみついた岡山弁も、 そう思うと複雑なカンジはする。 言葉にして書くと、小ばかにされるというのは、 なんかとても悪いこと、 問題視されるべき、人権問題のような印象を 与えてしまうのだけど、 私が実体験した感覚は、わるいものではなかった。 それが証拠に私は、 オレンジの蛍光色のぼんぼんがついたこの帽子が 好きになり始めている。 冬の間、ほんとにあちこち、被って歩いた。 よく、「人にはばかにされていろ」と言われる。 ドラマの名探偵とか、 印籠を持って旅する高貴なご隠居とか。 能ある爪を隠してわざと人にばかにされたり、 きさくな身分だと偽ったりしているが。 その方が、情報も入ってきやすいし、 人の本性も見える。 何より話してて楽しいのだろう。 そのかっこうをすると、 なぜか、周囲の反応がいつもと変わるというもの、 あなたにありますか? そこにどんな人の心があるのだろう。 |
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2014-03-05-WED
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