YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson710
 自分で社会に居場所つくる
     −3.わたしの出番



まったく個人で社会に居場所をきりひらいた
見本はいないかと考えたら、

「ふなっしー」

がいた。
ふなっしーは、
プロダクションなどの組織に頼ることをせず、
単身で社会とのつながりをつくり、
居場所をきりひらいている。

ふなっしーは、

たった1人の個人の「想い」の中だけに生まれ、

最初はツイッター上だけに生息し、

なんのうしろだてもなく、
会社も、自前のチームも、プロデューサーも、
デザイナーもなく、
個人で細々とした活動をしていた。

所属がないとなかなか信用してもらえない。

全国ご当地キャラが出演するイベントなどに、
市の承認が得られず出してもらえず、
あきらめかけていたとき、
友人のゆるキャラの厚意で、
よそのご当地ブースのお手伝いとして参加できたことも
あったそうだ。

個人と個人、想いと想い、

大きな安定した箱ではなく、
ちいさな止まり木のような
いくつもの関係性を乗り継いで、
ちいさな活躍の場所を得て、
いまや、

社会で自活、だけでなく、
愛され、自由に動きまわれる社会的居場所を
海外までも広げている。

「世の中を渡っていくには、それぞれ
 わりあてられた苦労をしなきゃいけない。」

というNHKドラマ「花子とアン」のセリフを思い出す。

名作『赤毛のアン』の翻訳者、
村岡花子を主人公にしたドラマで、

花子の妹が、
戦争遺児を2人もひきとって育てると言いだす。

妹は、婚約者を震災で失い、結婚もしておらず、
戦後の食うか食えないかの時期に‥‥
と心配する家族に

妹は、

「わりあてられた苦労をしなきゃいけない。
 お姉さん(花子)は、
 翻訳者として本を読むこどもたちに
 夢を与える仕事がある。
 私は自分のために生きてきたけど、
 こんどはあの子たちのために役立ちたい」

と覚悟を表す。
花子は、妹の覚悟を悟って、
赤毛のアンの一説からこう称す。

「My time has come at last.」

と。赤毛のアンの養母マリラが、
孤児院からまちがって連れてこられたアンを
悩んだ末に「引き取ろう!」と決心したときの言葉だ。

「ついに私の番が来た。」

妹の覚悟は、マリラのようだと花子は言う。

妹は、
ついに私にも苦労がわりあてられる番が来た。
引き受けて、この社会を渡っていくんだと
意を強くする。

社会に出ていくことのなんたるかを思う。

私も、このドラマを見るかなり前、
本の最後の言葉を書くとき、
悩んで考えて、生みでた言葉が、

「あなたの出番です!」

だった。
『考えるシート』(講談社)は、
志望理由書を考えるためのシートもあり、
働く人や就活生に読んでもらいたかった本で、
最後に読者を社会に押し出すとき、
羽ばたけ、でなく、輝け、でもなく、
なぜか最もしっくりしたのが、

「出番」

という言葉だった。
考えたら、社会は「分業」で成り立っている。

医者は医療を、
鉄道員は旅を、
農民は食糧を、
それぞれ分け持ち成り立っている。

ふなっしーは、

「郷土愛+人によろこんでもらいたい」

と、動機をシンプル明解に言う。
分け持つ苦労に比して、
それぞれ相当の社会的居場所を与えられる。

社会的苦労を分け持った、
その分が、自分の社会的居場所になる。

自分はどんな苦労なら、すすんで受け持つことが
できるだろう?

社会に居場所をつくるシリーズに寄せられた
読者メールを紹介してきょうは終わろう。


<止まり木について>

私の母は私が小学生の時に他界しました。

私は父の仕事の都合で
実家近くの親類の家に預けられていたのですが、
父が再婚するに当たり、
遠方に引っ越さなければならなくなりました。

転校や住民票の手続きを叔父がしてくれたのですが、
その時に叔父が

「周りばっかりばたばたして、
 本人はなんにも決められないなあ」

と、気の毒そうな顔をして言いました。
私はなんと返していいかわからずに
「別に嫌じゃない」というようなことを
もごもご口にしました。

しかし、新しい家や学校にはあまり馴染めませんでした。

新しい友達ができて、ものすごく仲よくしていたのに、
突然なんとなく関係を断ってしまう、
ということが続きました。
特に喧嘩をするとか、そういうことではなく、
本当になんとなく疎遠に
(なってしまう、ではなく)してしまうのです。

多分私は新しい居場所がすごくほしくて、
でも居場所をまた失くすことが
恐ろしかったのだと思います。

新しい関係が少しでも自分の意に沿わないと、
これは自分の居場所じゃないから
失くしても「別に嫌じゃない」から、
と自分から居場所を手放していたのだと思います。

あの時に、「今」「この関係」こそを
自分の居場所にしよう、
なんて気負わずに、

「止まり木で休ませてもらおう」

と思えていたら良かったのに。
(クーニャン)


<母は懸命に>

定年退職後のお父さんが
「暖をとっている」という考え方。
とても新鮮でびっくりしました。

休日にゆっくりしている事で
罪悪感を持ってしまう私にとっては
何にもせずにゆっくりしていることは、
ひどくもったいなく、
寂しいことのように思えていました。

実際は、特に出かける予定がないと
何もする気力が起こらず、
ただぼーっと横になって
ごろごろしていることも多いのですが
それがとても辛いときがあるのです。

ここ数年、母親の体調が悪く、
最近になって母は、
ほとんど寝ながらテレビを見るだけ
の毎日を過ごしていて、

それが本当にもどかしく、何か小さな事でも、
やりたい事、興味のある事が見つかって
少しでも気持ちを前に向けてほしいと
思っていたのですが、

母親にとっては、
元気な頃の「何でもできた自分」
「家族の為に尽くしてきた自分」を失って
少しでも新しい居場所を探そうとしているのかもしれない
と思うとなんとか元気を出してほしいと思っていたことが
いかに勝手な事かと気付かされました。

母親自身が一番、元気を出したいと思っているはずです。

喪失感でいっぱいになりながらも
懸命に生きようとしている母親に、
しっかりとした覚悟を持って
寄り添えるようになりたいと思いました。
(あなぐま)


<役割を期待されなくなった時>

会社や家などのような居場所は、
期待された役割を引き受けることで得られる場所
のように思えます。

それだけに、役割を期待されなくなった時、
関係を作られなくなりがちです。

お互いが、知らず知らずのうちに
そういう関わりをしているのが、
この社会かもしれません。

その中にどっぷり漬かっていると、
そこからこぼれ落ちる人達がいることに、
気づかなくなってしまいます。

居場所のないつらさの元には、
その気づいてもらえない孤独があるのでしょう。

そこから自分の居場所を作るのは、相当難しいです。

自分自身居場所を求めて右往左往を続けましたが、
なかなかうまく行かなかった時、

「居場所を求めるより、
 居場所を作れる自分になればいいのだ」
と思い当たりました。

そこから手に職をつけたりの努力をはじめましたが、
今度はふとした時に、
「居場所を作れる自分は、
 居場所ではぐくまれるのではないか」

と思うようになりました。
居場所を作るのは自分だけど、
自分ひとりで出来ることではない。

自分の居場所が欲しければ、
他の人の居場所にも、自分がならないといけない。

そんな他の人とのかかわりの中に、
自分の居場所があるし、
そこで試行錯誤を繰り返している人はたくさんいます。

そう思えれば、居場所を作る作業も
楽しくなるように思えるのです。
(たまふろ)


<習うことよりも通う事の方に>

今から8年前、退職してまず感じたのが、
属する場所がない心細さでした。

自由になったぞ! という解放感より、
薄ら寒いような心細さでした。

幸い私はPCを習う。という目標があったので
PC教室に1週間に1度通うことにしましたが、

習うことよりも通う事の方に喜びを感じました。

同じ顔ぶれ、たわいないおしゃべりを少しして、
PCに向かう。
擬似会社のようで、
そこでしばしの暖をとっていたように思います。

還暦のおばさんにしては頑張り、
PC検定の4級、3級を取得して、
「ほぼ日」に巡り合い、
なんとなく「ほぼ日」に寄りかかっています。
ちょっと寄る所があるのよ、みたいな‥‥。

少し気になったのが、PC教室に通っていた時、
引きこもりの様な感じの若者がいたことでした。

先生への質問も弱弱しい声で、最少限度の会話で、
でも、PCの上達は目覚ましく。
彼がここで何かを得て、自信をつけ、
社会に一歩踏み出して欲しいと願いました。
本当は声をかけたかったのですが、できませんでした。
(小麦)


<行きつけの店、という止まり木>

私は現在社会人一年目で、
大学卒業と同時に一人暮らしを始めました。

田舎の実家暮らしの時とは違って、
近所に住んでいる人も隣の部屋の住人も、
みんな知らない人。
一人暮らしの地で、地域とつながることなんて
無いのだろうと、
ましてやそれが普通だろうと思っていました。

新たな生活にも慣れ近所を散策しているとき、
小さな可愛らしい喫茶店を見つけ、
博識で素敵なマスターに出会いました。

そのマスターが不思議なほど
私を気に入ってくださり、
私もその気持ちに応えたくて
お店に通うようになりました。

お店に顔を出せば、
「やあ、いらっしゃい」と笑顔で迎えてくれ、
他愛もない世間話をしたり。
近所に自分を知っていてくれる人がいることで、
自分の存在が肯定され認められているような、
温かな満足感がわいてきました。
連絡先を交換するでもなく、行けば会える、

ゆるやかなつながり。

たかだか行きつけのお店の話で、
社会的な居場所や「箱」とは
ニュアンスが違うかもしれません。
それでも私にはこのお店が、
地域とゆるやかにつながる場であり、
大切にしたい小さな止まり木です。
(どんぐり)


<箱あり箱なし両方生きて>

社会とつながる、とはどういう事か?

突き詰めるとそれは、他人とつながる、
という事ではないでしょうか。

会社や学校という箱の中に入ってしまえば、
そこには好むと好まざるに関わらず、
多くの他人がいます。

箱の中には、努力をせずとも自分の椅子があります。

箱はひとつの組織です。
組織として機能するために、
否が応でも誰かとつながることを望まれます。

コミュニケーションや、自分を表現する言葉が、
多少下手でも、
箱の中なら、誰かとつながっていられます。
それは、やっぱり安全パイなのだと思います。

物心ついた時から、
箱に入る事を目標として教わっている私たちは、
箱の外での生き方を考えるのが苦手です。

だから、箱から拒否されると、つい、自分はダメなんだ、
と思い込んでしまいます。

でも本当は、箱の外には、もっとたくさんの人がいて、

そこで、自ら築いた場所は、
箱の中の決められた椅子に座るより、
居心地が良いのかもしれません。

ただ、箱に入るための方法ばかり教わってきているので、

箱なしで社会とつながる方法がわからない、

そこが居心地良いと思えない、のだと思います。
社会とつながる、というのは、

「自分の役割を持つ。そして、それによって
 人に何かの影響を与える。」

という事だと思います。

これもまた、箱の中にいれば、
誰かが自分に役割を与えてくれ、
自分で自分の特性や、
それを生かしてどう人とつながるか、
を考える必要がありません。

自分で自分の役割をみつける訓練ができていない
私たちは、
ともすれば、

「社会的自分の居場所は、苦労を分け持った分に
 相当して築かれていく」事を忘れ、

「認めてくれ」「自己実現させてくれ」
「居場所がほしい」
になりがちです。

私は今、半分は箱の中、半分は箱なしで
社会とつながっています。

箱なしと箱ありと、どちらが自分にとって適性なのか、
居心地がいいのか、まだ答えは出ていませんが、

これからの人生は、収入・精神的に多少辛くても、
箱なしにしていこうと決めています。

シングルの私にとって、
正直、箱なしはとても怖いのですが、
チカラを信じて、コツコツとやっていこうと思います。
(ワタナベニャンコ)

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2014-11-19-WED
YAMADA
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