YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson700
  ひらく鍵とざす鍵



好きになるとは、
「ひらく鍵」を手にする行為だ。

好きという想いが、
新しい次なる扉をどんどんひらいていく。
鍵穴を見つけたり、辿り着いたり、
努力はいるが、苦にならない。
逆に、

嫌うとは、「とざす鍵」を手にする行為。

こっちの鍵は努力はいらない。
思うそばから次々と、
扉が閉まり、自動的に鍵がかかっていく。

表現力のワークショップで、

「すぐに人を嫌いになってしまう」
という男性に出会った。

さいしょは、こどものころ、
ワガママで家族に手をあげる兄弟を
嫌いになったそうだ。

嫌いになったら、それでオシマイ。

顔を見るのも嫌になり、
二度と元には戻らない。

社会に出てからも、そんな調子で
次、また次と、人を嫌いになり、
そのせいで仕事をしにくく、職場に居づらくもなった。

ところが、ある上司が、

男性と、嫌っている同僚Xさんと、
話し合いの場を持たせた。

男性は、顔を見るのも嫌だから、
さいしょは話し合いにすら、ならないのだけど、

上司は根気強く、何度も何度も、
Xさんと話し合う場を設けて、
互いに思っていることを言わせるようにした。

すると、それまで知らなかったXさんの想いや、
Xさんがそう考える理由がわかってきた。

結果、
Xさんを好きにはなれなかったものの、

「Xさんと一緒に仕事はやっていける。
 それが苦にならない。」

そんな自分になれたそうだ。
人生ではじめて、
嫌いな人を前に、踏みとどまることをして、
見たことのない境地を見た男性は言う、

「この先の景色を見てみたい。」

いま9月現在。

私の目の前には、
思ってもみなかった、
たのしみが広がっている。

去年まではそうではなかった。
「閉じくさって」生きてきたのだ。
別にそれでいいと。

だが、気づいてみると、
机の中には、これから行きたい
ライブとか、舞台とか、イベントとかのチケットが、
多方面にわたって、けっこうたくさん取ってある。

また、何か食べるにつけ、
飲むにつけ、音楽を聞くにつけ、
好きな・こだわりあるものが増えてしまって、

ときめくのだ。

生活のはしばしで、
自分がキラキラ瞳を輝かせている。
そのことに戸惑う。

たった数か月のうちに
一気に世界がひろがって、
ずいぶん遠くまで来た感がある。

なぜか?

枝分かれした興味の、その元にあるもの、
さらにその元、そのまたさらに元‥‥をたどっていくと
ひとりの二十代そこそこの俳優さん、
もっと言えば、

「ただ一人の人間」

に行き着くのだ。
今年の1月、あるドラマにはまった。

好きで好きで、
最終話が終わっても、
好きな気持ちがおさまらず、
想いの向け方がわからず、
主演の俳優さんをただ追っていたところ、

つぎつぎと興味が波及して、枝分かれし、
世界が広がっていった。

とくにアニメーションとつながったことは大きい。

私は、
全くアニメ文化から取り残されて生きてきた人間だ。

高校のとき、大学合格に願をかけ、
「漫画断ち」をしてしまったのだ。

成長期に大好きなものを歪(いびつ)に閉ざしたせいで、
漫画を読む能力もセンスも育たず、
情報もはいってこなくなり、
いざ戻ろうとしても戻れずじまいで、それっきり。

ところが、いまどきの俳優さんは
漫画原作の作品にも多く出るので、

浦島花子となって、
漫画やアニメに何十年ぶりにとっついてみたら、

とにかく「波及効果」がすさまじい。

何か国語にも翻訳され、
インターネットの中で世界中のファンとファンが
つながっている。

漫画の原作が、アニメになったり、ゲームになったり、
実写化されたり、舞台になったり、
イベントとリンクしたり、商品化されたり、
リンクや展開がすさまじい。
世界に通用している感じ、他分野に波及する感じが
ハンパない。

わずか二十数歳の俳優さんでも、
その仕事は、リンクし、展開し、世界に波及している。
また、今まで生きて働いてきた歴史の中で、
たくさんの芸術家・クリエイター・技術者と
つながっている。
あらためて

「1人の人間がもっているネットワークって
 すごいなあ!」

と思った。
「好きになる」ということは、

その人のネットワークごと、
その人の歴史と世界の中でつながってきた
人・モノ・仕事ごと、
興味の視界に入ってくるということだ。

そして、好きという強い動機は、
自分の苦手なんぞやすやすと、
どんなバリアも越えさせる。

好きは「ひらく鍵」を手にする行為。

そう気づいたとき、
嫌うというという行為を思ってゾッとした。

その人のネットワークごと断つ行為。

たとえば、
「その人が来るから、
 会いたくないから集まりに欠席する」とする。
すると、そこに集まってくる人、
新しく出会えたかもしれない人との
新たなつながりも断ってしまう。

その人の家族や仕事仲間や友達や、
その人とつながっていたら将来リンクしたかもしれない
人々とのつながりも断ってしまう。

その人が歴史の中で関わった人・モノ・事。
これからその人が社会で世界で繰り広げる
たくさんのことともおさらばだ。

「嫌い」。

そのたった一つの想いが、あっという間に、
バタバタといくつもの扉を閉ざして、鍵をかけてしまう。

ワークショップで出会った、
すぐ人を嫌いになると言っていた男性の
これまで見てきた世界も
そんな殺伐とした景色ではなかったか。

意識しなかったがたくさんの扉が、
気づかぬうちに閉じて鍵がかかってしまっていて、
自分で気づいてもどうすることもできない。

その景色は去年まで私も見てきた、

だからこそ、この男性の言ったことば、
人を嫌いになってしまわず踏みとどまった

「その先の景色を見てみたい。」

という言葉が
私の中で切実に鳴るのだ。

これからもほっといたら人を嫌いになるシーンは
どんどん出てくるだろう。
人を嫌うのは自由だし、
心の中で密かにやる分には誰からもとがめられない。

だからこそ、嫌いになりそうなとき、
私は、自分にこう問いたい。

一人の人間を嫌う、
それはそれだけに留まらない。
必ず波及していくつもの扉を閉ざすことになる。

「それでも自分はこの人を嫌ってしまうのか?」

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2014-09-17-WED
YAMADA
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