おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson712 自分で社会に居場所つくる −5.アイデンティティについて読者の経験 アイデンティティの話題になると、 周囲の反応は常にまっぷたつだ。 アイデンティティの危機・喪失の経験があり、 「その問題は深刻だ、 日々生活していくことさえツラいだろう」 と、解する人。 ピンとこず、 「こっちは日々生活していかなきゃならないの。 そんな中学生の自分探しのように アイデンティティのへったくれのと言ってられないの」 と、贅沢な悩みに見る人。 私自身、30代後半まで、ずっと後者だった。 「アイデンティティ」という言葉がまったくピンとこず、 編集者のとき、高校生に説明するのに苦労した。 まず辞書を引いたら、 一連の説明のなかに、「自己証明」という言葉を発見し、 思わず薄笑いしてしまった。 「証明? しょーめい??? なんで自分を? だれに? 証明する必要があるの?」 自分は自分で、疑う余地なし、 と当時は思っていたのだ。 工夫の末、日本の高校生には、「自分」という内側から 話すのでなく、「居場所」という外側、 自分を取り巻く場や人との関係性から入ると、 理解されやすいんだなと気づかされた。 まさか自分自身が、 2000年の2月から、その証明に苦しみ、 2001年の11月に再構築する日まで、 自分史上最も追いつめられることになろうとは、 想像さえできなかった。 あのとき、もっと勉強しとくんだった。 「人間がもっとも追いつめられるのは、 唯一の居場所を失うというときかもしれない。」 2008年に、秋葉原で痛ましい事件が起こったとき、 とにかく直感がした。 その追いつめられ方が、最も出てはいけない 最悪の形で出てしまったと。 最初は、リストラ問題が動機など情報が錯そうしたが、 動機に直結した居場所とは、携帯サイト。 そこでやりとりされるのは「言葉」だ。 私はアイデンティティの問題は、 言葉と深くかかわっていると思う。 「アイデンティティの問題は、 衣食足りたいい大人の、贅沢な悩みなのだろうか?」 きょうは、このシリーズに寄せられた 読者のおたよりを紹介したい。 <与えられたアイデンティティは> 僕は引きこもったことはありませんが、 大学に入ったころから、初めて就職するまでの間は、 どこかふらふらした回り道を歩いていました。 大学入学ぐらいまでは、たいした疑問もなく、 アイデンティティの問いかけがなくても、 ふつうの毎日がやって来ました。 就職活動へ向かう頃でしょうか、 僕がまだ何かを決める前に 大学で考古学を専攻していたので、 周囲のあらゆる人が 「博物館に就職するのか、文化財保護の仕事をするのか」 と、繰り返し繰り返し質問され、 「皆が考える未来が僕の未来?」 「皆が考えるほど僕は就職のこと考えてないなあ。」 「この世界は僕が居続けたい世界?」 そんなことを思いはじめ、 目的地もなくふらふらしました。 ふらふらしているから、大学院へ行こうか という安易な選択をしてみたり、また変えてみたり。 アイデンティティなんてかっこいいものでもなく、 ただ、アイデンティティを決められてしまうのが嫌で、 自分に向き合えば、 とりあえず、××大学卒業という 世間のある一定の評価指標を拠り所に しか出来ませんでした。 ないから、しがみつく。 でも、そのうち気づくのですが 与えられたアイデンティティは、自信にはなりません。 自分を本当の意味で信頼できません。 この染み付いた、 仮のアイデンティティを脱ぎ捨てるのに、 正直言えば、10年以上かかったように思います。 居場所を見つけるとは、 自分の行為によって、 自分を作っていく過程で見つかるのだと思います。 自分の形が出来て、居場所ができる。 (誠) <アイデンティティーの再構築へ> 私は帰国子女です。 大学を卒業するまで 外国人や帰国子女に囲まれて生きていました。 就職が決まり、いざ入社すると、 そこは、紛れもなく、日本社会でした。 私は日本人ですが、 「日本に生きる日本人」というアイデンティティーは 持ち合わせていません。 日本社会で、日本に生きる日本人として 行動や態度が求められた時、 私はうまく適応することができませんでした。 その結果、バーンアウトを起こし、 心身ともにボロボロになり、 その職場を去ることになりました。 日本人なのに日本に適応できない自分に苛立ち、 怒りが全て自分に向かいました。 その後、アルバイトでなんとか食いつなぎ、 3年後の現在、海外の大学院に在籍しています。 現在、「外国に生きる日本人」という アイデンティティーを再構築し、 現地の人と繋がりつつあります。 日本社会で生きることはとても辛かったですが、 「日本に生きる日本人」を試してみなければ、 現在の居場所にたどり着くことはできませんでした。 身を削って再構築した、 この「外国に生きる日本人」という アイデンティティーこそ、 自分にとっての「居場所」なんだと確信しています。 (もうすぐ12月) <暗く静かな季節を、じっくりと> 大学4年生です。 「おとなの小論文教室。」を読んでいて、 ふと思いました。 小論文、ひいては文章を書くことは、 自分を肯定する言葉をさがす作業なのかな、と。 文章を書くと、いやでも考える、 悪いことももちろん。 何について考えても、 考えの根本には自分がいる。 自分で考えるということは、 いやでも自分と向き合わざるを得ない。 誰かについて考えてもそこにはいやでも自分がいる。 いちいちそうなるのはちょっとしんどいよな、とも思う。 それを突き詰める作業は、もっと。 でも、人は鏡でもある。 ふとしたところに自分が映し出されたりする。あわあわ。 でも、ひとつひとつのことに向き合って、 ああ、こういうことなのかな、と 自分なりの答えを見つけ出すことができる。 そうすると、 自分を肯定できるようになるのではないのか。 自分の言葉で自分が説明できたら、 それだけで胸を張れる。 なんだか、ふとそう思ったんです。 暗くて静かな季節、じっくりと、 探していきたいと思います。 いつもこの連載を読んでいて、 すてきな先輩とお茶をしているときみたいに いろいろなことにはっとしています。 (よしだ) <わたしが就活を再開できた理由> はじめまして。 来年の春大学卒業予定の者です。 ここ数年の自分が抱いていたモヤモヤの原因が 何となく分かったような気がしました。 私自身、所謂良い子ちゃんで大学までやってきました。 しかし大学に入って、自分より優れた人間に囲まれ、 何もかもにやる気をなくしてしまいました。 そのまま3年生になり、 とりあえず始めた就活で、 今まで見えなかった自分の歩まなければならない人生が 見えてしまいました。 途端に、動けなくなりました。 自分には決めきれないと思いました。 就活をやめました。 この時の自分は、 自分のアイデンティティーを築いていく場所選びに 慎重になっていたんだなと思います。 今また就活を始めています。 前に就活をしていた時より気が軽いのは、 「とりあえず」という気持ちがあるからです。 とりあえず、入れるところに入り、 目の前の仕事に取り組みたい、 そんな気持ちです。 アイデンティティーは自らが悪戦苦闘しながら、 自らが日々発信していくことで、築いていくもの。 そのことを意識せねば、いつまでたっても 自分の人生は生きられないなと思いました。 とりあえずではあるけれど、意識して動かないと。 (来春卒業予定者) <持ち場を理解し、社会的立場を確立する> 仕事だけではありません。 人生において、それはどこで確立できるのか 分かりません。 私の身近では、「親になること」を 選択した夫婦がいます。 知人夫婦は、結婚後なかなか子宝に恵まれませんでした。 不妊治療をはじめとした様々な 「子どもを授かること」に対して、 粛々と取り組んできました。 悩み苦しむ中で、離婚を選択することも 視野に入れているほどでした。 ほどなくして、夫婦間での妊娠が難しいという 決断を下すこととなりました。 しかし、知人夫婦は諦めず 「子どもを育てたい」という気持ちを叶える為に、 「養子縁組」という選択をしました。 「親になること」を選択し、 確立する行動をとり始めました。 腹を決めてからは、 これまで以上にスイッチが入ったように、 どんどんと「親」になる為の行動を重ねてきました。 親子という関係は、簡単な形では結べません。 親になることを学ぶために、教室へ通い、本を読み、 親になる為の準備を進めていました。 私は、間近でそれを応援し、 縁が結ばれることを切に願うばかりでした。 ある時のこと、知人に近しい立場の人から 「血縁がなければ、親子なんて言えない。 私は理解に苦しむ。 なぜなら、私は十月十日お腹の中で育て、 痛めて産んだ子どもを育てているから」 という全く反対の立場からの意見を伝えられたと 知人が話しました。 もちろん、知人は苦しんではいました。 しかし、説明し終わった後、 不思議とスッキリとした表情で、 「色んな考えはあるけど、 これは私と夫が考えて決断したことだから。 血の繋がりがなくても、縁は結べると思う。 もし、仮に友人が言った事が本当であっても、 それは実際親になってから苦しみたい。」 と話していました。 そこからトントン拍子に物事は進み、 数ヵ月後に産まれたばかりの赤ちゃんを 養子縁組する機会に恵まれました。 産後直後の赤ちゃんを抱く知人の目には、 涙が溢れており、 しっかりと母親の表情をしていました。 今、その赤ちゃんは間もなく1歳を迎えるところです。 すくすくと元気に育ち、 両親から惜しみない愛情を受けております。 「親」という立場と責任を、自身で形作ることを選択した 知人夫婦を間近で感じることで、 血縁=愛情という図式を違った視点で考える きっかけとなりました。 と同時に、多くの人が物質的・精神的にも もっと拡がりを持って 満ち溢れた環境になるには、 自然に妊娠をして出産をするという選択のみに 縛られることに囚われることが 多くの面で人生観や価値観を狭めてしまうかと 感じております。 置かれた状況をいかに楽しむか、 それは形式だった物の集まりだけではなく、 感受性や受け止め方など、 その本人の本質的な部分にかかってくると思います。 (ペリコ) <私の出番を> 先週のコラムを読み、 居場所からアイデンティティの問題があぶり出され、 ゾクッときました。 今、直面をしている問題はこれだと。 会社を辞めて違う分野で起業した時に 自分の居場所ができた気がした。 ところがそれも自分とは違う気がしてきたのです。 そこでもがいているうちに虚無感が訪れました。 動けない。 動いているかもしれないけれど動いていない自分。 どんどん自信はゆらいで一歩も動きたくない。 このまま引きこもり 俗世間との関係を絶ち切れたらどんなに楽か。 自分との関係も絶ち切ったら楽かもしれないと 思いがよぎる。 でも、そんな勇気もない。 アイデンティティとは何か? 存在意義とは何か? その答えは、借り物の言葉のようでしっくりと来ない。 それでのいいのかもしれないと思いました。 言葉を発して自分を見つける。 行動することによって自分を見つける。 選択をすることで自分を見つける。 社会の居場所は自然とできてくる。 まずは自分の中に自分の居場所を作ることだ。 そんな答えが見えてきました。 まずは自分OKと認めることから始めます。 このメールを書くという言葉にするという行為をしたら スゥ〜ッと楽になりました。 社会よ、出番を待っていてくれ! (まぁちゃん) 「アイデンティティの問題は、 衣食足りたいい大人の贅沢な悩みではない。」 正解がない問題の、 これが経験から思い知らされた、私の答えだ。 病気や失恋の悩みなら、 誰もがその痛みを想像し共感するのは難しくないだろう。 たしかに、アイデンティティの悩みは、 肉体が傷ついているのではない、心でもなく、 でも、傷ついているのは「存在」だ。 アイデンティティが揺らぎ、折れ、あるいは、 消されようとしている人にとって、 衣食足りていることや、健康であること、 「そんなことにこだわるな、自分は自分じゃないか」 と言うのは、切ないことで、 それは本人にとって、 着たり食べたり笑ったり生活全ての根幹になる 「存在」の危機、 まさに死活問題だ。 いい大人になって自分探しをしている中学生のようで なかなか人に言えない・理解されない人が 多いようだけど、 病気や失恋の悩みと等価で あつかわれてもよいのではないか、 と私は思う。 |
山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
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2014-12-03-WED
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