YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson693
   手放せる人・執着する人−2.読者の声


手放すチカラはだれにもある!

手放すときに手放さなかったら、
ほしいものもつかめない。

ほしいものを、自分の「想い」は知っている。

想いには、

怒りや、憎しみや、勇気や、愛や、
執着や、潔さが、

来ては、去る。

「いま手放せ!」

と「潔さ」が来たとき、ぱっと放す。

この筋トレを続けて、
潔さと言動のリンクが強まれば、
ここぞというとき手放せるよう鍛えていける。
過去に支配されることなく、

いまを生きる筋トレは、いま始められる!

そんな先週のコラムに
読者はどう反応したのか?
紹介しよう!


<自分を変えたもの>

「いまを生きるチカラが、
 過去に支配されてしまってよいのだろうか?」

という先週の問い。

心理セラピストとして僕が感じているのは、
手放せない人にとっての過去は今現在だということ。

過去が過去になれば手放されるのです。

出来事を思い出しては恨み、
また思い出しては恨みの連続。
この連鎖が思い込みをますます強くして
今も恨みが継続する。
起きていることは
今現在恨みを持っているということなんです。

このループを外すのが
トラウマを見るということなんだけど、
カウンセリングだけで外せるかどうかは
微妙なところです。

未来へ不安を持っている人も同じような理屈ですね。

ズーニーさんに共感したのは、
大事なのは、今の筋トレなんです。

過去も今の自分がどう感じているのか、
未来も今の自分がどう感じているのかです。

僕も自分の心の傷を癒してきました。
そのプロセスはとても今思うと豊かなプロセスでした。

ただ、それだけだったら変わらなかった。

今できる、いや
今自分がしたいことを全部するという筋トレが
未来を創りだした。

そう思っています。

直感的に今のチャンスをつかむために、
日々筋トレをして自分の生きる力を養うのが、
大事なのだと実感しました。

変わるのは今なんだ!
(まぁちゃん)


<いま手放すとき>

娘が学校に行きづらい日々が続いており、
それに一喜一憂する毎日。

私と娘の関係がくっつきすぎて、どうにもならない。

娘の事を考えすぎて、
入り込みすぎて、

自分の問題にしてしまう。

そして娘と不安を共有してる。

娘は私の不安を抱えてしまったが為に、
外では生きにくくなってしまいました。

だから学校に行くだけなのに、
一大決心が必要になってしまう。

そこまでわかってるのに、なんで??

どんなに意識しても手放す事が出来ない状態です。

私たち夫婦の中では学校は
行くべきところだと思っています。
勉強も人間関係もそこでしか学べないものは沢山ある
と思っています。

でも、私の腹の中に潔さがない。
いつも何かに執着している。

そんな時の気持ちで話されたら
娘としては、「わかっちゃいるけど」なんでしょうね。

娘からLINE(編集部注:スマートフォンやパソコンで
やりとりするショートメッセージ)が来ました。

読もうか? 否か?
悩みました。

ここで私が手放さなくていつ手放すのか?

「手放す」と言っても
放りだすわけでもなく、
無関心になるわけでもなく、
学校に行かなくていいよ〜と言うわけでもありません。

今日はLINEを見ないで、任せるだけです。

そして学校は行くべきだよ、とは言い続けます。

干渉ではない、命令でもない。

なにかすっきりとした気持ちから出る言葉は
伝わるんだなと実感したこともあります。
手放したときに感じる一言。

でもこれもまた訓練。
トレーニングが必要なんですね。

相手を思いやれないような、自分本位な気持ち
相手をコントロールしようとする気持ち
不安をぶつけるような気持ち
を今こそ手放したい。
(anco)


<手放して、得たもの>

手放すかどうか、
選択を迫られているときは、
今までのようにその場にいられなくなっている時。

かつて職場を変わった時、
今の職場で通用している自分に、
安住できなくなっていたのだと思います。

その根底に、新しい場所で自分は通用するだろうか
という自信のなさがありました。

決断して新しいところに移った後でも、
自分は通用するのかという不安が
解消されることはありませんでした。

結局どこに行っても、
そのつど通用するかを問われ続ける。
そこからは離れられない。

ただ、もはや今までの自分ではいられないという時に、
思い切ることが出来た。

それ自体が一つの経験として自分の身についています。

それは失う痛みを含めて、
自分を大事に出来たという経験のように思えます。
(たまふろ)



私は、ダイエットのために3月から始めた
1日40分〜50分の運動が、
細々と続いている。

続いているリクツをあげようと思えば
いくらでもあげられる。

やめると太るから、
サボると目の貧血のような不健康が症状が出るから。
脳の物忘れにも効果が出てきたようだから‥‥。

でも、それよりなにより、

明日を想って、筋トレしているときのワクワク感。

運動しているときは、
どうしても思考が前に向く。

未来志向だ。

「きのうより、きょうのほうが、
 ちょっとだけ良く動くぞ。」

「きょうより、明日は、もすこし
 楽しんで運動できるようになりそうだ。」

「つづけていくと、未来の自分は、いまより
 ちょっと素敵かも。」

この感覚自体が目的で、
理屈より、何より、続けていられるんじゃなかと思う。

この感覚が、自分の中にあるとき私は、
「たまふろさん」の言う
「自分を大事に」しているように思えるし、
「時間を大事に」できたようにも思える。

これは、「したいことをする筋トレが未来を創る」
という「まぁちゃん」の言葉にも通じていく。

「娘の事を考えすぎて自分の問題にしてしまう」
と悩んでおられた「ancoさん」は、

まず、きょう、娘さんの問題を
娘さん自身の問題として任せることで、
小さく、でも、きっちり手放した。

ancoさんの筋トレは、いま始まったばかり、

そこに、「明日の自分はもっといいかも!」
というワクワク感がある。

いまから未来に踏み出す、
読者の声をさらに2通紹介して
きょうはおわろう。


<きっかけは誰かの言葉でも>

最近チームリーダーになってから、
禅の講座に通っています。

禅の考え方の真ん中にあるのは、
「捨てる」ということです。

何を捨てなけらばならないのか?

僕はリーダーという立場に変わっても
変えないこと・変わらないこと、
そこが少し揺らいでいる感覚があって。

自分の目的を設定し、目的のために世界を変える。
目的とは関係のないものを捨てる。
そんなアプローチで今の自分を見直してみましたが、
これが思う通りにいかない。

何を手放すべきか、

なかなか見えてこないし、
逆に何に執着しているかも、なかなか見えてこない。

先週、ある仕事をきっかけに、

自分が狭い意識の中で、
あくまで論理的に考えようとし続けることに気づいた。

普段の生活はどうしても、
意識と論理に支配され、
規則の中で物事を捉えることを繰り返しているため、
自分がハマっている世界が見えないものだなあと、
つくづく思いました。

気づきは、最終的に自分に委ねられますが、
きっかけは自分以外の誰かの言葉。

誰かの言葉をきっかけに
自分の言葉を作る行為が出来ると、手放せます。

意識の外に、また意識より深いところに、
禅の言葉で言えば、無相、無心の世界がある。

「想い」は、この世界観にとても似ていると感じてます。

ここの世界に気づくと、
何に執着しているのか、それは大切なのか、
目の前にはっきりと現れてきます。
(鈴木)


<いまに生きる>

「自分は過去の延長線上に生きてるんじゃない」

最近、私が自分に言い聞かせている言葉です。
今やれることをやるしかない。

目の前の茶碗を洗うこと。
それから気分が上向くことがある。

以下はアラン・コーエンという人の
「ザ・コンパス」という本にある文章です。

「私たちは、いつでも
 自分がこれだと集中するものだけを選んで
 手に入れられるようになっています。
 なんとダイナミックな法則でしょう!
 その瞬間瞬間の勇気と知恵、そして信頼。
 成長するには、過去を手放し、
 未来を過去の延長線上にしないことです。」

いろいろあったし、今もあるし、
不安の方に行きそうになるけど、

今やれることを精一杯ガンバろう、

それが過去の辛かったことから学んだことです。
(ジンベ 50才 女性)

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2014-07-23-WED
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