おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson685 あげなさい じいちゃん・ばあちゃんの教えは、 孫にとって小さくない。 そう実感させられることが、 学生の表現に接していて、多い。 なかでも、 私が近年、 もっとも影響を受けたのが、 ある男子学生に、 おばあさまが言い聞かせた 「あげなさい。」 という教えだ。 男子学生Yくんに、 おばあさまはいつも、 無償で与えることの大切さを こう教えた。 「あげなさい。 うばうんじゃない。」 お菓子にしても、 おもちゃにしても、 知識にしても、 労力にしても、 人からうばおうとするな。 あげなさい。 惜しまず、見返りを求めず、 あげなさい、と。 おばあさまは、 この言葉を自らも厳しく実践した。 おばあさまにとって、 孫が生まれるとき、 医療ミスと思われる事態で、 無念にも、死産になってしまった。 裁判に訴えて出ろというまわりの声もあったのだが、 哀しみの中、 おばあさまは気丈に、 「裁判に勝っても、 得られるものは、孫の命ではない。金だ。 だったら人から金を奪うな。 金を奪ったら、病院側の人の また新たな憎しみを生むことになる。」 そう言って、 訴えることをしなかった。 そんなふうにしておばあさまは、 人生の局面、局面で、 「うばんじゃない、あげなさい」の精神を実行し、 自らの生き方を通して、 Yくんに伝え続けた。 いま、大学生になったYくんもまた、 自然に身についた生き方として、 「あげる」を実践している。 それは、友人が困ったときに、 Yくんを頼ってきたときに、 自分の持っている知識でも、時間でも、労力でも、 自分にできることを、 何の見返りも求めず、あげていきてきた。 無心にあげてきた結果、 Yくんは、 思いがけず、まわりから 感謝されたり、親切にされたり、 温かい信頼関係が広がっている。 Yくんからこの話を聞き終わったとき、 体の中にじーんと温かいチカラが あとからあとからわきあがってきた。 Yくんは淡々と話していた。 にも関わらず、 なぜこれほど感動しているのか、 自分でもわからなかった。 さいきん、 返ってくるはずのお金が返ってこない ということがあった。 もちろん、自分なりにやるべきことはやってみた。 だがなかなかうまく行かず、 東京都の電話サービスなどでも相談してみたところ、 どうしてもだめなら、訴えろと言う結論だった。 いろいろ考え、 考えていった果てに、 「あげなさい。うばうんじゃない。」 という、Yくんのおばあさまの言葉が 蘇ってきて、すとんと腑に落ちた感じがした。 それまで、けっこう長いこと考えてきて、 そのたびにぐるぐると嫌な感情がうずまき。 出口を見失っていたのだが、 その言葉で、霧が晴れるようにすっきりした。 自分でも意外なほどあっさりと 私は、その件を手放すことができた。 手放して、で、後悔がない。 いまふりかえっても爽やかだ。 なぜこんなにスパッと解決がついたのか、 自分でもリクツがわからない。 わからないから、疑ってもみた。 安易に考えることを放棄しただけではないのか、 面倒くさいから、あるいは怖いから、 美化して逃げただけじゃないの、と。 自分で自分にネガティブなツッコミを入れてみた。 だが、心というのは正直で、 逃げたりごまかしたりしていたら、 自分でも何かしら後味がわるいものだが、 この件について、心は晴れ渡っている。 理由がわからないまま、 先日、社会人女性の生徒さんが、 親から植えつけられた価値観の苦しさを 話しておられるのを聞いた。 彼女は、 幼いころから親に厳しく損得勘定を 植えつけられたという。 一度植えつけられた損得勘定の縛りから なかなか自由にはなれず、 彼女はそれからずいぶん長いこと、 人との関わりにも、自分の人生を歩むうえでも苦しんだ。 やがて、彼女は、自分の努力で、 そこを乗り越えて自由になったことが素晴らしい。 とても苦しかっただろうな。 こどもにとって親から教えられることは、 自分の世界の全部を塗りつぶすほどの影響力がある。 ひとつの尺度でものを見ることを 植え込まれたらとても窮屈だ。 しかも、損か得かというのは、 一見もっともらしく、数字でもはっきり表せるもので、 なかなか反論しづらいものだ。 この尺度を植えつけられたら、 ものの見方、考え方、 自由に羽ばたけないのも無理はない、 と思ったとき、 この言葉を思い出した! 「あげなさい。」 そうか! 「あげなさい」は、損得勘定という だれしもが陥りがちな縛りから、 一瞬にして人を自由にする言葉なんだ! 損か得か、 考えることも大切だが、 損得の帳尻を合わすことに執着してしまったら、 帳尻が合わない限り、出口にでられない。 損得を超えたところにある大事なものを つかむことも、見ることもできなくなる。 だけど、現実には、 損得の帳尻が合わないことなど山ほどある。 「あげなさい」は、 帳尻を合わすことなく、一瞬で、 損か得かの尺度を無力化する。 この尺度の外へと人を解き放ってくれる。 おばあさまの教えは、 一瞬で自分を自由にする教えだった。 ためになる教えは多くても、 一瞬で縛りを解いて、 自分を自由にしてくれる教えはそうそうない。 自由を求める自分が感動したのも納得だ。 その後も、 ひとつの尺度にとらわれて 苦しくなってしまっとき、 その尺度を超えた大事なものが 見えなくなってしまったとき、 私は、おばあさまのこの言葉を思い出して、 自由な視野をとり戻している。 「うばうんじゃない。あげなさい。」 |
山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。
2014-05-28-WED
戻る |