YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson708
 自分で社会に居場所つくる



「女性のひきこもり」が増えているという。

介護で、
仕事を辞めていたが、役目が終わった、

あるいは、

離婚で、
専業主婦の立場をはなれた、

「その気になればいつでも社会に出て働ける」

と就職先を探すものの、
不採用の連続に心が折れ、

「しばらく休んで就活を」

と「何もしない期間」が長引くほどに、
より採用されにくくなり、
そのままひきこもってしまったようなケースだ。

同様に、

きわめて順調な人生を歩んできたのに
「働けない若者」も問題になっている。

よい大学で、
就活は順調、内定も早めにもらっていて、

でも、いよいよ働く直前になって、
親の病気とか、不測の事態が起きる。

いったん入社をとりやめて、
「落ち着いてから就職しよう、
 またすぐ就職先は見つかる」
はずが、学生のときのように就職がうまくいかず、
心が折れてしまうケース。

退職後のお父さんたちの
行き場のなさは、「定年ジャマ夫」という
なんとも切ない言葉で揶揄される。

「老後破産」も問題になっている。

がんばって働いてきたおとなの引退後の
貧困・孤立が問題になっている。

これらは私の中でつながっている。

「今の日本では、会社や学校という箱を離れたら、
 個人として再び社会に居場所を切り拓くことが
 難しい。」

なにか特別の事件が起きたわけではなく、
ちょっとしたきっかけから、

本人の能力や人間性に問題があるわけではなく、
むしろ、まじめに順調な人生を歩んできた人が、

自分と等身大の人間が、

ある日、社会的居場所を失い、
孤立してしまう。

私たちは所属することで居場所を得てきた。

小学校、中学校、高校、大学、会社‥‥と、
箱が社会とつながっており、

入口で試験を受けて合格して、
箱に入りさえすれば自動的に、
社会的な居場所が与えられる。

ただしこれは、
自分で一から築いた居場所
というわけではないので、

箱を離れるときに自動的に失ってしまう
ことも少なくない。

そのときに、

再び学校や会社に行く、
つまり箱に入り直すというのも
もちろんとてもいいことだが、

「こんどは箱を経由せずに
 自分で社会に居場所を切り拓こう!」

という人や、
もっと多様な社会とつながる道ができていくと、
世の中もっと自由で楽しいのではないかと思う。

「いかにして個人として社会とつながっていくか?」

これは私にとって、
いてもたってもいられないほど切実な問題だ。

私自身、組織に属さず、会社をおこすわけでもなく、
道なき道を手探りで進んで、
どうにかこうにか細々と、
自分と社会をつなぐということをやってきた身だからだ。

「自分で社会に居場所をつくる」

というときに、
手探りできたので偉そうなことは言えないのだが、
少なくとも、
会社を辞めて居場所をなくして
右往左往していたときの自分に
いま振り返って、言い聞かせたいことが3つある。

まず1つめ、

「居場所がなくたって大丈夫!」

まず落ち着こう、ということだ。
渦中にいるときは、
「自分に何が起きているかがわからない」ものだ。

私も、自分に何か起こっているのかわからないけど
とにかく急に自由でなくなり、
得体の知れない不安にかられ、
悲愴感を漂わせていた。

こういうとき、
自分がやってきたことは間違っていたのかと、
妙な自己否定や自己改革にはしりやすいものだ。

でも、あとから考えると、
社会にはいる時点で「就社」を選んでいた自分が、
会社を辞めることでいったん社会的居場所を失うのは、
あたりまえのことで、悪いことでも悲愴になることでも
決してない。

社会と新しい「へその緒」のつなぎ方をするために、
いったん居場所を失うことはちっとも悪いことではない。

社会的な居場所を失ったって、
水と食料があれば命はつなげるし、
収入がとだえても、図書館など無料のサービスは
いまどきいっぱいあり、
本を読むなどして心の糧も得られる。
走るなど自分で運動して健康も維持できる。

まずは死にはしないと落ち着いて、
そのうえで、

「再び社会に入っていくんだ」

と希望を失わず、
コツコツやっていこう!

2つめに、
「社会的自分の居場所は、
 苦労を分け持った分に相当して築かれていく」
ということだ。

「私たちが社会で生きていくために、
 分け持つ苦労を引き受けなければならない」

ということが、ドラマ『花子とアン』で語られていて
とても印象に残った。

「認めてくれ」「自己実現させてくれ」
「居場所がほしい」
だけでは、社会に居場所は築かれない。

レールを引いた人がいるから電車に乗れるし、
携帯をつくった人がいるから通話ができる。

社会的な苦労を分け待つ、
その持ち場・持ち分に従って、
自分の社会的居場所が形成される。

苦労を引き受けた分と引き換えに、
自由に動きまわれる社会でのスペースを得ていける。

3つめに、
自分の想いや考えを話す・書くなどして
きちんと人に伝えられるだけの
「言葉」のチカラを磨いていこうということだ。

自分が会社にいたときの「言葉」は、
ふりかえってみて組織に所属していればこそ通じる
まだまだ会社仕様のものだった。

会社にいたときは、
広報があって、分業して、
代わりに「伝える」ということを
組織がやっていてくれたということを、
辞めてからようやく気が付いた。

自分で社会とつながるには、
自分の言葉で伝えなければ、何もはじまらない。

組織人としての言葉をいったん解体し、
自分の言葉を取り戻す、
そこから個人として社会に通じる言葉を磨いていく。

これには私もかなり時間がかかったが、
コツコツと書き続けることで
自分の経験や想いを伝えられるように鍛えられていった。
志の重なる仲間も見つけることができた。

ある日、社会的な居場所を失ったら?

「また築けばいい」
とふりかえって私は思う。
恐れることでも悲壮になることでもない。

いまどき、自分の経験、想いを発信する
道具も機会もたくさんある。

人間は社会的な生き物だ。

たとえ好きでつながる友人や恋人、家族がいても
それだけでは満たされず、

外へ、他者へ、社会へと

ほっといても社会に出ていくチカラがある。

そのチカラを信じて
コツコツやっていこう!

と、私はあのころのオタオタしていた自分に言いたい。

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2014-11-05-WED
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