おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson696 孤独のカタチ − 3.孤独に寄り添うもの 「お葬式って、 火葬場に行った時が、 みんないちばんバラバラ。 で、火葬が終わって 外に出たとき、 人は優しくなっている。 出会う人、すれ違う人に 自然に優しくしようと思えている。」 この夏、印象に焼き付いた言葉だ。 人間が、改めて孤独だと思うのは、 身近な人の「死」に際しても、 その考え方は、一人一人ちがっていて、 バラバラ。 たとえ血のつながった親や子、兄弟でも、 同じ「死生観」を共有できないということだ。 そんなバラバラ(孤独)から、 次の一歩をどう踏みだせるのだろうか? この夏、私は、 『僕はもうすぐ十一歳になる。』という映画の トークショーで、神保慶政監督と対談させていただいた。 冒頭の火葬場の言葉は、 監督のものだ。 映画の主人公、「僕」は、 もうすぐ11歳になる少年、翔吾(しょうご)。 半年前、おばあちゃんが亡くなった。 でも、その死に対する考えは、 僕と、お父さんと、おじいちゃん、 「親子3代」でバラバラ。 お父さんは、 この半年で、 大好きだった昆虫採集をやらなくなった。 肉や魚も食べなくなった。 どうやらお父さんは、「輪廻」、 死んだ人の魂が別の生き物に生まれ変わっていく という考えを信じているらしい。 だから虫や動物や魚の命を尊びはじめたのだ。 お父さんは、インドに単身赴任中で、 その経験から学んだらしい。 おじいちゃんは、 まるでおばあちゃんが生きているように、 骨壺の中のおばあちゃんに語りかけ、ごはんをあげる。 正月のお祝いや、年賀状も、 おばあちゃんが生きているときのようにやっている。 こどもの「僕」は、 まだ死がよくわからない。 そんな僕に、お母さんは、 「肉や魚を(成長期だから体のために)食べなさい」 「喪中はホントは、 正月を祝ったり年賀状を出したりしては いけない、おじいちゃんのマネはしないでね」 と言う。 おとなの言うことはバラバラ‥‥。 このバラバラ感こそ孤独感、 と私は思った。 身近で大切な人の死。 受け止めろと言われても、 モロ受けとめるには、ツラすぎるから、 人は無意識に、あるいは意識して、 その死を包む「物語」を紡ぎ出す。 映画では、 お父さんは、 死んだ人の魂が何か別の新しい命に 生まれ変わっていくという物語を。 おじいちゃんは、 死後も人はどこかで生きているという 物語を。 それまで自分が身につけた 知識や経験、想像力も総動員して、 切実に、必死に、 死を包む物語を紡ぎ出して、 痛みをのりきろうとする。 でも、この「今までの人生で身につけた 知識・経験・想像力」こそ、一人一人ぜんぜん違う。 身近な人の死が、 鏡のように映しだしてしまって、 それぞれの価値観の違いがあらわになってしまう。 バラバラ、だ。 でも、というか、 バラバラと知って、だからこそ! 人間は、自分とは違う物語に寄り添おうとする、 それが「愛」ではないか、と私は思った。 映画の中の 「僕」は、 お父さんの物語に同化することはできない。 インドに行ったこともないし、 目の前の虫が、もしかしたらおばあちゃんの生まれ変わり と言われてもピンとこない。 おじいちゃんから骨壺に話しかけろと言われても、 その壺の中におばあちゃんがいるとは思えないし、 何を話していいかわからない。 おそらくお父さんとおじいちゃんの死生観を 理解することすらできないかもしれない。 それでも、お父さん、おじいちゃん、 それぞれの物語に寄り添おうとする。 寄り添って、骨壺に話しかけてみる。 目の前の生きとし生けるものを命のつながり と言う目で見てみる。 そういう心の働かせ方が愛なんではないか、 と私は思うのだ。 孤独のカタチは一人一人違う。 多く、人は、そのカタチをぴたっと埋めてくれる 誰かに出逢えない。 そこどころか理解者にさえ恵まれない。 でも全て分かってもらえずとも、 そのカタチに寄り添おうとする誰か、 たった1人いれば、やっていける。 あるいは、自分自身が、 わからなくても、溝が埋まらなくても、 それでも、そのカタチに寄り添いたい と思える誰か1人がいれば。 私は思うのだ、 孤独があるからこそ、そこに寄り添う愛もあると。 前回のコラムにも いいおたよりをいただいている。 それらを紹介して、今日は終わろう。 <カタチになって初めて> 「孤独のカタチ」というのはひとそれぞれだけれども、 孤独がカタチになるのは 「自分の孤独が 他者から理解されないことを理解した」時、 だと感じています。 そして、孤独がカタチになって初めて、 それ向かいあえるのだと思います。 (ゆーじゅー) <その壁を超えるもの> 何かを持っている人に対して、 それが欲しくてたまらない人、 その両者がお互いの孤独を理解するのは、 本当に難しいことですよね。 その壁を超えるのは、大げさかもしれないけど、 「愛」な気がします。 (Y.Y) <二人でいる方が孤独でした> 「30なかばのバツイチ」です。 結婚していた頃、私はそれ以前より孤独でした。 ただ同居しているだけだった生活がつらくて、 結局耐えられず、1年で私は結婚を辞めました。 30なかばで一人というのも孤独には違いないですが、 結婚していたあの頃の方が良かったとは思いません。 解らない人と一緒にいて味わう孤独の方が、 はるかに辛いです。 私は自分がバツイチというのを 引け目に思ったことはありませんが、 世間の一部はそんな状況を 引け目とすべきと思うようで、 それが新たに手に入れた孤独です。 (オータム) <互いの見えない世界> 治療する仕事をしていて、時々言われるのは 「手に職があっていいね」という言葉です。 そう言われると、うらやましがられているようで、 多少戸惑いを感じます。 収入は普通の勤め人より安いですし、 体力的にも精神的にもかなりハードです。 同業者でも、自分の子供には進められない という人も多くいます。 好きでなければ続かない仕事です。 実際のところと、思われているイメージとの間に、 結構なギャップがあるのを感じるのです。 ただそれでも、手に職があると思われることは、 大切なことだと思います。 そう思われるだけの治療が、 少なくともその人には出来ているということですから。 これが誰でも出来る仕事だと思われたら、 おしまいだなとも思います。 優雅に見える水鳥が、 水面下で一生懸命足を動かしているように、 お互いの後ろには見えない世界が広がっています。 そんな人たちが、ちょっとだけふれあっているのが 世間での関わりかなと思います。 私も他の人の世界は触れられないですが、 せめて自分には見えない世界を 持っているということだけは、 忘れないようにしたいと思っています。 (たまふろ) <でも、できれば> 私の夫は精神病を患っています。 私は私の、夫は夫の孤独があるなといつも感じます。 一生分かりあえない溝がある。 それはいつまでたっても変わりません。 夫の表情には、私にわかってもらえないな、 というような諦めのような孤独を 感じることがたまにあります。 今年40歳になる私は、 大人になる前には考えてもいなかった孤独が、 逃れることは出来ないくらいの当たり前のことなんだと わかってきました。 それも、結婚してわかってしまった。 私は子供は恐らくは産めないでしょう。 私には産めない苦しみがあります。 が、同時に、産んだことによる苦しみは 持たなくていいのかも知れません。 そして一生、もう片方の側にいる人のことはわからない。 でも、できればですが、想像力を使って、 話して、聞いて、動いて、 埋まらない溝を埋めていく作業、 溝の幅だけでも縮めて、 相手に近づく作業は出来ないか? 川岸の向こうにいる相手の表情だけでも、 ボンヤリでいいから判別出来ないか? 弱くて、本当は虚勢で明るくしている自分が、 なんとか手放さず持っている、 相手に対する何かはなんだろう。 自己中にいつの間にか陥る私だけど、 相手のことがなかなかわからない自分に対しての 悔しい思いはなんなんでしょう。 自己中なのに相手を分かりたいんです。 そのすべが知りたいし、使えるようになりたい。 自分の怒りと悲しみとぐちゃぐちゃした何かに自分自身、 なりたくはないです。飲まれたくないです。 (g) <孤独をスタート地点にする> 唯一で孤独な私は、自由にその私を表現できる。 唯一で孤独な誰かのために、 まず私から愛や希望を表現できる。 そして、その表現次第で、唯一で孤独な誰かから、 私に愛や希望を返してくれることがあるはずです。 希望や愛がある表現がつながりあえば、 きっと、唯一であり孤独である自分に、 自信が持てると思います。 私は、仕事だけの人間でした。 けれど、いまは、仕事を通じた自分の存在意義を、 誰かから認めてもらえています。 あなたがやるなら間違いない、と言ってもらえています。 お客様からは、あなたじゃないといやだと 言ってもらえる。 上司からは、そんな働きぶりや数字の成果を褒められる。 同僚からは、そんな仕事をする自分を必要とされる。 後輩からは、その仕事ぶりにあこがれてもらえる。 仕事を続けて、生きてきて、良かったと本当に思います。 そして、愛や希望を捨てないで、本当に良かったです。 孤独そのものは、悪いものじゃないと思ってます。 それを認めて、自分のスタート地点にできるかどうか。 スタート地点にして、 誰かを必要としたり愛したりすることができるか。 その結果、自分が必要とされたり 愛されたりするかどうか。 誰かに認められた、誰かに必要とされた、 唯一無二の存在になれた時だと思います。 ただ、私、いまはすんごく寂しいんです。 異動があり、自分をちやほやしてくれる同僚や後輩から 離れる羽目になりました。仕事もいちからやり直しです。 せっかく、充実させたというのに、 むなしくさびしくなりました。 異動の辞令があった時、本気で嫌気がさして、 もう辞めてやると騒いでしまいました。 その時、本気で慰留してくれた先輩や同僚がいました。 私は、思いやった人から、 思いを返してもらったのでした。 どうにか仕事を続けています。 でも寂しくて、同僚や後輩にメールを 送り続けていました。 自分でも、居場所を失ったことの寂しさに 気づかずにいました。 誰かが証明してくれていた、 自分の居場所や自信や存在意義を失い、 寂しい自分になってしまっていました。 寂しいメールを送くっていた後輩にも、謝りました。 すると、それが普通だと言ってくれました。 みんな only is not lonely + love でやっていけば 思い合っていけるんだな、と思いました。 自分と相手で、それを証明できたと思います。 いまの職場でも、ちょっとずつですが、 私の居場所になるよう、努力しています。 前の職場ほどの居場所ではないので、 ホームシックになってしまっています。 寂しいです。 (朝大) |
山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。
2014-08-20-WED
戻る |