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Lesson705 めんどくさい女 「めんどくさい女」に一度だけ出くわしたことがある。 「コイツめんどくさい」、 で片づける昨今の風潮を私は苦手だった。 私がめんどくさい人間だし、 人は元々めんどくさいものだ、 それでいいではないか、と思ってた。 しかし、あるとき私は、 他に言いようがない、 「めんどくさい」 としか言いようのない感じを 味わってしまった。 「いかん、いかん」 と脂汗が出てくるような思いがした。 いかん、とは、 自分もそうなってやしないか? 自分がこの先、人に対して、 こういうめんどくささを味わわせるようなことがあったら さいていだ、という想いだ。 「自分がそうならないように」 もうずいぶん前のことを書くのは 自戒のためだ。 人を攻めるものでは決してないので、 設定などを大幅に改変し、 私の感じた「めんどくささ」をお話ししたい。 その女(ひと)は、 文章に、とにかく「つもり」という言葉が たくさん出てくる。 お伝えしたつもり‥‥ わかっていただけているつもり‥‥ たのしい会にするつもり‥‥、 「どうして“つもり”を多用するのか?」 まず気になったことだ。 次にはっきり感じたことは、 「思考が“後向き”である」 ということ。 同じことを言うにしても、 「いつ、それを言うか?」 によって、 通じ方や効果はぜんぜんちがう。 さいきん私がよく思うのは、 「事前に言っておくほどに、 ものごとは円滑に進む。 事前に言っておくべきことを事前に言っとかないで、 当日なにかあってから言うと角が立つ。 済んでしまってから言うと、 なおさら角が立つ。」 ということだ。 わかりやすい例で、 お刺身などのナマモノが食べられない人がいるとして、 誕生日を祝ってくれるという恋人に、 前日に、「ナマモノが食べられない」と言うか? 当日、寿司屋に連れて行ってもらってから言うか? 寿司屋からうかない顔で帰ってきて、後から言うか? この3つは、同じ言葉を言っていても、 相手への通じ方や作用が全然ちがうことがわかる。 私がめんどくさいと感じた女(ひと)は、 寿司屋の例でたとえると、 事前に食べたいものを聞いても言わない。 寿司屋でも黙っている。 無口なのかと思っていると、 翌日になって恐ろしく長い、弁の立つメールが来る、 という感じ、あくまでたとえだけど。 言いたいことを「いま」言わない。 かならず後になってから言う。 「あのときは、ああいうつもり‥‥」と、 だから「つもり」が多用される。 文章のほとんどは「過去形」で 占められている。 これも不思議な印象だった。 いまとこれから、「現在進行形」が出てこない。 とくに「未来形」が書かれてない。 「いま」と「これから」を生きないと、 人は「過去に」生きることになる。 少なくとも文章を発するタイミングと文章からは、 「過去に生きる」ように見えた。 それが言いすぎなら、 「いま目の前にある現実よりもずっと強い力で 過去にリンクを張って生きている」 ように見える。 「なぜ過去に生きる必要がある?」 次に気になったことだ。 「つもり」という言葉の多用 +現在形も未来形も登場しない「過去形」の文章。 ここから推察するに、 非常に強い「思い込み」と、 いったん自分が思い込んだことへの 強い「執着心」があることが見て取れた。 目の前にある現実よりも、 「それはこうなるつもり」と思い込みのほうを強く抱き、 固くとらわれていたら、 現実と柔軟にコミュニケーションできない。 「つもりと違う」と言っては腹を立て、 逆に、予想だにしなかった素敵なチャンスが ふいに目の前を横切ったとしても、 「つもり」に固執していて、つかめない。 思い込みにとらわれて「いま」を逃し続けている。 「いま」とは、 思い描いた「つもり」と食い違う、あるいは、 新たなチャンスを逃しつづけて悔しい、 ストレスフルなものとなり、 ますます「いま」に向き合えなくなる。 執着心が強いと、 思い込みどおりにならなかったことにこだわり続け、 さらに、思い込みにとらわれていたせいで 逃してしまった「いま」についてもこだわるので、 「あとから」、「つもり」を多用する、「過去形だけの」 文章を書かずにいられなくなる。 書いてる時間、過去に生き、 文章を送ることで、 相手も過去の不快な思いに引きずり戻し、 そうこうしている時間、 結局、また新たな「いま」を逃し続ける。 「つもりはどこで手放すか?」 この件から私が学んだ「問い」だ。 たとえば、 自分が期待を込めたとても大事なイベントのために、 事前に準備のお願いを参加者にメールでしていたとする。 ところが当日現場に言ってみると、 せっかく自分が書き、送ったメールを、 ほとんどの人が読んできていない、 これではイベントが成立しないかもという 事態が発生したとして、 「なんで読んできていないの! これじゃできないじゃないのよ!」 と怒り出すというのは、いいか悪いかは別として、 過去の「つもり」と自分はリンクしている。 伝えたつもり‥‥、読んできてくれるつもり‥‥、と。 「自分のつもりがどうであったとしても、 現実にいま、多くの人が読んできていないのだ。 では、いまからできることは何か?」 と考え始めることが「つもり」をさらりと手放して、 「いま」とリンクすることだ。 つもりはどこで手放すか? はなから「つもり」を持たない、 という人もいるだろう。 自分の「つもり」は、一度しっかり描いて持っておくが、 現場に臨む前にいったん忘れていく人。 「つもり」は持って現場に臨むが、現実で崩されたとき、 さっと手放すという人もいるだろう。 現実が攻めてきても、なかなか「つもり」が手放せず、 両者のギャップや葛藤の意味を考えて、 納得してから手放すという人も。 どれが正解でもなく、 どれか1つに決めるということでもなく、 「つもり」に牛耳られない、 その気になればいつでも「つもり」を手放せるように 鍛えておきたいと私は思う。 「過去形」の果たされなかった「つもり」は、 人に文章で押しつけてはいけない。 済んだことはどうにもできないから 相手に煩わしさだけを撒き散らすことになる。 これが私の感じためんどくささの正体だ。 「現在進行形」をまぜて、 いまできる・やるべきことを。 そして、つもりが崩れてつらいときこそ、 文章のどこか、 たった1文でいい、さっぱりと、 明るい「未来形」を刻んでみよう! と私は思う。 あなたの文章は「何形」ですか? 「つもり」はどこで手放しますか? |
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2014-10-15-WED
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